<case : 21> pressure - 掃除屋の出番
上層の政府直属総合病院、その集中治療室。ナタリは再生水槽に横たわり、眠り続けていた。
ヴェルは、水槽の外殻に備え付けられた窓から、眠るナタリの横顔を見つめる。
数日後、さらにヴェルを追い詰める報告が届けられた。瀬田ダンジの自宅で二人の他殺体が見つかり、状況から兄ショウタが両親を殺して逃亡した可能性が高く、生き残った妹カホも重傷だという。
それを聞かされたとき、思わずヴェルは報告にやってきた捜査員に掴みかかった。誤報ではないのかと何度も問い詰めたが、捜査員が首を縦に振ることはなかった。
理由がない。妹を守る、ダンジが死んだ時、ショウタはヴェルにそう言ったのだ。
デバイスでショウタの口座情報を確認する。未だクレジットは引き落とされていない。ヴェルは、アリシアを守れなかったときと同じ無力感に襲われた。
捜査を言い訳に、ショウタたちのところに顔を出してやらなかった、さらに、その捜査ですらナタリに重傷を負わせてしまった。
何のために、自分はこんな身体になってまで生き延びているのか。
「三上パブロの血液中のナノマシン・セルから〈カオティック・コード〉の一部が検出されたよ」
ナタリの病室に缶詰めになっていたヴェルに会うために、本部からやってきたキオンが言った。
「怪物だなんて、俺は未だに信じられないが、昨日までで合計十四件、三上パブロと同種と思われる灰色の怪物が現れて、人を襲っている。鎮圧部隊も死傷者多数、ネット上には動画も流出している」
キオンは深く溜め息をついた。顔を見ると、やつれて薄くひげが生えている。彼もまたずっと本部に詰めていたに違いない。
「お前がアリシアの一件で見た怪物も、〈カオティック・コード〉で変異を起こした人間に違いない。今になってようやく理解したよ」
厄介なことに、怪物は生命活動を停止すると即座に自己分解をはじめ、現場には元の人間の死体だけが残ることが分かった。そのため、過去にヴェルが重傷を負った現場は元より、テンペストの同士討ちの件も、解明が遅れてしまった。
怪物がそこにいたとしたら、全て説明がつく。
「最悪の事態だな」
「ああ。恐らく、ドーム始まって以来のな」
クメールルージュの一件から二週間。中央政府が圧力をかけたため、怪物の出現は世間ではもっぱら薬物による集団ヒステリーによって巻き起こされた事故として取り扱われているが、拡散する情報を目にした多くの人民は既に懐疑的で、いつまでも抑えられるものではないだろう。
「しかし、ロックダウンとは、大変なことになった」
怪物の出現だけでなく、引き続きマキナスの暴走も頻発していた。これも〈カオティック・コード〉の影響に違いなく、また、政界に影響力を及ぼす著名な要人の失踪も未だに相次いだ。
この事態を深刻に受け止めた中央政府は、一連の事件を、社会を混乱に陥れるための反人工生命主義組織による大掛かりな犯行であると声明をだし、緊急事態宣言を発令した。
そのため、事態の解決が見えるまで恒久的な外出禁止令が敷かれることになった。
「他に、分かったことは?」
ヴェルが尋ねると、キオンは両手を挙げて首を左右に振った。
「何も分からない、ということが分かった。お前が戦った怪物、そこに居合わせたノアという少女、その少女が追っているアイザックというマキナス。どれもこれも、現実離れしていて、まるで頭のおかしい奴の妄想の中に迷い込んでしまったみたいだ」
キオンの手にはレポートの束。これまでの経緯報告書が握られている。紙面はかなりくたびれていて、何度も目を通しているようだった。
「こんなケースは初めてだ。どっから手をつけりゃいいのか分からない」
ファントムの首席分析官たるキオンがここまで打ちのめされるのも無理はない、とヴェルは思った。それほど、このケースは特殊で今までに類を見ない。アリシアがいたらどうしただろう。やはり自分と同じように後手に回っただろうか。
「アイザックについて、何か情報は?」
ヴェルは、クメールルージュでアイザックを見た時のことを思い出す。見かけは普通の青年だったが、ヴェルとノアをけん制した際の異様な雰囲気は、今も言葉では上手く説明できない。あれ以降、アイザックの足跡は手掛かりすら見つかっていない。
「アイザックの情報はないが、緑川レイカの調書がある。……これだ」
キオンがデータをヴェルに共有する。ARスクリーン上に展開された調書に目を通していく。
緑川レイカ。あの時、アイザックと一緒に居た女。ノアが保護して医療部隊に引き渡した後、ファントム本部で事情聴取されている。
調書によると、アイザックとは仕事の関係で知り合ったがまだ日も浅く、あの場は本当にただのパーティーに呼ばれたとしか思っていなかったようだ。酒を飲んでしばらく話した後、立ち上がったところで不思議と記憶が途切れているらしい。
唯一の発見は、彼女が働いていた違法配達屋というのが、瀬田ダンジの勤め先と同じだったことだ。裏の輸送ネットワークを経由して、アイザックが瀬田ダンジに接触した可能性がある。
調書に出てくる少女は、ノアのことだろう。
アリシアを知り、自らをこの世界の均衡を保つ監視者と名乗った緋色髪のマキナス。ノアもまた、あの時以来行方知れずだった。
「緑川レイカは、今はどうしてるんだ?」
「彼女が何かしたわけじゃないから、釈放されたよ。と言っても、アイザックが接触する可能性があるから、監視付きだけどな」
「なら、そっちは待ちか……」
「ああ……。おい、ヴェル。いいか、冴継の負傷はお前のせいじゃない。むしろ、お前がいたからこそ助けられたんだ」
相槌を打ちながらも、ずっとナタリの再生水槽から目を離そうとしないヴェルに向かって、キオンが心配そうな表情を浮かべて言った。
「だが、こいつの同行を許したのも俺だ」
ナタリは、まだ立場上は掃除屋見習いだ。それなのに、クメールルージュでは同じ空間にいるとはいえ、単独行動を許してしまった。自分に落ち度がないとは言い切れない。
何より、自分のせいで、また仲間を失いそうになった事実が、見た目とは裏腹にヴェルの心を締め付けていた。
キオンが椅子から立ち上がり、ヴェルの隣にきて、ぽんと肩に手を置く。
「そうやって冴継を眺めていても、任務は待ってくれないし、事件も解決しない。それに、今回の事件の闇は相当に深い。こういう時こそ、お前みたいな掃除屋の出番だろ」
「それは……分かっている」
「よし。じゃあ、俺とアイザックを探すぞ」
「俺と、ってどうするつもりだ?」
「知りたいか?」
キオンは怪しげな笑みを浮かべて言う。
「これから一緒に考えるんだよ! 行くぞ!」
肘でヴェルを突くと、服を引っ張って無理矢理、室外へ連れ出していく。
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