<case : 23> expressionless - 国家安全保障調整局
上層の僻地にある夕霧家の私有地。この場所はミコトにとって神聖な地でもあり、赴くときは護衛をつけずに一人で、それが慣習だった。
雑木林を抜けると、コンクリートの建物が見えてくる。蔦に覆われたその建造物は、当時のまま保存されている夕霧家の家屋で、現在、この場所は志藤家の者以外立ち入ることはできない。
何より、今となってはミコト以外、誰もこの場所を知らない。
いつもネックレスとして首から下げている白狼のペンダントを外し、ドアの横に備えつけられた専用の端末にかざす。専用の認証が走り、古めかしいビープ音の後に開錠の音が聞こえる。
中に足を踏み入れると、放置された空間に独特のツンとした匂いが微かに鼻先をかすめる。
廊下を抜けて、亡き父の書斎に入る。両側の壁は本棚になっていて、今となっては貴重な本が何冊も並んでいる。真ん中の机にはパソコンが置かれており、ミコトは電源を入れて席に着く。
その時、書斎のドアがゆっくりと開いた。
「だ、誰……」
「お掃除をいたします」
そう言って入ってきたのは、自立型の清掃ロボットだった。昔、人型アンドロイドのモデルが流行ったらしく、黒髪をボブで綺麗に切りそろえた、メイド服を着た女性型だった。
「なんだ……清掃ロボットか……」
ミコトは気を取り直すと、再びパソコンに向かう。
夕霧家専用のプラットフォームを立ち上げ、検索窓に『人工生命体創造計画』と入力してキーをたたく。表示されたファイルの数が多いので、さらに絞り込み検索機能を用いて、ストレートに〈カオティック・コード〉と入力する。
「あった。これだわ……」
抽出されたファイルは一件。『〈カオティック・コード〉の概要とその展望』という名前のファイルをクリックし、表示されたパスワード入力用のダイアログに、代々受け継いできたパスワードを入力する。
ロード画面が表示され、しばらく待つとファイルの内容がモニタに表示される。ファイルの作成者は当時の夕霧家当主、夕霧黒百合博士。
「ありがとう。待っていたんだ、君がそうしてくれるのを」
いつの間にか、ミコトの背後に回っていた清掃ロボットが、太い男の声で言った。
「えっ」
あまりに突然の出来事に、ミコトの反応が一瞬遅れてしまう。すぐにファイルを閉じようとマウスに伸ばした腕を、清掃ロボットの手が物凄い速さで伸びてきて掴む。
「な、何なの……!」
ミコトの動揺も意に介さない調子で、メイド型清掃ロボットは話を続ける。
「パスワードだけが、ずっと分からなくてね。その夕霧家専用のプラットフォームは、かんたんに解析させてくれるほど外部の者に優しくない。特に、私のような者には」
そう言うと、清掃ロボットは眉ひとつ動かすことなく、掴んだ腕を振り回してミコトを壁際の本棚に突き飛ばした。ミコトは激痛に呻きながらも、次の一手を模索する。
逃げなければ。
ミコトの意思決定は速かった。今逃げ出すと、ファイルはこの清掃ロボットの向こう側にいる敵の手に渡る。しかし、それよりも自分がここで殺されてファントムが機能不全に陥るリスクの方がはるかに大きい。
迫りくる清掃ロボットに対し、ミコトは手ごろな位置にあった本を掴んで思い切り投げつけた。運よく非常に分厚い本が清掃ロボットの顔面を直撃し、一瞬体勢が崩れたその隙に書斎の外に向かって走り出す。
しかし、ミコトの反撃はそこまでだった。
書斎のドアを開けると、廊下の突き当たりに顔の半分が怪物と化した少年が立っていた。
「……あなた達、一体何者なの?」
清掃ロボットは、ミコトが座っていた席に座り、メイド服から親指程度の大きさの記憶端末を取り出して、パソコンに接続する。ファイルを転送するつもりらしい。
同時に、後ろから少年が近づいてきて、ミコトの腕を取ると後ろ手に手錠を嵌める。少年の顔半分は、ヴェルの報告書にあった怪物のそれに酷似している。残されている人間の顔の方は、虚ろな目でどこか遠くを見ている。
「自分が何者であるかは、結果が決めることだ。ある時は、夕霧家と人工生命体の創造を目指した科学者であり、その後は、今なお盤石な地盤で経営を続けている大企業の創業者。ある時は、反人工生命主義者たちに取り入り、歴史の闇に葬られた人格データを探し出し、またある時は、国家安全保障調整局の局員となって、温めてきた計画を実行に移す機を伺っている。だから、わたし自身、今はまだ何者でもない。強いて言えば、ご覧の通りただの清掃ロボットというのが相応しい」
「こ、国家安全保障調整局ですって?」
国家安全保障調整局、通称調整局は、主に政治犯の逮捕やテロ回避のための諜報活動を生業とする、政府直轄の情報機関だ。
治外法権的な立場にあり、その実態には不明な部分も多いのが実情だが、それでもなぜ、ファントムの長であるミコトを捕縛し、目の前のデータを盗むと言うのか。
「冗談も大概にしなさい。調整局には、私も何人か知り合いがいる。あなたみたいな人が所属できる組織じゃない」
「私が調整局を掌握したのはつい最近のことでね。それに、こんな言葉がある……『嫌疑は事実に勝らない』。君がいくら疑おうとも、事実は変わらないということだ」
「……なら〈カオティック・コード〉をバラまいているのも、あなたね。そもそも、この場所を知っているのは、ごくごく限られた者だけ。そして、その限られた者たちは、皆すでに死んでるはずだもの。……冷凍睡眠で眠っていた、あなた以外はね」
清掃ロボットはゆっくりと立ち上がると、ミコトの前まで歩いてくる。その無表情な顔を近づけて、感心したようなトーンで囁く。
「……時代が違えば、直接手ほどきをしてあげたいくらいに優秀だな、君は。わたしが一体誰なのか、見当くらいはついているのだろうね。しかし、残念だ。君は我々に拘束されているし、ファイルも私の手にある。あとは、二百年前から追いかけてきた小娘と、コソコソと嗅ぎまわっている君の子飼いの狼たちを始末すれば、計画を実行に移せるだろう」
「私の部下に手を出したらタダじゃおかない……」
ミコトは清掃ロボットを睨みつけて、吐き捨てるように告げる。
「残念だが、君の組織には今頃、私の部下たちが立ち入っている頃だ」
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