第7話
湖の近くに見えたのは、前世の知識で言うとクラーケンに似ているヨークという魔獣だ。見た目はタコのようだけれど、陸でも水中でも自由に生活することができる。タコとの違いはいくつもあるけれど、中でも塩水、淡水のどちらでも生活可能というところが面白い。
空から見てかなり大きく見えるので、十メートル以上はあるに違いない。領地にはいなかった魔獣なので、初めて本物を見ることができた。今までは本の絵しか見たことがなかったのだ。
ちなみに、この世界での単位もセンチやメートルを使う。ものの名前や単位などがそのままなのは、ゲームを作る時に細かい設定は作らないで使っている言葉にしたからだろうな。もちろん、ゲームのシナリオでも使われていた。さすがにお金の単位は円ではなく、ダラーになっていたけれど。でもダラーってドルだよね。
色々と適当さが滲み出ててすごいなって思ったけれど、おかげで私は前世の知識も使えるのでとても楽できている。
「ヨークってあんなに大きいんですね」
初めて見ました、と伝えれば、ヴィルヘルム様は悪戯を思いついたように笑う。多分、私が嬉しくてたまらないって表情をしていたからだ。
「近付いてみるか?」
「えっ? でも、かなり好戦的って書いてあったのを見ましたけれど」
「だが、届く範囲まで近付かなければ襲ってはこない」
それを聞いた私は、好奇心に負けて大きく頷いた。ヴィルヘルム様は後ろにいたマルクスさんたちに合図を送ると、私を抱え直し急降下する。
「ちょっ、なにしてんすかー!」
叫ぶマルクスさんの声が遠くで聞こえる。この急降下には私も驚いて、思わずヴィルヘルム様のたくましい腕にしがみついた。それでも、私の視線はしっかりとヨークを向いている。
大きな姿をしたヨークの足は長い。その射程距離には届かないギリギリのところまでヴィルヘルム様は近付いてくれた。
でも、私だってただヴィルヘルム様にしがみついていたわけではない。ヨークに話かけて、攻撃しないように頼んでいた。
どうもこのヨークは子育て中で、湖の中に子どもたちを隠しているらしい。危険だと判断し、攻撃する一歩手前だったとご立腹だった。私がしっかり見たいと言ったばかりに申し訳ないことをした。けれど、初めて会えてはしゃいでしまったためだと伝えたら、気を良くしたのか湖から引っ張り上げて子どもを見せてくれた。
「あれは子どもか」
「はい、はしゃぎすぎて驚かせて申し訳ないことをしたと謝罪したら、気を良くして見せてくれたんですよ」
「すでに、会話した後か」
「驚かせてしまったと思って……」
「いや、その判断が正しい。俺が軽率だった」
驚かせて悪かったと伝えてくれ、とヴィルヘルム様が謝罪を口にする。人間に対する態度と同じで、私は自然と笑顔になった。
「ええ、確かに伝えました。そうしたら、急降下は止めた方が良いわよ、って」
「――賢いな。魔獣は、人と同程度の知能があるのか」
「個体と種族にもよりますけど、賢いものもたくさんいます。最低でも三歳児くらいの知能はあると思ってもらえれば良いと思います」
「肝に銘じておこう」
「ふふっ。それじゃあ、またね」
ヨークに手を振り別れを告げ、再びマルクスさんたちの元へと向かう。戻るとレラとヨニさんは呆れ顔で、なぜかマルクスさんはぐったりとしていた。三頭は並んで飛んでいたけれど、ぶつぶつとマルクスさんは呟く。
「本当に勘弁して欲しいんですよねー。何かあったら、俺がどやされるんですよ」
「ごめんなさい。私が近くで見たいと言ったからなの」
「いや、それはいいんですよ。ただ、俺がお目付役だからなあ。暴走したら力ずくで止められるの、俺だけなんで」
誰が、誰の?
私が首を傾げると、ヴィルヘルム様は明後日の方を向いてしまった。
あ、もしかしてヴィルヘルム様のお目付役がマルクスさん? でも、出発前はマルクスさんの方がヴィルヘルム様に窘められていたけれど。歳は同じ位だと思うし、どういうことだろう。
うーん、と唸っている私に話かけてきたのはヨニさんだ。
「えーっとですね、もうどうせバレちゃうので先に言っておくんですけど、ヴィルヘルム様は思慮深く思いやりがあって普段は人格者なんですよ。でも、本当に何事にも大雑把でイタズラ好きで戦闘狂なところがあるんですよね」
「そうなんですか」
「いやいや、それで良いんですか?」
目を丸くしながら言われたけれど、そこまで気にするところなのだろうか。悪戯好きなのはなんとなく気付いていたし、大雑把なのは特に気にならないし、戦闘狂だろうと普段は普通の人なのだ。何か問題あるだろうか。
「全部ひっくるめてヴィルヘルム様ってことですよね。私は構いませんけれど」
問題行動起こすとしたら私の方が多くありそうだし、振り回してしまうのは私の方だと思う。
「ですが、今までのご令嬢たちは逃げ出してしまったんですよ」
なるほど。それで結婚せずにいたのか。ありがとう、逃げ出した人たち。
「その方たち、見る目がないんですわ。そもそも、どの時点で逃げ出したんですか」
「魔獣や隣国との戦闘時ですかね」
「それはきっとヴィルヘルム様のせいではなく、ただ単に魔獣や隣国が怖かっただけでしょう。タルヤ様が前線に立っているのだから、いずれ自分もそこへ行かねばならないと考えたのかもしれませんし」
ただの口実ですよ、と告げれば、皆が目を瞬いていた。レラだけが無表情で前を見つめている。
「何から何まで完璧な人なんていませんし、私はこれからヴィルヘルム様のことを知ろうと思っているので問題ありません。暴走だって止める自信があります」
「えー、さすがにそれは難しいんじゃ」
マルクスさんが頬をかきながら言うけれど、私は続ける。
「私の話を聞いてくれましたから」
昔、私に会うまで戦闘をしていた緊張感ある中で、怪しげな少女が魔獣と共に現れて話しかけても真摯に答えてくれた。話を聞いてくれるのだから、止める術はある。
「ね、ヴィルヘルム様」
「そうだったな」
柔らかくヴィルヘルム様は笑う。
ああ、と私は気が付いた。
あの時、私が蒔いた種は芽吹いて、可愛い花を咲かせたのだと。
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