2-1 うつむいているくらいがちょうどいい-陽向-

 週が開けて、月曜日が過ぎ、次の火曜日ももう終わろうとしている。

 長い一日の終わりを告げるチャイムが鳴る。僕は教室の端から、気付かれないように葵さんを盗み見た。彼女は今日は部活がないようだ。昨日は、ボールや着替えなどが入っているであろう大きな荷物を持って体育館に向かっていた。


 ふと思ったが、彼女が普段ギターを持っているのは見たことがない。あれはどこから持ってきているのだろうか。そんなことを考えているうちに彼女は友人との会話を済ませ、早々とひとり教室を後にしていた。今日も音楽室に行くのだろうか。

 僕も荷物を持って教室を出、階段を登った。今日もひとり美術室に籠もるのだ。



 バケツに水を入れ、筆にそれをたっぷりと含ませる。幾つかの絵の具をパレットに押し出し、筆をさらさらと回し脳内にある理想の色を作り出す。僕の世界を構成する色彩を決める、大事な手順だ。スケッチブックに鉛筆で描かれた線をなぞるように筆を動かす。あの時、音楽室で見た色や景色を思い浮かべながら。


 僕の絵はこれまでに見てきた景色や空気、出会ってきた人たち、小さい頃に読んだ絵本や写真、動画などを基に創り出される。


 筆に色をつけ、それをスケッチブックに乗せていく。初めは止まることなく描き進められてたが、ふとしたところで手が止まった。衝撃を受けた彼女の歌が見せてくれた、数日前の記憶の中にある色彩をより鮮明に思い出そうとする。


 、、葵さんの歌が聞きたい。ぼうっとそんなこと思っていると後ろに人の気配を感じ、振り向くとちょうどそこには彼女がいた。


「わっ!」

 僕が狼狽えていると彼女は「やっほ、約束通りまた見に来たよ」と言い僕だけの空間に足を踏み入れた。約束なんてしないけど、と心の中でぼやいていると彼女はその視線を描きかけのスケッチブックに移した。


「やっぱり森本くんの絵、良いね。これは最近書き始めたの?」


「うん、あ、あの、この前の歌を聞いて、すごい色鮮やかな景色が見えたんです。それをイメージしてか、か、か描いて、ます」


「え!それは嬉しいな。ありがとう」


彼女の機嫌が良さそうなのでダメ元で、聞いてみる。


「うん、そ、そ、そそれで、もう一回、歌聞かせてくれませんか、か、か?葵さんの歌を、もう一回聴いて、い、いイメージを膨らませたいんです」


「んー、いいよ!私ので良ければ。じゃあ、音楽室行こうか」


 彼女は髪を靡かせ階段を降りる。微かに春の香りがした気がした。


 音楽室の、前と同じ机の上に置かれたケースの中に、あのギターが入っていた。僕は黒板近くの椅子に座り、部屋に舞い降りる桜を眺める。花弁の数が少し減ったような気がした。葵さんはギターを手にして、おほん、とわざとらしい咳払いをしてジャラ〜〜ンとギターを鳴らした。教室内の空気が変わる。


「いつも俯いてばっかいる君に、今度はこんな桜ソングをあげよう」


 ニシシと笑い、体勢を整え直すと彼女は歌い始めた。僕だけが聴いている、僕の為の歌。初めての経験。

 それは別れを歌う春の歌らしかった。が、彼女が僕に「俯いている、そのままの君で良いんじゃない?」そんな風に言っているように聴こえた。


『桜散る桜散る ひらひら舞う文字が綺麗』

『うつむいているくらいがちょうどいい 地面に泣いてる』


 この前と同じようで、また違う色が見えた。今度こそ、それを忘れないようにと記憶に刻み込む。




 曲が終わり僕はひとり拍手をする。彼女ははにかむとこんなことを口にした。


「私は歌を聴かせてあげたからさ、君が絵を描いているところも隣で見せてくれない?」


「え、あ、い、良いですけど、隣に人がいるとき、き、き、き緊張して描けない気がします」


「大丈夫!私は気配消しておくからさ。ね、いいでしょ?」


「は、はい」


 彼女の勢いに押されるまま、渋々頼みを受け入れてしまった。廊下に出た時にふと思い出したことを聞いてみる。


「あの、ギターってどこに置いてるんですか?い、い、いいつも持ってないなって思って」


「あー、いつもここの隣の音楽準備室に置かせてもらっているんだけど、こないだ森本くんと会った時は驚いてそのまま行っちゃったんだよね」


「どうしてき、き、き教室とかではも、も、持っていないんですか?」


「うんっと、まああんまり友達には知られたくないというか、私は一人で歌っているのが好きだから、あ、別に森本くんに聴いてもらうのが嫌という訳ではないんだけど、なんか、ね」


 珍しく、音楽準備室の中に入っていく彼女の周りの色彩が暗くなるように見えた。いつも鮮やかな彼女の表情の曇りを見て、聞いてはいけないことを聞いてしまったかな、と少し反省した。


「じゃあ、行こっか!」


 部屋から出てきた彼女は少しわざとらしいくらいに笑顔を作り直し、廊下を進んだ。それに僕も続く。今度は階段を登って、再び美術室に戻る。


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