<case : 26> vortex - 強固な盾

 椅子に座らされ、目隠しを外される。照明の光に目を細めながら、辺りを見回す。どこかの会議室のような部屋に、男が三人。壮年の男、顔の半分が変異した少年、三日月状の傷がある大男。


 ここはどこだろう、空気は澱んでいる。少なくとも上層ではなさそうだ。


「ようやく会えましたね」


 小さな机を挟んで座る壮年の男の声は、メイド型清掃ロボットを通して聴こえた声と同じだった。


「国家安全保障調整局の仁科だ」

「仁科……知らない名前ね」


「もちろん偽名だ。便宜上、あなたが私を呼ぶのに名前が要る。そのための。それに、私が調整局を掌握したのはつい最近のことだ。知らなくても仕方ない」

「名前のことはいいわ。もし、あなたが〈カオティック・コード〉を拡散しているのなら、今すぐ止めて。そうすれば、いくらか減刑の交渉くらいはしてあげてもいい」


 仁科は首を振った。


「残念だが、それはできない。なぜなら〈カオティック・コード〉は過程に過ぎない。わたしが求めている結果は、その先にあるんだ」

「その先……?」


 仁科は不敵な笑みを浮かべて、ミコトを見つめる。


「……本当に何者なの?」

「その質問にはすでに答えたはずだ。自分が何者であるかは、結果が決めることだとね」


 ミコトは、屋敷で仁科が言っていた言葉を振り返る。


 ある時は科学者、そして創業者、またある時は反人工生命主義者。そして、国家安全保障調整局の長。だから、わたし自身は、まだ何者でもない。


「……あり得ないわ。二百年前から生きていたとしても、そこまで素性をコロコロと変えられるはずがないもの」

「本当にあり得ないかね? 君のように優秀な人が、そんなにかんたんに可能性を否定するのか?」


 仁科は灰色の瞳で、ミコトの目を真っすぐ見つめながら言った。顔は痩せこけているものの、その鋭い眼光には、何かを成し遂げようとする者に特有の明確な意思を感じる。


「君は知らないかもしれないが、三次大戦中には、勝つためならばあらゆる非人道的行為が許された。その渦中から生まれた技術は、今を生きる人たちの想像をはるかに上回るものがいくつもある。例えば、後ろの少年がいい例だ」


 そう言って、仁科は壁際に立つ少年に目を向ける。半分が怪物の顔をした少年。


「彼は、恵まれない子だった。才覚を持って生まれたのに、場所が最下層だったというだけで、陽の当らない人生を送っていた。ある日、彼を育ててくれていたマキナスが死んだ。〈カオティック・コード〉の副作用に耐え切れずにね」


 最下層で死んだマキナスとは、間違いない、瀬田ダンジのことだ。


「我々が接触した時、この子は親切な人から直近の生活費を受け取っていると言って、最初は我々のオファーを断った。しかし、いつまでもクレジットが振り込まれる保証はない。親切と気まぐれは紙一重だ。裕福な生活をしている者たちの区画から一歩外に出れば、貧困が広がって毎日人が死んでいく国もあった。協力すればドームの居住権を与えると言うと、その子は二つ返事で了承して、新たな〈カオティック・コード〉の実験体に志願した。結果は惜しかった。あと一歩というところだ」

「調整局は何をしているの!」


 ミコトは激昂して立ち上がろうとするが、手錠に引っ張られて、金属の擦れる音が部屋に響く。


「どうしてあなたを捕まえないの? 組織的犯行だとでも言うの!」

「まぁ、そう言われないでやってくれ。多くの職員は、私のこの一面を知らないだけだ。そして、調整局では上からの命令は絶対だ。君も組織を統括する立場なら分かるだろう?」


 ミコトは歯を食いしばって仁科を睨みつける。


「さて、話を戻そう。ところで、きみは、マキナスが命を吹き込まれる瞬間を見たことがあるかね」

「それが何だって言うの?」


「いいから教えてくれ」

「人格データをインストールされるって意味なら、何度かあるわ」


 ミコトがそう言うと、仁科は嬉しそうな表情を浮かべる。


「遺伝子操作で造りだした、限りなく人間に似せた身体、いわゆる素体に対して、データ化した人格をインストールする。それも昔は不可能だと言われて、否定されていた技術のひとつだ。しかし、現実はどうだろうか。現にマキナスはこうして普及した」


 確かにその通りだ、とミコトは思った。夕霧派と篠塚派が協力して創り上げた、人類科学の集大成。それがマキナスだ。


「初めて人格データのインストールが成功したとき、私は言ったのだ『これは人類にも転用できる技術なのではないか』と。つまり、何らかの方法で抽出した人間の人格を、外部の記憶媒体に保存し、ほかの人間にインストールすることができるのではないか? とね」

「そんなの……正気の沙汰じゃないわ」


 ミコトがそう告げると、仁科は目を細める。


「別に、私は自分が正気だとは思っていない。なら聞くが、自分が正気かどうかは多くの場合、自分か他者の基準によって決定されるだろう? なら、その基準自体が正しいという保証は、一体どこにあるというんだね?」

「じゃあ、まさか……」


「そう。マキナスの人格データ理論から着想を得た、人格転移の技術。当時、倫理的観点から違法認定されたこの技術で、私は生き延びた。当時の研究チームが捕まえた私の身体は、人格の抜けた、ただの抜け殻だったのだよ」


 信じられない。しかし、ここまで仁科の言っていることがすべて本当だとするなら。その異常性に、ミコトはじっとりと肌に汗がにじむのを感じる。


「そこまでして〈カオティック・コード〉を拡散する理由は?」

「それは……」


 仁科が続く言葉を探していた時、部屋のドアが乱暴に開いた。


 中に入ってきたのは、三日月状の傷を持つ大男と、まったく同じ見た目の巨漢だった。双子か、それとも、彼らも仁科の技術によって何かしら手を加えられた者たちなのか。


 男は仁科の傍によると、手に持っていたパッド型の端末を手渡した。それを見るや、仁科の顔から笑顔が消え、ゆっくりとミコトの方に目を向ける。パッド型端末を机の上に置くと、ミコトに映っている人物を見るように促す。


「この二人は?」


 そこに映っていたのは、ヴェルとキオンだった。


「……うちの捜査官よ。蒼井ヴェル特別捜査官と斎藤キオン分析官。調べれば分かるでしょう」

「この二人が〈カオティック・コード〉の捜査を?」


 隠しても仕方ない。ミコトが小さく頷くと、仁科は溜め息をついて、椅子にもたれかかる。


「現在、人工生命犯罪対策室の方々には、われわれ国家安全保障調整局の聴取を受けてもらっているが、中には言うことを聞いてくれない者もいるようだ」

「二人が何かしたの?」


「呼びかけに応じず、現場に向かったうちの職員二名を昏倒させて、今もそこに留まっている」

「虎の尾を踏もうとするからよ」


 ミコトは得意気に言ってのける。


「確かに……こちらの分析官は存じないが、彼……蒼井ヴェルと言ったか。彼が〈カオティック・コード〉の暴走によって異形化した人間を倒したという報告が私の所にも入っている。やり手であることは認めざるを得ない」

「二人なら、あなたに辿り着くのも時間の問題。必ず逮捕して、世間に事実を公表するわ」


「それはどうかな」


 仁科は再びミコトの前に身を乗り出して言った。


「私は国家安全保障調整局という強固な盾に守られている。あなたのように不意を打たれない限りは、そのような相手を自分のテリトリーに引っ張り出すのは難しいものだ。志藤長官、あなた自身が、それをもっとも痛感しているのでは?」


 そう言いながら、仁科は隣に立っていた巨漢の方を向いて頷いた。次の瞬間、機械音が響いて、眼前に突き出した男の右腕から、幾重にも重ねられた刃が変形して現れる。


「それに、私の部下も、少々手荒だ」

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