10 惨劇館(2)

 リ・リ・リ・リル・リル・レ・レ・レ・クイェー


 ボーカルの喉から血を吐くようなシャウトに、うねるベース、歪(ひず)むエレキギター、狂ったようにツーバスを踏み続けるドラム……血塗れの惨劇のBGMとしては、最適かもしれない。だがこれは、オヅ風の白黒映像にかかるOP曲だ。

 耳を覆ってユキの上に身を伏せたが、爆発音と地面を揺るがす衝撃はいつまで待ってもこなかった。

 恐る恐る目を開けると、不発に終わった手榴弾が、老人達の間をすり抜け、ころころとこちらに転がって来る。

 毛足の長い絨毯の上に、染みをつけながら転がって来るそれは、黒い毛糸玉。いや、ざんばらでもつれた毛は、人間の頭部から生えていた。女だ。頭頂部を下にしてステージより数メートル手前で停止した生首の顔は、白目を剥き、凄まじい形相だが、首の切断面は鮮やかだった。日本刀か大鉈で一刀に伏したのか。

「ルミ……」

 いや、違う。依頼人にしてこのポノレカ鷹羽の管理人のルミではないし、俺の情婦のユミでもない。それは、女ですらなく、ジョージの看護師とできていたベルボーイの首だった。長い髪の毛に見えたのは、きれいな切断面から滴る

「女を寄越せ」とジョージが言った。

「なんだと?」

「その女を寄越せ」

 俺の体の下敷きになっているユキが身じろぎしたが、俺は無視して彼女の頭を床に押し付けた。

「こいつのことか? これは、女じゃない。子供だ」俺はコートのポケットを探りながら言う。

「十歳にもならないうちから、男達の慰み者になってきた女だぞ。そいつを寄越せば、もっといい女をくれてやる。若いの、人妻、ババアでも、お好みの女をな」

「十歳にもならない子供を食い物にするような輩とは好みが合いそうにないな、残念ながら」

「相変わらず、融通が利かねえな。そんな糞アマでも、人生をやり直せるとでも本気で思っていそうだな。ええ、サカイ」

「こいつがこの先どんな人生を送るか、俺には関係ない。だが、俺はあんたが嫌いなんだ。ノボリベツジョージ。あんたのせいで、どれだけの人間が人生を狂わされたことか」

「おめえのお袋もアバズレだったなあ。ちょっといい女だったが、薬漬けにしてやったら、あっけなかったな。おめえがアバズレに優しいのは、おっかさんのせいか、サカイ」

 座席の脇の通路では、ただでさえ短くなっていた四肢をウージーで更に吹き飛ばされ、体に穴を開けられ、かろうじて頭部と体幹が残っているだけの芋虫のようになった四人の老人達が大きな血溜りの中で身をくねらせていた。

 いつの間にか、彼らの叫び声は止まっていたが、爆風で鼓膜をやられた俺の耳の奥では、まだ彼らの叫び声がこだましているようだった。

 ジョージは老人達に歩み寄った。濃い色の絨毯は、老人達の血を吸って大きな黒い染みを作っていた。ジョージの素足がそこに踏み込むと、「じゅっ」と濡れた音を立てた。

 今やヒトというよりは何かの肉片と言った方がよい有様の老人達は、既に視力も失われているのではないかというのに、大股に歩み寄るジョージに、自ら身をくねらせて近づこうとしていた。

「母親のことを持ち出せば、俺を怒らせることができるとでも? 何一つ記憶に残ってない女だぞ。俺はノボルとは違う」

「どんな女だったか、知りたいと思わないのか」

 ジョージは、赤子のように見えなくもない血みどろの老人達を蹴り倒し、脳天にウージーの9ミリ弾を打ち込みながら、前進してくる。

「売女かジャンキー、あるいは両方だろ、淫乱で、早死に。死因が酒かヤクか性病、あるいは情痴のもつれか……そんなこと、今更知ってどうなる。母親の顔さえ思い出せないんだぞ」

「おかしな話だと思わないか」

「何がだ」

「母親に捨てられて施設に入れられた時、お前は、七歳だった。記憶がないほど幼かったという訳でもないのに、なぜ母親のことを覚えていないんだ」

 ジョージは、尚もまとわりついて来る芋虫の一匹のかろうじて残っている頭髪を掴んで頭部を持ち上げると、両端が裂けてぱっくり開いたままの口内に、口でピンを引き抜いた手榴弾を突っ込んだ。「んぐぅぐ」という抗議の声を無視して気道の奥まで腕を突っ込み引き抜くと、芋虫の腹思い切り蹴り上げた。サッカーボールのように吹き飛んだ体は、座席の中央辺りに落下した。

「やめろ!」

 俺は叫ぶと同時に頭を腕でガードしながらユキに覆い被さった。

 爆発音とともに肉片と椅子の破片が飛び散り、スクリーンを更に汚した。新たな血飛沫や肉片、骨の欠片、椅子や床の残骸が、先に開けられていた短機関銃の穴ボコを埋め、高値のつきそうな現代美術のマスターピースのようになった元は真っ白だったスクリーン。そこに投影されている映像は、ほぼ意味を成さなくなっていた。

「ノボルみたいに、素直にピーピー泣くことさえできなかったんだ、お前は。サカイ。だから、母親の記憶を強制的に消去したんだ」

 ジョージはもう一体の芋虫のぱっくり開いた口の上顎・下顎に残った歯に手をかけると、めりめりと引き裂いた。

「やめろと言ってるんだ」

 ジョージは俺の言葉を無視して、真っ二つに引き裂いた芋虫の体を、ひとつは手榴弾で吹き飛ばされすり鉢状の穴が開いた客席へ、もう一つは通路の後ろに放り投げた。

「情けねえなあ、サカイ。いっぱしのフリして刑事になんかなっても、捨てられた事実に耐えられなくて、母親を記憶から抹殺するような弱虫の甘えん坊。それがお前だ」

「もう刑事じゃない。お前だって、もうノボリベツ組の頭じゃない。おむつがなければそこいらじゅうに糞尿を垂れ流す、呆けた爺さんじゃないか」

 俺は体から力が抜けていくのを感じた。背中から下半身の辺りが濡れている感触があった。最初の爆撃で背中にダメージを受けたらしいことを思い出した。

 幸い、自分の背中は見ることができない。

 俺の言葉を無視して、ジョージは芋虫をもう一体、腰にぶら下げていた鉈を何度も振り下ろしてブツ切りにした。残るは一体。

 

  リ・リ・リ・リル・リル・レ・レ・レ・クイェー


 映画の音声も途切れがちだった。いや、俺の耳がおかしいのかもしれなかった。


 リ・リ・リ・リル・リル・リル・リル・レ・レ・レレレレレレレレレレレレ・クイェー


 針が飛んで堂々巡りするレコードのように、音がどもり始めた。

 最後の一体は、一人の人間から発せられたとは思えない咆哮をあげ、シアター内の空気をびりびりと震えさせた。唇の両端が千切れてあごの関節が外れたために信じられないくらい大きく開いた口――いやもうこれは単に「裂け目」と呼ぶべきか――が更に裂け目を広げて下顎が腹の真ん中あたりまで垂れ下がり、あばら骨が露出し、内臓が横からだらしなく垂れ下がった。

 ユキは俺の体の下で胎児のように体を丸め、耳に手を当て硬く目を閉じていた。

 顔、といっても裂け目の上の部分に眼窩には眼球が一つしかない。鼻の突起は失われ二つの鼻腔が肉塊の上に穿たれただけ。最早性別も定かではない。それは、口だけ異様に大きい化物に変身を遂げていた。四肢をほぼ失った体で器用に上体を立て手伸びあがり、それでも小柄なジョージの腰の辺りまでしか達しないのだが、ジョージに向かってシャーと威嚇するような音を立てた。

「母親がいつか迎えに来てくれる、そんな馬鹿げた望みを最後まで捨てきれなかったのは、サカイ、お前だろう。だから十八まで施設に残った。信じられないロマンチストだなあ、おい」

「黙れ」

 ジョージは目の前に立ちはだかる化物の頭部を鉈で一刀のもとに切り捨てると、転げ落ちた頭を左足で踏みつけ体重をかけた。華奢なジョージはさほど重そうに見えないのだが、頑丈なミリタリーブーツが化物の頭蓋骨を踏み砕いた音が響き渡った。

頭部を潰されても尚、床に倒れ込んだ体は、陸に打ち上げられた魚のようにびくびくと跳ねまわっていたが、ジョージは頭を踏み砕いた左足はそのままに、右足で胸部を踏みつけた。肋骨の砕ける音と共に、ブーツの圧力によって押し出された残りの内臓が溢れ出た。

 更に、とどめを刺すかのように、ジョージは床に散らばる残骸に向かって鉈を振り下ろし続けた。ごろごろとした肉片と化した老人達は、まだ未練たっぷりにひくひく蠢いていたが、もはや誰の脅威でもない。

「いいことを教えてやるよ、サカイ」

 血のついた鉈を無造作に放り投げると、ジョージは俺を見据えて、こちらに向かって歩き出した。両手をベストにこすりつけて拭ってから再び構えた短機関銃M-10の銃口は、確実に俺を捕えていた。

「ノボルはなあ、実は死んでねえんだよ」

 ――嘘だ

「生きて、ぴんぴんしてやがる。そして、お前の母親とやりまくってる。残念だったなあ、サカイ」

 ――そんなはずはない。

「ノボルは、俺が殺した。お前だって知ってるはずだ」

 誰かが、遠くの方で叫んでいた。

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