25 愛を歌えば言葉足らず-琴葉-

 暖かい日差しで目が覚める。心地の良い休日。今日は何も予定がない。何をして過ごそうか。


 私は横浜の大学に進学し、実家暮らしのまま四年間を過ごした。

 バンドメンバーだった奏と瑞季はそれぞれ地方の大学に行ってしまったため長く会っていない。去年、大人の要望でバンドの活動に関する本を出版したのだが、それに関するやりとりをメールでしたのが最後だ。


 一樹と一果、朱莉とは今も一年に一度のペースで会っている。集まるのは大体は陽向の命日である三月十九日だ。



 ——はっ、としてスマホの画面を開き、日付を確認する。うわ。完全にやってしまった。


 今日が、三月十九日だ。今年はまだグループラインも動いていなかった。ごめんよ陽向、決して忘れて…いや、忘れていた。やっと落ち着いたが、就職関係やら卒業の行事やらでずっと忙しかったのだ。恐らく皆そうだったのだろう。

 私は無事希望していたレコード会社への就職が決まっている。


 布団から出て、物が散乱した部屋の中を見回す。部屋の汚なさは心の中を表していると言うが、本当にそうかもしれない。少しずつ片付けなければ。とりあえず机の上に放りっぱなしだった一週間ほど溜めていた自分宛の郵便物を確認する。大体が大学や、就職先からの書類だった。

 そんな中、一枚だけ葉書が混じっている。

 誰からだろうと思い、裏返して宛名を確認する。そこに書かれている文字を見て、思わず目を疑う。


 信じられないことにそこには森本陽向の名前があるのだ。急いでもう一度裏返し、そこに書かれていることを読む。

 ざっと見たところによると、

『自分が死んでから何度目かの春が来て桜は咲き始めているだろうか』

『最後の手紙には書いていないこと、まだ琴葉に渡していない大切なものがある』

『それは中学校の桜の樹の下に埋めてあるから、掘り出してほしい』

『一番最初に琴葉が歌っていた歌をまた聴きたい』

『その日、自分は中学校にいる』


 そんな事が書かれていた。

 どうしたものかと少し考えたが、運良く今日という日にこの葉書を見つけられたのだ。しかも今日一日は空いているので数年振りに町に帰ろうと決意する。

 最近は部屋の奥にしまってあったアコギを取り出し、きちんと音が出るのを確認してからケースにしまう。


 親に出かけてくるとだけ伝え、ひとまず鞄を持って家を出る。


 横浜駅で乗り換えて東海道線のホームに降り、下り方面に向かう電車に乗り込む。こちら側の電車に乗るのなんていつ振りだろう。


 いつの間にかすっかり大人になってしまった気がする。電車の窓の外を眺めていても疲れた自分の顔が写り、嫌になるだけだ。


 最寄りの駅につくと、自然と懐かしさが込み上げてくる。気がつけば過去が思い出に変わっている。

 バスに乗る。陽向の顔を思い出す。彼は本当に見に来てくれるのだろうか。


 終点の町役場前で下車し、かつて毎日歩いていた坂を登り、中学校につく。見たところ、あまり変わった様子はない。


 職員室に行くと、若い先生が中学二年生当時私の担任だった先生を呼び出してくれた。先生はなんと、唯一ずっと同じ中学に残り今では教頭というポジションになっているという。ここを出てから八年という、一見短いような歳月の長さを感じる。


 先生に「葵さんの歌、ずっと聴いていたよ。ずっと音楽室で森本くんたちに歌ってたもんね。また歌を出してくれたら先生嬉しいな」なんて言葉をかけられる。生徒だった頃は、特に何も感じなかった先生の話が、今はとても心に沁みる。これも大人になるということだろうか。


 先生と少し話をした後、ギターを背負い直し校舎を出た。音楽室のちょうど窓の外へと行き、桜を見上げる。

 早咲きの桜は、今年も堂々と咲き誇っている。


 近くの用具入れからスコップを持ってきて、思いっきり地面の土に突き刺す。それを力一杯倒して土を脇に盛る。

 二、三度繰り返したところですぐに金属でできた大きな箱に当たった。急いで周りを掘り返し、やっと蓋が開けられるくらいになる。

 そのサイズは思っていたよりも大きい。こんなに何を入れたんだろうかと不思議に思いながら、しゃがみこんで箱の蓋に手をかける。


 ドキドキする。子供の時に感じるプレゼントを開ける時のワクワクと、そこまでして彼が残したかったものとはなんだったのだろうかという疑問や不安感で、胸の鼓動が早まっていく。


 ガバッ

 箱を開けて中を見る。


 はっ。思わず息を呑む。

 その中身は、見た瞬間すぐにわかった。数冊、いや十数冊のスケッチブックが積み上がり、その脇に丸められたポスターのような紙が置かれている。


 しゃがみ込み、その一つ一つを確認する。

 一番上にあるのが、”No.36”のスケッチブック。

 この数字は彼が幼少期から使い続けている、全てのスケッチブックの通し番号だと前に彼が言っていた。

 確か私と出会った頃にNo.25、バンドのジャケットをお願いした頃にNo.30を使っていたのを覚えている。

 彼が亡くなった時に貰った、No.35までを見て確かに少し違和感を感じてはいたが、まさかまだ続きがあったとは思わなかった。


 そしてスケッチブックを全て持ち上げるとその下にタイトルのないノートが数冊あった。

 表紙を開き、中を見る。

 最初のページには、『何もなかった自分の日常が変わり始めてから、日記をつけることにした』

 と書いてある。

 どうやら五月頃に始まったらしいその日記は私との出会いの描写の回想から始まり、中学二年生の一年間のことが書かれていた。

 少しその内容を見る。とうの昔だと思っていた、この校舎にいた頃の思い出が鮮明に蘇ってくる。

 パラパラとページを捲っていくと、最後のページに目が留まった。

『琴葉へ』とタイトルが書かれたそのページを上から一文字も見逃さぬよう、丁寧に読んでいく。


____________________

 琴葉へ


 体調が悪くなる前に周りのみんなに一枚ずつ手紙を書いたんだけど、琴葉にも読んでもらえたかな?あの時は伝えたいことは伝えられた気でいたけど、まだ書き忘れたことがあったから、またここに同じタイトルで書いてる。


 実は僕、琴葉と出会って日常が変わってから日記を書き始めたんだよね。

 最初はこんな幸せな日々いつ終わってしまうかわからないと思ってたから、その日常が終わったあとに読み返して幸せな気分に浸ろうかな、なんて考えて書き始めたものだったんだ。

 だけどずっと持ってた病気が再発して、思ってたよりも早くこれを見返す事になっちゃった。


 それでね、中二の一年間を思い返してみて気づいたんだ。

 琴葉にはやっぱりずっと歌い続けて欲しいって。

 今は琴葉の歌が世界中に届いてて、思うがままに歌っていられていると思うけど、ずっとそうは行かなくて、いつか終わりが来ると思うんだ。僕たちの日々に終わりが会ったように。


 だけど、それでも負けないで歌い続けて欲しい。僕のためじゃなくて、世界中の琴葉の歌を待ってる人たちのために。

 だから、出会ったときからはずっと琴葉が僕の絵を沢山の人に届けようとしてくれてたけど、これを読んでいる今日からは僕が琴葉の歌を沢山の人に届ける手伝いをするよ。


 これが読まれるのは多分五年とか、十年後くらいになると思う。

 その時まで琴葉が歌い続けていれば良いんだけど、そうじゃなかったら一緒にあるはずのスケッチブックを使ってね。

 僕がどれだけしぶとく生きられるかにもよるけど、多分十冊くらいあるはず。

 ここに描いてあるのは今までのよりも使えるのが多いと思うから、ちゃんと使ってね。


 ついでにこの日記も琴葉に残しておくよ。

 もう十分振り返ったからね。このままいけば幸せな気持ちで眠れそう。


 あ、だけど最後に一回だけ僕のために歌って欲しい。

 僕のための歌はこれで最後でいいからさ。

 僕が最初に琴葉の歌を聞いたときのアレ、歌ってよ。

 何気に最初の時以来歌ってもらったことないしね。

 あの時の魂が震えるような感覚に、もう一度なってみたい。


 これが僕からの本当に最後のお願い。

 それじゃあ今度こそ、お別れだね。

 ばいばい。

 永遠に、愛してる。

____________________


 これまでずっと抑えていた涙が、溢れてくる。陽向が亡くなってから今日まで、泣いたのはたった一度だけだった。

 私は陽向に涙なんて見せちゃいけない。頼りになる存在じゃなきゃいけないと思っていた。だけどもういいのかもしれない。


 行が進むに連れ細くなる字で綴られた陽向の思い、消えてしまいそうな筆跡の『愛してる』を心の奥の奥で受け止める。

 違う、私たちの互いへのこの感情は『愛してる』なんて月次つきなみな表現で表せるものではない。それは陽向もわかっていたはずだ。

 それでも、その感情に限りなく近い言葉で表そうと、伝えようとしてくれたのだろう。これを受け止めずして、日記や彼の作品たちから陽向の人生を受け止めることなんてできない。


 ふと私への最後の言葉が綴られたページに幾つもの水滴が滲んでいるのに気がつく。私は慌てて目を拭い、ノートを閉じる。


 空を見上げてひとつ伸びをし、ケースから出してギターを手に取る。


 桜の樹に寄り掛かる。鮮やかな花弁が待っている。

 いつかの絵を思い出す。あれは今でも、部屋に飾ってある。



 さあ、陽向の最後のわがままでも聞いてあげるとするかな。


 さらさらと風が吹く音がする。ひとつ深呼吸をしてアコギを鳴らし始める。

 その音は校舎に反響し、青空へと広がっていく。


『高架橋を抜けたら雲の隙間に青が覗いた

 最近どうも暑いからただ風が吹くのを待ってた』


 周りを見渡す。春を彩る草木が揺れる。


『木陰に座る

 何か頬に付く

 見上げれば頭上に咲いて散る』


 一羽のアゲハ蝶が私の足元に止まる。目が会ったような気がする。


『はらり、僕らもう息も忘れて

 瞬きさえ億劫

 さぁ、今日さえ明日過去に変わる

 ただ風を待つ

 だから僕らもう声も忘れて

 さよならさえ億劫

 ただ花が降るだけ晴れり

 今、春吹雪』


 サビを歌いだした瞬間、始まりの日の出来事がフラッシュバックした。

 それからの日々の出来事がまるで走馬灯のように脳内を駆け巡る。

 絵を描くときの彼の表情、花火を眺める時の横顔、夕日に染まった猫背の後ろ姿。

 流れる涙はとどまるところを知らない。


『川沿いの丘、木陰に座る

 また昨日と変わらず今日も咲く花に、』


『僕らもう息も忘れて

 瞬きさえ億劫

 花散らせ今吹くこの嵐は

 まさに春泥棒

 風に今日ももう時が流れて

 立つことさえ億劫

 花の隙間に空、散れり

 まだ、春吹雪』


 空を見上げる。桜色の花弁の隙間から淡い青空が覗く。雲が流れる。

 無数の花弁が舞い降りていく。


『今日も会いに行く

 木陰に座る

 溜息を吐く

 花ももう終わる

 明日も会いに行く

 春がもう終わる

 名残るように時間が散っていく』



『愛を歌えば言葉足らず

 踏む韻さえ億劫

 花開いた今を言葉如きが語れるものか』



『はらり、僕らもう声も忘れて

 瞬きさえ億劫

 花見は僕らだけ

 散るなまだ、春吹雪』


『あともう少しだけ

 もう数えられるだけ

 あと花二つだけ

 もう花一つだけ

 ただ葉が残るだけ、はらり

 今、春仕舞い』



 ほうと息を吐き、歌い終わった高揚感とともに今の気持を噛み締める。

 そして改めて涙で濡れた目元を拭う。

 ふと、足元にいた鮮やかなアゲハ蝶がひらひらと舞い上がっていくのが目につく。

 空高くへと消えていくそれを目で追う。


 蝶を見失ったところで立ち上がり、ワンピースに付いた泥をパッパと払った。


 陽向の魂が入った重い箱を手提げの鞄に入れる。ギターを背負って学校を出る。

 強い風が吹いて、桜の花弁が別れを惜しむかのように此方に舞ってくる。

 頬についた一枚の花弁をポケットに入れ、私は再び歩き出した。





 (了)

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