<case : 33> white fox - 白狐
「相当やるな、あの掃除屋」
劉は、レーダー上でロストしていく機械犬の数に舌を巻いていた。
機械犬は、それぞれの個体が視野を共有している。一匹を仕留めても、絶命させるまでに少しでも標的を視野に捉えればその座標を共有し、残りの個体が一斉にその場所に向かうようになっている。それを、あの掃除屋はもう五体も破壊している。
常人なら一匹でも逃げられない機械犬を、これだけ破壊する奴に出会うのは劉も初めてのことだった。
この掃除屋は本当に人間なのか? だとすれば、相当な場数を踏んでいる。その戦歴に敬意を表しながら、劉は内心、興奮していた。
「ドローンを出せ、俺が行く」
弟の袁には悪いが、この掃除屋は俺の獲物だ。
////
人通りのない夜更けの下層。レンガ造りの家が並ぶ迷路のように入り組んだ住宅街。その荒廃した通路の一角で、ヴェルは機械犬の銀色のボディにナイフを突き立てる。
この銀色の追跡者は、休むことを知らない。昔、アリシアが逃げ、ヴェルが不意を突いて撃ち殺すことで追跡を逃れた経験があるが、一人ではどう器用に立ち回っても難しい。
ヴェルは再び走り出す。
これまですでに数時間、全力に近い速度で走り、逃げ続けている。球のような汗が、額から風に流されていく。
次の追手がくる前に、走りながら思考を整理する。
ヴェルが今持っているカードは、アイザックの過去と二枚の写真のみ。一枚はアリシアが映っている集合写真、もう一枚は幼少のアイザックとノアが、無機質な部屋の椅子に座っている写真。
ノア。緋色髪の謎めいたマキナス。ノアは今どこにいるのか、次にどこに現れるのか。クメールルージュで得た情報が最後だとするのなら、次に彼女が向かうのは……。
緑川レイカだ。
自分だったら、アイザックと一緒にいた彼女に接触し、情報を得ようとする。
ARスクリーン上にキオンが送ってくれた緑川レイカの調書データを表示させる。違法配達屋、クシナダ配達……運よく下層と最下層の狭間にある。
ノアに、国家安全保障調整局とテンペストが繋がっていることを伝える。彼女の持つ情報と合わせて、何か進展が得られるかもしれない。
目的ができた。僅かだが、光の見える目的が。クシナダ配達までのマップを展開すると、ヴェルは踵を返し最短ルートを走り出す。
最下層と下層を行き来するには〈慟哭通り〉と呼ばれる道を必ず通らなければならない。逆に言えば、ドームで不要と見做されたすべての物は、慟哭通りに流れ着く。その一角に、クシナダ配達の営業所がある。
だんだん景色が荒廃して、明らかに周りの建物の経年劣化が酷くなってくる。ヴェルは目立たないように、慟哭通りの本道から一本ずれた細道を駆けている。
その時、視界の隅に小型の黒い円盤が飛んでいるのに気づく。
それがドローンで、調整局の放った追手であることをヴェルが認識するまでの一瞬の隙を、劉は見逃さなかった。一瞬のタイムラグを利用し、背後の壁を破壊してヴェルに襲い掛かった。
反応が遅れたヴェルに対し、劉が鋭利な刃を生やした機械の右腕を思い切り振り上げる。ヴェルの衣服の胸元に一文字の切れ目が入る。
「よく避けたな」
劉は、鋼鉄製のマスクの下で笑う。
「しかし、もう逃げられんぞ」
ヴェルが銃を構えなおすよりも早く、劉は脚に仕込んだ跳躍力増強装置で地面を蹴ると、ヴェルの首を掴んで背中から壁に叩きつける。
衝撃でヴェルの手から銃が離れ、数メートル先の地面に放り出される。ヴェルはすぐにナイフを取り出して、首を掴んでいる劉の二の腕に勢いをつけて突き刺した。一瞬、首を掴む手の反応が緩み、それを見逃さずに劉の身体を蹴りとばす。
後ずさった劉は、一瞬だけ腕の傷に目を向けると、ふたたび距離を詰めて刃付きの腕を高速で繰り出し、ヴェルはナイフを使ってギリギリのところでそれを避け、応酬を繰り返す。
戦いながら、劉はヴェルの動きに感嘆する。
この掃除屋は強い、しかし、相手が悪かった。
劉の刃を避けていたはずのヴェルの鳩尾に突如、衝撃が走る。死角から黒い腕が、ヴェルの身体に撃ち込まれていた。
その腕は、刃を生やしている二本の腕とは別に、劉の背中に元々しまってあった第三の腕だった。腕は不自然なほど長く関節が複数あり、軌道を読ませぬ動きでヴェルを追撃する。
「ぐっ……!」
ヴェルが後方に大きく体制を崩したところを、劉が三本の腕で畳みかける。反撃する隙を与えられず、ヴェルは劉の攻撃を捌きながら、ジリジリと後ろに追いやられていく。
劉の勢いはさらに増して、ギリギリで避けていた刃がヴェルの衣服を裂き、肉を切り、身体中を朱に染めていく。
「終わりだな、掃除屋」
刃でナイフを弾かれ、露わになったヴェルの身体に、劉が止めの一撃を繰り出した。ヴェルの横っ腹に劉の刃が深々と突き刺さり、ヴェルは苦痛に顔を歪ませながら、口から真っ赤な血を吐く。
劉は余った二本の腕で、ヴェルの首とナイフを持つ右腕を抑えつける。劉の瞳がヴェルの赤い左目を捉える。
「その目……お前の強さもワケありか。だが、残念だったな。全身機械の俺に勝てる人間はいない」
下腹部に突き刺さった刃を抜き、さらに違う箇所を突き刺す。ヴェルはさらに呻き、首を掴んだ腕がヴェルの身体を持ち上げ、濁流の方に歩いていく。
恒久的な水害と呼ばれる慟哭通りの濁流がヴェルを飲み込まんとして、足元で怒涛の勢いを見せつける。
「死ね」
霞む目で、ヴェルは劉の後方に視線を向ける。確かに、この機械人の強さは尋常ではない。疲弊した状況では、あの第三の手がなくとも最終的に負けに追い込まれていただろう。
だから、誘ったのだ。
受けた傷は紛れもなく本物だ。これだけ刺し、おびただしい出血を見れば、誰だって勝ったと思う。この機械人に落ち度はない。実際、一対一の勝負はお前の勝ちだ。
ヴェルの首を掴んでいた劉の第三の手が、突如、斜め後ろから飛んできた赤い閃光によって吹き飛ぶ。
廃屋の屋根から影が飛び、白狐の面をつけた女が振り返った劉の懐に飛び込む。
「何だ、おま……!」
劉が言い終わるよりも先に、死角に入った女はメスのように細いナイフを劉の首に深々と突き立てる。
血しぶきを挙げながら、劉がゴボゴボと喉を鳴らし後方へ、慟哭通りの濁流に向かって大きく体勢を崩しながら、ヴェル共々落ちていく。
女が伸ばした手をヴェルが掴む。二人で劉を蹴り飛ばし、その反動でヴェルが地面に飛び移り、劉が濁流に滑落する。
劉の姿は一瞬で濁流に呑まれ、見えなくなった。特に奴の場合は、重量のある機械の身体が仇とる。水底を転がりながらジャンクにすり潰されて、二度と浮き上がることはないはずだ。
「ヴェル、しっかり!」
面をあげて、ノアが顔をのぞかせる。膝をつき、今にも意識を失いそうなヴェルを支えている。
「やはり……クシナダ配達か……」
そう言って、ヴェルは意識を失った。
「ヴェル!」
身体のほとんどがマキナスの素体とはいえ、ノアの目から見てもヴェルは血を流し過ぎている。
「死なせない……」
ノアは顔を上げ、通路の奥に目を向ける。その角を曲がった突き当たりに、クシナダ配達がある。
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