<case : 28> rest rooms - 顧客情報
緑川レイカは、クシナダ配達の休憩室で遅い昼食を摂っていた。人工肉のてりやきバーガーを頬張りながら、ARスクリーンでネット上をサーフする。
「おう、レイカ」
「は、はい!」
ツゲさんが、休憩室の外から顔を出す。髭に覆われた顔を搔きながら、眉間にしわを寄せている。
「タケシの奴が、荷物をひとつ忘れて配達に出やがった……。今なら追いかければ間に合う、ちょっくら行ってくる」
レイカは大きく息を吐いた。
「でしたら、私が行きましょうか?」
「いんや、飯くらいちゃんと食え。窓口だけ見といてくれ」
「わ、分かりました」
「レイカ、お前ぇ……最近、ちゃんと寝てるのか? 疲れた顔してるぞ」
「へ……? あ、あぁ! すいません……。ちょっといろいろと調べものを」
ツゲさんは、さらに顔を突き出して、レイカに近づける。動物的要素で例えれば熊だが、可愛い熊ではない。この熊はおそらく、人の肉の味を知っている。
「勉強か? ならいいが。ほな、ちょっと頼むで」
「はい! 了解です」
そう言うと、ツゲさんは出ていった。
「はぁ、びっくりした。私、疲れた顔してるのか……」
調べものとは、もちろん勉強ではない。
あの日、クメールルージュで何が起きたのか。自分は、何を見て、何を見なかったのか? 逡巡していると、つい眠るのが遅くなってしまうのだ。レイカはてりやきバーガーの最後のひと口を放り込むと、事件当日から今までを振り返る。
///
レイカが目覚めた時、クメールルージュ前の通りは騒然としていた。
泣き叫ぶ人、助けを呼ぶ人、野次馬、野次馬を見てさらに足を止める人など、多くの人がクメールルージュの周りに集まっていた。レイカ自身も、なぜか気を失っていたらしく、気づくと人工生命犯罪対策室の隊員に保護されていた。
すぐに辺りを見回したが、アイザックの姿はなかった。デバイスもシャットダウンしているらしく、それ以降、ずっとオフライン状態で連絡が取れずにいる。
デバイスでソーシャル情報を確認すると、クメールルージュで起きたことについて、さまざまな憶測が飛び交っていた。
あの晩、あの場所で人間とマキナス十五人が死亡し、四七人が重軽傷を負ったと言う。一番多かったのは『怪物が現れた』という投稿、レイカは目を疑ったがかなりの数の目撃者がいるようだった。
一方で、ガス系の薬物による集団ヒステリーによって巻き起こった乱闘による事故だと主張する者もいて、他にも政府の陰謀説であるとか、宇宙人がやったとか、馬鹿馬鹿しいものも含めてさまざまな仮説がネット上を飛び交っていた。
その後、レイカは人工生命犯罪対策室の本部に連れていかれ、軽い手当を受けた後に、アイザックと何をしていたのかしつこく尋問された。
その様子から、彼らは明らかにアイザックに執着しているようだったが、彼や自分が何かした覚えは全くなかったので、デートに誘ってもらって一緒にお酒を飲み、とりとめもないことを喋っていただけだと話していると、しばらくして釈放された。
アイザックが見せてくれた超能力の話だけは、彼のプライバシーにかかわると思い伏せておいた。
自由になって数日経ってもアイザックから連絡がなく、彼が事件に巻き込まれたのではないかと心配になったレイカは、配達のついでにクメールルージュに向かってみることにした。
下層の繁華街を抜けて、路地の角を曲がり、クメールルージュのエントランス前までくると、レイカは絶句した。入口には立入禁止のテープが張り巡らされて、中に入ることができなくなっていたのだ。地下のシェアハウスへの階段も厳重に封鎖されている。
向かいの飲食店で尋ねると、地下に住んでいた住民は皆、強制退去となってしまったらしい。
レイカは配達屋としての知恵を巡らせ、その足で管轄する不動産会社へ向かった。地下の住居者のリストを手に入れるためだ。
配達先にここの住居者がいて転居先が分からず困っている、せめて分かる情報だけでも把握したいと頼み込むと、窓口の社員はしぶしぶリストを共有してくれた。
さっそくリストを確認したが、いくら遡っても居住者にアイザックの名は見つからなかった。そこで、アイザックはパブロとルームシェアしていたことを思い出す。リストを再度見直すと、パブロの名前が見つかったので地区管理局に照会依頼をかけた。これで、パブロが見つかったらアイザックの連絡先を聞けるかもしれない。
しかし、地区管理局の職員からは思いがけない答えが返ってくる。
パブロは、事件当日に亡くなっていたのだ。
じゃあ、アイザックは? もしかして、彼も。不安に胸が締めつけられる。帰宅してシャワーを浴びてベッドに飛び込むと、食事も摂らずデバイスでソーシャル情報を漁る。
目を皿にして情報を精査していると、新しい情報が飛び込んでくる。何と、事件当時の動画を投稿する者が現れたのだ。
もし本物なら、危険な動画は運営のボットが探知してすぐに削除されてしまう。レイカは反射的に再生ボタンをタップする。運よく読み込みが完了して、ARスクリーン上に動画が再生される。
レイカが見る限り、動画に映っているのは確かに当日のクメールルージュの様子だった。
しかし、そこに広がっていたのは別世界の地獄だった。映像には、事前の情報にあったサイのような灰色の膚に、牙と赤い目を持った文字通りの怪物が、何人もの人間やマキナスに襲い掛かっている姿が収められていた。そのリアリティは凄まじいのひと言で、とてもフェイクには見えない。
「何これ……」
動画は数十秒という非常に短い時間で終わったが、その余韻は、短い再生時間の何倍もの衝撃をレイカに与えた。と同時に、パブロがこの怪物によって死んだというのなら、アイザックの無事を確かめたいという気持ちがより強くなる。
そもそも、どうして怪物が現れたのだろうか。こんなのがうろついていたら、もっと早く気づきそうなものだ。
だが、自分がアイザックと一緒にいた時は、微塵もそんな危険な兆候は一切なかった。レイカは怪物に関する話題を検索しながら、目に留まった情報をひとつずつ咀嚼していく。
現場に居合わせたということもあって、明らかなガセと思われる書き込みはレイカにも見分けがついた。
「怪物はサイのような灰色の膚で、牙を持ち、赤い目をしていた……。反人工生命主義者によるテロの可能性……。薬物の使用……。痩せた男が、薬を打たれていた……。痩せた男……。薬……」
ネット上の目につく書き込みを読み上げながら、まどろみの中に入り込もうとしていた身体が、記憶の底に沈んだ欠片に触れて、再び覚醒に向かう。
「薬っ!」
今、真実に触れたかもしれない。レイカは勢いよく身体を起こす。
「私が……彼に届けたのは……」
──そう、あの薬は、僕の父が僕の人格データから抽出して造った、人造コード入りナノマシンのサンプルなんだ。といっても、まだ試作品だけどね。
「アイザック! まさか、あなたが……」
///
「あなたがやったの? アイザック……」
誰もいない休憩室で、一人呟く。やがて、意を決して立ち上がると、レイカは休憩室を出る。窓口を抜けて、奥にあるツゲさんの個室のドアに手をかける。いないと分かっているのに、怖くなって周りを見回す。恐る恐るドアを開けて、音を立てずに中に入る。
ツゲさんが戻るまで、残された猶予はどれくらいだろうか。
あまり長くはいられない。
狭い部屋の中、壁際に立てられたスチールラックには、見たこともないジャンクが並んでいる。ツゲさんは〈外の世界〉でサルベージされたガラクタ集めが趣味だと聞いたことがあるが、これがそうなのだろうか。
収まりきらないジャンクが机の上に侵食していて、そこに一台の旧型のパソコンが置かれている。幸い、電源はつけっぱなしで、レイカしかいないから気が緩んだのだろう、ログインされたままの状態だ。
使い込まれた皮の椅子に座る。骨がギィギィ鳴っているが、ツゲさんが乗っても壊れないのだから問題ないはずだ。マウスを操作して、顧客情報一覧にアクセスする。
「見つかったら、絶対にクビだ……」
検索窓に『篠塚アイザック』と打ち込んで絞り込みをかける。表示されたデータの詳細情報を呼び出す。これで、アイザックに荷物を送ったのが誰なのか分かる。
表示された住所をメモすると、パソコンをもとの状態に戻して、そそくさと部屋を後にする。
休憩室に戻りながら、レイカはメモを見返す。
「最下層、先鋭街東ノ辻三ノ瀬……、送り主、篠塚創次郎」
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