14 俺(3)
「精巣にいくらか精子が残っていれば、子供は作れたのに。あの子は、人工授精で跡取りを残すことを拒否した」
会長は苦々しく言う。
「どうしてユキじゃ駄目なんだよ。登は養子だ。どの道、傍家山の血は途絶える」
「あの卑しいひね媚びた顔、とにかく腹が立つのよ」
『どうしてユキを選んだかって?』
登は笑った。
『わかりませんか。あの子、あなたにそっくりなんですよ』
実母のニグレクトのために収容された養護施設で、隅の方にうずくまったユキは、話しかけた登を睨みつけた。乱暴者で施設の鼻つまみだが、よくよく聞くと、苛められている小さい子を守ったりして、境遇を同じくする同胞達には優しいのだという。
『顔も似てますよ。ほら、仏像ぽいというか。最初は、境さんの隠し子じゃないかと本気で疑ったぐらい』
だからこの女はユキが嫌いなのだろう。俺のような顔は、生理的に受け付けないから。いつも弟の高志を猫かわいがりして、俺のことは不細工だの可愛げがないだのけなしてばかりいたのも、ただそれだけの理由なのだ。そのくせ、俺と弟の名前をいつもごっちゃにして呼び間違えていた。雑な女だ。
「あんたは、登の最後の希望を踏みにじった。だからあいつは、俺のところにやって来た」
「復讐でもしようっていうの、今更。死んでしまった男のために。私が若気の至りでやったことは、お詫びするわ。だから馬鹿な真似はやめなさい。あなたには、登と違って未来がある」
「どんな未来だよ」
残り湯がすっかり冷え切った浴槽に、服を着たまま、頭から沈められた。揺らめく水越しに見える母親の顔は、笑っている。溺れて意識を失うと引き上げられ、息を吹き返すとまた水の中に突っ込まれる。
俺の願いは、二度と目を覚ましませんように、だった。
「どんな未来だ」
俺は繰り返した。
施設の職員の複数の手が暴れる俺を押さえ付ける。
『お前なんか、死んでもバラバラにして埋めてしまえば誰にもわからない。犬に食わせてやってもいいな』
殴られ、蹴られる。皆楽しそうだ。
「どんな未来かって聞いてるんだ」
俺は声を荒げた。
ぱん、と乾いた音がして、俺は腹部に衝撃を感じ、体を折ってよろめいた。
会長の後ろに見えるのは、野堀別情字だった。その手に握られているのは、拳銃、グロック22だろう。
「おお、悪い、悪い」
ミリタリーベストにブーツという出で立ち。短機関銃やライフルをスリングで肩から吊り下げている。
「遅かったじゃないの」と会長は言った。
「すまねえ。仕事部屋のロックの暗証番号が思い出せなくってな」
情字は銃のスライドを引いた。
「とどめを刺してちょうだい。殺されるところだったわ」
会長は金切声を上げる。
俺は額に脂汗を浮かべ、嘔吐した。体に力が入らない。
「とどめえ?」
情字は拳銃のグリップエンドで頭を掻くと、言った。
「無理だな。これはモデルガンだ」
「はあ?」
「だがな、若干いじってあるから、当たると結構いてえぞ」
情字は銃を会長の顔に向けて、撃った。
けたたましい悲鳴。手で押さえた顔面から血が溢れ出る。
「おっ。目ん玉に直撃か。悪いな」
情字は特に申し訳なさそうでもなく言う。
「いってえぇ……」
海老のように折れ曲がっていた体をようやく動かせるようになった俺は、口元を手の甲で拭って情字を睨みつけた。
「違法改造だろ、それ」
「会長を狙ったんだ。やっぱり実践で使わないようになると、腕が落ちるな」
情字は肩をすくめると、苦痛にのたうちまわる会長の髪を掴んで、シアター内に引きずって行く。きれいにまとめられていた髪がバラバラになって揺れている。
「さっさと済ませよう。もう歳でな。昔みたいに時間をかけて楽しめねえよ」
そこで寝ているチンピラもつれて来いと言われ、俺は寅蔵の足を持って引きずって行った。
こうこうと灯りの灯ったシアター内。スクリーンの前には、二三と、二三の首に背後から腕を回し、頬にナイフを突きつけたチンピラの子分、ゴローが立っていた。
「近寄るな、こいつを殺すぞ」
半分泣き声の情けない声だ。
情字は鋭い眼光で、拳銃をチンピラに向けた。会長の髪を反対の手で掴んだままだ。
「やめろよおい、絶対外す。ていうか、当てちゃいけない方に当てるだろ」
俺がたしなめると
「あの女には当てちゃいけないのか? お前を裏切った女だろう」
「いいんだ、そんなことは。こんな極悪人に抵抗できる人間は少ない」
「そんな女、さっさと殺して私を助けなさい。金ならいくらでも払うから」
会長が叫んだ。
「こいつの銃はモデルガンよ。この死にぞこないの老いぼれヤクザ」
「それがなあ」
情字は会長の頭から手を離し、グロックを放り投げると、スリングで吊るし背中側に回っていたライフル、AK-47を構え、会長の左膝を撃った。
「こっちは本物なんだよ」
至近距離から膝頭を撃ち抜かれた会長は勢いよく後ろに倒れた。
ステージ上で二三を抱き抱えているゴローがパニックを起こした。情字が長い銃身を構え、再びチンピラに狙いを定めたので、俺はやむなく二三に呼びかけた。
「おい、この爺さん、思い切りはいいが、腕はへぼい。流れ弾に当たりたくなかったら、自分でなんとかしろ。お前をそんなナリにしたのは、そいつだろう?」
俺がかけてやったコートは床に落ちていた。髪がまばらな頭部と皺くちゃの口元が露わになり、目ばかり大きく、ギラギラ輝いている。その大きな目がぐるりと回って、背後から羽交い絞めにしている男の顔を見据えた。ナイフを持つ手が震えている男の顔に、二三がゆっくりと首を傾け、歯のない口を大きく開けて近づけていくと、男は悲鳴を上げて後ろに飛び退り、尻もちをついた。
情字がすかさず引き金を引き、男は弾かれたように後ろに倒れ、動かなくなった。
「撃つなって言っただろうが」
耳を指でほじり文句を言いながら、俺は段上に駆けあがると、コートを拾って二三の頭からかけた。
二三は大きな瞳を見開いて、口をもごもごさせて呟いた。恐らく、「自分で殺せた」とかそんなことを。
「知ってるよ」俺は二三の頭をコートの上から軽く叩いた。
俺達は全員、いざとなったら引き金を引くこと、ナイフを振り下ろすことを躊躇わない人間だ。だから登に見込まれた。
俺は彼女の肩を抱いて、ステージから降ろした。
「あとは、頼んでいいか」
「まかせろ」
情字はこちらを見ずに、言った。
「やめて。助けて。ママよ、あなたを生んだ、お母さんなのよ、私は」
会長は膝を撃ち抜かれたため、這いずりながら出口に向かっていた。
俺はさっきコートのポケットから取り出しておいたピストルを構えた。
「なんでえ、それは。随分とちゃちなオモチャだな」
ライフルから短機関銃に持ち替え、グリップを確認していたジョージが言った。
「この腐った世界には、死ぬより悪いことがあるんだよ」
俺は情字に少し離れて目を閉じ呼吸を止めるよう指示してから、会長を追い抜きざま、その顔面めがけて引き金を引いた。
ぱすっ
気の抜けた音、会長の悲鳴、一瞬遅れて、情字が激しく咳き込み始める。
「てっめえ、なんだこりゃあ!」
「ペッパースプレーだ。吸い込まない方がいいぞ」
濃縮液をまともに顔面に浴びた会長の苦しみ様は酷いものだった。いっそ殺してくれ、と思っているかもしれない。
二三の肩を抱き、足早に遠ざかりながら、空になったピストルをすぐに放り投げたが、じわりと涙と鼻水が滲み出てきた。二三もすすり泣いている。
床に転がったままの寅蔵の横を通り抜ける時には、もう一度頭部を蹴りつけた。
廊下に出ると、半開きになっていたドアのストッパーを外して、扉を閉めた。
たたたたた、と乾いた音が微かに漏れてきた。どうやら短機関銃も本物だったらしい。
駐車場に停めてあった派手な車に乗り込む時、二三は俺にコートを突き返して来た。
「貸してやるよ。返してくれないと他に着るものがないから困るが」
二三は口を固く閉じたまま、首を横に振った。
「そのナリで帰るのか。俺の車で送ってやってもいいぞ」
二三は首を振って、エンジンをかけた。俺は溜息をついて、一歩後退して、ポケットに手をつっこんだ。
「おい」
運転席のウインドウを叩いて、開けさせた。
「お前、それ、左手」
俺が指さすと二三は怪訝そうな顔をして自分の左手を目の前に翳すと、裏表を見た。手の甲や指先の擦り傷に滲んだ血が固まっていた。
俺はその手を掴むと、ポケットから取り出した指輪を、指にねじ込んだ。
「忘れ物だ」
二三は、大きな目を見開いて、薬指にはまった指輪を見つめる。
「――お前、嘘ついたな」
俺は薬指から指輪を抜き取ると、中指にはめ直した。
「なにが『サイズもぴったり』だ。中指でもゆるいぐらいじゃねえか!」
怒りの形相で二三は乱暴に車を発進させた。指輪を窓から放り投げるかと思ったが、どうやら受け取っておくことにしたようだ。
路上に停めた軽自動車に戻る途中、爆発音とともに、背後でガラスが吹き飛んだ。二階のフロアだった。
ミニシアターのある三階の窓は煙で真っ黒になっている。けたたましい音で非常ベルが鳴り響き始めた。
「あいつ、一体何をしてるんだ」
俺は首を振りながら、車に乗り込み、要塞のようなマンションを後にした。
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