36話:「この世界のいろいろな価値観」



 エルノアを詰め所から連れ出した翌日、彼女の服を新調するため、今三人はフランプールの中央市場に足を運んだ。詰め所を出た後すぐに買い揃えたかったが、エルノアの体のことも考え丸一日休ませたのだ。



「ご主人様、奴隷の身である私ごときに服など……」



 そう言い終わる前に、彼女の言葉を手で遮りながら、彼女に向かって大げさにわざとらしく話しかけた。



「いいかいエルノアさん。俺は別に君のことを奴隷として仲間にしたんじゃないんだよ? それに奴隷なんてものは必要ない。これからはただのエルフ族のエルノアとして生きていけばいいさ」



 そう言って、エルノアの頭に手をポンと置きながら言い含める。まるで駄々をこねる子供に言い聞かせるように。一瞬顔が緩みかけたが、いかんいかんとばかりに顔を正し反論する。



「いいえ! 命を助けられた恩を返すために、私はあなた様にお仕えすると心に決めたのです」



 これは説得は無理だなとそう判断した大和は、別のアプローチを試みる。



「なら奴隷としてじゃなくて、勇者に仕える者として一緒に旅をしよう! そのためには、勇者に仕える者がそんなみすぼらしい格好をしてちゃマズいと思わないかい?」



 大和の言葉を受けて自分の着ている服に視線を落とすと、ようやく納得したのか、遠慮気味にコクリと頷く。



「わかりました、ご主人様がそうおっしゃるなら……」



 そう言いながら、麻で作られた奴隷服の裾を掴み、照れ臭そうにモジモジするエルノア。彼女の見た目でその仕草は、まさに反則という名の何者でもない。大和は照れを隠すためにさらに彼女に話しかける



「そのご主人様っていうのもやめない? 大和でいいよ」


「そういうわけにはいきません!!」



 その後「大和でいいんだよ?」と言ってみるものの、きっぱりと断られてしまった。どうやら彼女の中で線引きのようなものがあるらしく、頑なに「ご主人様」と呼びたがっていたが、そこは「主の命令は絶対だ」発言を使い、なんとかリナと同じ呼び方で呼ぶという妥協をしてくれた。そのやり取りを見ていたリナが、エルノアに釘を刺す。



「いいですかエルノアさん。ヤマト様の家来になったからといって、変なことはしないでくださいよ? そういうのはこのリナの役目なんですから!」



 そう言って、胸を張りながらドヤ顔で答える彼女に対しエルノアが反論する。



「ただの旅のお供であるリナ様に、そのような役目を押し付けるのは酷というもの。それこそ、家来であるこのエルノアの役目でございます!!」



 そう言いながら、リナの胸に自分の胸を押し付け反撃する。4つの膨らみが重なり合い「ぐにゅり」という効果音が出そうなくらい形が変形している。正直目のやり場に困ってしまうほどに……。



 その行為がケンカの開幕の合図だったかのように、二人ともまくし立てるようにお互いの言い分をぶつけ合う。最初はリナからだった。



「大体、エルノアさんは最初からヤマト様に対して馴れ馴れしすぎじゃないですか? ここまで私がヤマト様と二人三脚でやってきたのです。私のヤマト様を誘惑しないで!!」



「いつお前の物になったんだ?」というツッコミをする前に、エルノアの反論が始まった。



「別に馴れ馴れしくなどしておりません。それにもしそう見えたのでしたら、それは家来として当然の行為だと思います! それとヤマト様はあなたのものではありません!!」



 最後の一言に関しては「よく言ってくれたと」心の中で褒める大和。そして、お互いが睨み合いになり、どちらからともなく取っ組み合いのケンカに発展した。



 俗に言う【キャットファイト】というやつだろうか、お互いの頬を引っ張り合ったり髪の毛を引っ張ったり、服を掴み前後に揺らしたりなど、男の殴り合いとは違うものの収拾がつかない状態になっているのは明白だ。



 その光景を目の当たりにして、まず不思議に思ったのが誰も彼女たちのケンカの仲裁に入らないということだ。



 それどころか、まるで日常茶飯事だといわんばかりに、視線を向けてはくるもののすぐに元の視線に戻し立ち止まらずに、目的の場所に向かって行ってしまうのだ。



 その理由は簡単だ。そもそもこの世界は大和が元居た世界とは違い、男女の価値観が根底から違っている。



 この世界の男女の貞操観念や恋愛観といったものは、大和がいた世界と全くの逆と言っていいものだ。



 例えば、普通デートに誘うのは基本的に男から誘うものだが、この世界では女の方から誘うのが常識なのだ。他にもデートで使うお金も女が基本支払いをする。男は基本的に何もしない。つまり、この世界は肉食系女子と草食系男子というジャンルが基本ベースとなっているのだ。



 さらに手を繋ぐとき、キスするとき、抱きつくときなどそういった行為は全て女の方からしてくるものなのだ。



 だからこそ、一人の男を取り合って女同士がキャットファイトを繰り広げるというのは、珍しい光景ではない。寧ろ頻繁によくあることなのだ。



 逆に言えば、男同士で殴り合いのケンカがあった場合、この世界ではほぼ100%の確率で仲裁が入ることになる。「男同士でケンカするもんじゃない」という決まり文句で。



 そのことを二人のケンカを止めた後で知ることになる大和だったが、今はそのことを理解していないため、仲裁に入る。



「お前らいい加減にしろよ!」



 そう言うも、二人のケンカは収まる気配はない。何度目かの仲裁の言葉を言ってみたが、ケンカが収まる気配がないため、苛立ちを覚えた大和は強行策に打って出ることにした。



「ばあちゃん直伝、必殺! あいあんくろおおおおおおおおおおおお!!」



 出た、伝家の宝刀アイアンクローだ。二人の顔面に、大和の手が食い込み無遠慮に締め上げている。



 言い忘れいたことが一つあった。この世界におけるもう一つの価値観、それはSとMの性癖に関するもので、先ほどこの世界は肉食系女子と草食系男子に分かれると言ったが、普通であれば肉食系がSで草食系がMということになる。



 だがこの世界では、草食系男子に関してはノーマルなのだが、肉食系女子は超が付くほどのM、所謂ドMなのである。



 さて話を戻すが、今大和は二人に対してアイアンクローを掛けているところだ。先ほどこの世界では女はほぼ全員ドMであるということを説明した。さあ、二人の今の状況はどうなっているのだろうか? 答えは単純明快。



 顔は大和の手で覆われて全ては見えないものの顔は紅潮し、痛みという信号が脳を刺激しドーパミンと言う物質を生成。それが性的な興奮と快楽を感じさせ、二人は麻薬にも似たトリップ状態になっていた。



 二人の様子(リナはいつものことだが)がおかしいと気付いた大和は、アイアンクローを止め、二人の体を揺さぶった。ほどなくして、トリップ状態から舞い戻ってきた二人が意識を取り戻す。



「お前ら、大丈夫か? 少し強くしすぎたか……」



 そんな独り言のような呟きに、二人は耳ざとく反応した。



「「そんなことありません!!」」


「寧ろ、もっと強くして欲しいくらいです……」



 そうリナが言うと、エルノアも激しく同意といった風に首を縦に何度も動かす。



 その後、二人にどういうことなのか尋ねると、先ほどの説明と全く同じ内容を聞かされた大和は頭を抱えて落胆する。



「つまりは、さっきのアイアンクローはお前らにとってはご褒美みたいなもので、いわゆるこの世界におけるプレイみたいなもんか?」



 二人が大きく首を縦に振った。この時初めて気が付いてのだが、二人がケンカしていた時には、通行人が立ち止まることすらしなかったのにも関わらず、先ほどのアイアンクローによって数十人の見物客が大和たちを見ていた。



 そのほとんどが女性で、その表情はほぼ全員顔を紅潮させ、羨望の眼差しと感嘆の声を上げていた。



 その場にいるのが気まずくなった大和は、二人に「先に行くぞ」と伝え足早にその場を後にした。



 その後、エルノアの服やこの先旅に必要な雑貨などを買い揃えた。余談だが、また先ほどのように些細なことでケンカになった二人だったが、大和がアイアンクローの構えを見せると顔を突き出し「どうぞ」と言わんばかりに要求してきたが、呆れた大和がそのまま二人を放置して行ってしまったことは想像に難くない。



 旅の準備を終え、三人は一度宿に戻ることにした。因みに、エルノアに買った服はよく森の狩人が装備するような軽装の装備で、魔獣の皮で出来たブーツに白を基調としたフリル付きのシャツ。そして、緑のフード付きコートやその他にも、弓矢や短剣などといったエルフとして戦闘に必要な最低限度の装備一式を購入した。



 他にも、寝るとき用のパジャマや戦闘以外で着る服も買う予定だったが、「これ以上ヤマト様にご迷惑をおかけするのは……」という一言で、とりあえず戦闘服だけといった感じで揃えた。



 一息ついた三人は、今後のことを話し合う前に、まずニルベルンに出立の挨拶をするため彼の屋敷に向かった。



「これはこれはヤマト殿、いかがされましたか?」



 先日の宴の折に意気投合した大和とニルベルンは、「様」ではなく「殿」という多少砕けた感じの呼び方になっていた。



「旅の準備が整ったので、ここを出ようかと思い最後にニルベルンさんに挨拶をしておこうと伺いました」


「それはわざわざありがとうございます。ああそうだ、こちら今回の依頼の報酬になります。どうぞお受け取りください」



 そう言って、ニルベルンは別の部屋から運ばれてきた大きな宝箱を三人の前に並べて、差し出した。



 中には宝箱いっぱいのゼリル金貨が入っており、少なく見積もっても100万ゼリルは下らない金額だった。因みにこの世界の通貨は金貨・銀貨・銅貨の三種類あり、金貨は1000ゼリル、銀貨は100ゼリル、銅貨は1ゼリルという具合だ。



 つまり100万ゼリルは、金貨に枚数換算すると金貨1000枚になる。少ないように思えるが、これはかなりの大金なのだ。



 こんなに受け取れないという大和の意見に、ニルベルンは受け取ってもらわないと困りますと答え、押し問答が数回繰り返されたのち大和が折れる形で報酬を受け取ることにした。



 そして、最後にお世話になりましたと大和たちが挨拶をし、屋敷を後にしようとした時、思い出したようにニルベルンが大和に告げる



「そうだ、ヤマト殿折り入ってお願いを聞いていただけないでしょうか?」


「なんですか?」



 大金をもらったんだ、多少のわがままを聞いてあげないとこっちが寝覚めが悪いというものだ。



「この手紙を、ジェスタにいるバイゼル司教に届けてくれませんか?」



 ジェスタに戻ることになってしまうが、100万ゼリルのこともあったため快くその依頼を受けることにした。その後屋敷を後にし、帰り道で大和が口を開く。



「次の目的地は決まったな!」



 そう言うと、大和は振り返りリナとエルノアに向けて宣言する。



「次の目的地は、ジェスタだ!!」

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