9 夏祭りで-陽向-

 だるような暑さの道を歩く。普段なら今日一日起きるであろういつもと変わらない出来事を思い浮かべ絶望の淵へと落ちていくが、今日は違う。

 その理由はもちろん、最近琴葉のおかげでクラスにも何人か友達ができて日々が少し楽しくなったというのもある。が、そうではなくて今日は終業式なのだ。


 明日から夏休み。この日が一年で一番好きかもしれない。なんと言っても、授業を受けずに帰ることができるのだ。その開放感たるや言葉にできない。

 帰って絵を描いても、どんなにだらけていても、遊びに行っても(これは最近覚えたことだが)、何をしても良いのだ。なぜならしばらく学校がないから。


 そんな軽い足取りで学校に向かっていると肩を叩かれた。琴葉たち三人だ。

「おはよー、陽向!」


「おはよー」

 特段面白みのない返事を返す。やはり彼女も気分が良さそうだ。小林や早坂もいつも通り肩を並べて仲が良さそうに歩いている。


「あ、そうだ森本、ウチら今一緒に夏祭り行こうって話してるんだけどさ、森本もどうよ?」


「ん、森本誘うのいいね。男の子いた方が楽しいかも!ねえ行かない?」

 早坂の思いつきなのだろうがそれに賛同した小林との二人の圧の強さに押されそうになる。行きたいけれど、お祭りで男が僕だけというのも気まずさがある。一樹は部活の友達と行くだろうし。圧に負けるな、自分。


「うう、僕はいいかな。」


「えー、なんでよ!つまんないの〜」


「ね、せっかく誘ったのにねぇ」


「まあまあ、二人共、陽向を困らせないでよ〜」

 さすが琴葉だ。よく分かってくれている。ありがたやありがたやと心のなかで手を合わせる。


「じゃあ琴葉は陽向に来てほしくないの?」


「えっ!いや、それは来てほしいけど、、」


「ほらね、琴葉もこう言ってることだし、大人しく来なさい?」


「んー、じ、じゃあ一樹が来てくれるって言ってくれたら良いよ」


「よし!教室入ったらすぐ聞いてね!すぐだよスグ!!」


「う、うん、」

 結局彼女の圧に押されてしまったことに若干の悔しさを感じつつ教室に向かう。



 教室に入り、席につくと同時に先程の件を一樹に聞いてみる。

「夏祭り?あー、十日後の?うーん、俺は部活の人たちと行こうと思ってたんだけどまだ約束したわけじゃないしな、どうしよう」


「そ、そこをなんとか!行かないと早坂にあ、圧で殺されちゃうんだよ」


「んーまあ、今言ったみたいにまだ約束したわけじゃないし、そこまで言うんだったらいいよ」


「やった!本当にありがとう〜」

 今度は一樹に現実リアルで手を合わせる。



 そんな思わぬ災難(?)がありつつも無事短い一日を終え、帰路についた。十日先のことが少しだけ、ほんの少しだけ楽しみになった。


 ○

 ○

 ○


 約束の日が訪れた。ベッドから出てカーテンを開ける。真夏のむさ苦しい、だけど清々しい朝だ。

 ここ数日はほとんど家から出ることもなくずっとエアコンの風にさらされていたのであの暑さを生身で受けると思うと少し億劫だが、心の底にあるワクワクとした気持ちを抑えることはできな、いつもより三時間も早く目が覚めてしまった。


 丸く艶のある卵とソーセージをフライパンに乗せて火をつけ、トースターに食パンをセットする。久々の健康的な朝食だ。

 夏休みに入ってからは昼前に起きてダラダラと支度をし、祖父のいるアトリエで絵の腕を磨くという生活を送っていた。


 予定があるというだけで一日が楽しみになるものなのだな、と思いながら程よく焼けた食パンをかじる。

 スマホを開くと昨日の夜から盛り上がっていた五人のグループラインの通知が溜まっていた。他の四人は夏休みといえどもほぼ毎日部活があり忙しいようだ。それに比べて我が美術部の怠惰さと言ったらない。まあ運動部に入らなくてよかったとつくづく思ったりもするのだが。

 集合は昼過ぎだが今日は早めにアトリエに行ってキリがいいところまで終わらせてしまおう。




 いつもは静かな町が今日はお祭りムード一色でなんだか新鮮な気分だ。この祭りは毎年この時期に行われているが、今まで行こうなどと思ったことがなかったので何を準備していけば良いのか少し戸惑ってしまう。


 午後四時半、祭りが行われる八幡神社にほど近い郵便局の前で琴葉たちとの待ち合わせをしている。僕が到着した頃には既に皆集まっており、こちらに手を振っていた。LINEでも話していたとおりに女子は三人とも浴衣を着てきている。普段とは違う彼女たちの装いに少し胸が高鳴る。


「お、お待たせ、もうみんな来てたんだね」


「うん、私たちは先に待ち合わせてから来たし、一樹くんはだいぶ早いうちから来てたよ」


「今日は部活もなくて暇だったしね。盛り上がってるの眺めてて気づいたら三人が来てたよ」


 丁度目の前の通りには無数の人だかりとともに神輿が来ていた。沢山の男たちがワッショイワッショイという掛け声でそれを担ぎ、神社のある橋の方へと向かって行く。その後について僕達もゆっくりと歩き始める。


「今年もすごい人だね〜ほんとこの町のどこにこんなに沢山の人がいるのか分からないや」


「ね〜でもたまにはこんな日があってもいいよね」


「ね、テンション上がるよ!」

 女子三人組は相変わらず仲良さげに他愛もない話を交わしている。


「俺、去年は部活の人たちと来てたんだけどそうじゃないのも良いね。陽向は去年誰と来たの?」


「お祭りなんて来たことないよ。こ、ここにいるみんなと友達になるまではと、と、友達なんていなかったし。」


「あー、ごめん。」


「いや、いいんだよ。僕は今が楽しいから」

 あれ、とふと思った。僕はいつからこんなことが言えるようになったのだろう。琴葉に出会って、いつの間にか一樹たちとも話せるようになって、今では一緒にお祭りに行くほどの仲になっている。他人ひとって案外怖くなくて、気楽に関わって良いものなのかもしれない。話しながらそんな事を考え、祭り囃子の喧騒が響く町を歩いていた。



 神社に近づくにつれ人が増えていく。日が暮れる前の祭りの景色というのは、日常と非日常がバケツに垂らした絵の具のように混ざり合い、何とも言えぬ雰囲気を醸し出す。

 長い階段の下にある最初の鳥居の前まで来ると、僕らと同い年かそれより少し小さい子どもたちが太鼓や篠笛を鳴らす山車が数台止まっていた。そこには見たことのある顔がちらほらと見えた。今までの僕なら見つからないように顔を逸らしていただろうが、そうはしなかった。

 そんな事を考えていると一樹にトントンと肩を叩かれた。


「お…に屋台……から……ない?」


「ん?」

 囃子の音に掻き消され、一樹の話す声がよく聞き取れない。


「奥に屋台があるから行ってみない?」


「あ、いいね」


 前を歩く女子三人にも叫ぶようにして声を掛け、鳥居をくぐって角度の急な階段を登る。部活をやっている彼らにはこんな登りは屁でもないのだろうが、体育の授業以外で殆ど運動の習慣のない僕はこの短い階段ですらも息が上がってしまう。


 そんな階段を登りきり、老若男女沢山の人でごった返す境内を歩く。


「神社なんてなかなか来ることないしお参りしとく?」

 小林が本殿の方を指して訊く。


「そうだな〜折角だしそうするか」


 五人でぞろぞろと奥の本殿に向かう。歩きつつそれぞれが財布を開き、五円玉あるー?などと聞き合う。

 二、三の段差を上がり、こじんまりとした舎に向き合って、二礼二拍手一礼。頭の中で願い事を思い浮かべる。僕の願い事は勿論、絵がコンクールで評価されますように、だ。


 皆がほぼ同じタイミングで顔を上げた。向き直って境内へと戻る。


「一果、何お願いした?」

 早坂が小林の顔を覗き込み聞く。


「えー、内緒だよ」


「むっ、まあそんなもんか。琴葉は?」

 早坂は頬を膨らませつつ、前を歩いていた琴葉に投げかける。


「え、私は陽向の絵がコンクール通りますようにって」


「本当にそれだけ?」


「う、うん。そうだけど、、?」


「はあ、そうなのね。まあ良いんだけど〜」

 僕には早坂の言っていることがよく分からなかった。どういうことなのだろうか。琴葉もキョトンとしている


 彼女の行動に疑問を感じつつ、幾つかの会話を交わして境内脇の坂を降りて広場にやって来た。校庭の三分の一ほどのスペースに沢山の屋台がずらっと並んでいる。


「うわぁ、す、すごい。」

 これまで映画や小説の中でしか見たことがなかった風景が広がっていて思わず声を上げてしまった。


「森本、屋台見るのも初めてなの?」

 一樹が珍しそうに聞いてくる。


「うん、小さい頃は日本にいなかったし、お、お父さんも家にいるわけじゃなかったから」


「え、日本にいなかったって?森本海外にいたの?」


「え、そうだけど?ヨーロッパにいたよ」

 そういえばこれは琴葉にしか言っていなかったか。


「へぇ、なんかすごいね」


「ねえねえ、お二人さん、ちょっと私たちチョコバナナ買ってくるからどこか好きなとこ見ててよ」

 一樹とお祭りらしからぬ話を繰り広げていると早坂が振り返って言った。今日の彼女はなんだか元気だ。


「ぼ、僕たちも行くよ、、?」


「いーのいーの、私たちが食べたいだけだから」

 そうして半ば強引に小林と琴葉を連れて奥の屋台へと行ってしまった。


「えっと、ど、どうしよっか?」


「んー、俺たちもなんか屋台で買ったりする?あ、射的は?」


「や、やったことないからき、き、興味ある!」


 僕らは近くにあった射的の屋台に向き直った。これも初めての経験なだけに気が引き締まる。

 二人で交代しつつ、何度も銃を打つ。そして三回お金を払ったところで、やっと目指していた的に当たった。


「「やったー!!!」」


 思わずハイタッチをする。店員のおじさんから景品を受け取った。


「これ、いつかみんなでやろうね」

 思わずそう言いながら勢い良く一樹の背中を叩く。


「そういえば葵たち遅いね?」


「確かに、、あっ!来たよ!ほら後ろ」


「おーい、遅かったね!」

 一樹と遠くから向かってくる三人に手を振った。


「そ、そう?あ、これ私と一果がじゃんけんに勝って二人の分のチョコバナナもゲットしてきたよ!」

 そう言って琴葉が僕らにチョコバナナを差し出してくれた。

 お祭りにはじゃんけんでおまけしてもらえるなんてこともあるのか、と感心する。

 確かに一樹が言うようにじゃんけんをしていたにしても遅かったような気もするが、僕らが熱中していたからそんなような気がしているだけなのかもしれない。


 *

 *

 *


 チョコバナナや、その後みんなで買ったお好み焼きを河原で食べ、その時を待った。今日は川の少し上流の河原で花火が打ち上げられるのだ。


「そろそろかねー?」

 花火の開始を待ち河原に佇む人の数が増えてきた。食べていたパックのゴミを片して、他の客と同様に山の間に流れる川をぼーっと眺める。


 ドンッ、という音とともに地平線の向こうから光が上がり、その種がぱっと花開いた。

 思わず息を呑む。


 色とりどり、数々の光の花が夜空に咲いて、往く。


 その間隔は少しずつ短くなり、打ち上げられる花火の量と種類が増えてゆく。ドンドンと低い音が心臓を揺らす。周りを見渡すと、僕と同じように沢山の人が空を見上げている。僕の両隣にいる一樹や琴葉も、そしてその奥にいる小林と早坂も。

 ふと、琴葉と目が合う。彼女はニコッとこちらに笑顔を向け、また視線を空へと戻した。空で輝く光たちに照らされ、彼女の横顔が点滅する。


 僕はこの色とりどりで眩いばかりの景色を、それを眺める四人の友達の表情を、一生忘れないだろう、そう思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る