PART III

01 潜入

 長い夜になりそうだった。

 途中深夜営業の薬局に立ち寄り購入した目薬で定期的に目を洗い流し、ひりつく喉をミネラルウォーターでうがいし、洗い流しながら、俺達はポノレカ鷹羽に到着した。

 シニア向け分譲マンション・ポノレカ鷹羽は、外観はポノレカ花の宮とよく似ている。他にもポノレカ+地名のマンションが四つあるという。現時点で計六つのポノレカを、ノボルは更に全国展開しようと目論んでいたのだそうだ。

「金があるところにはあるんだなあ」

 少し離れた所に停車した車を降りて、改めてマンションを見上げた俺は、誰にともなく呟いた。花の宮のポノレカを見上げた時にも感じたことだが、これは要塞だ。なんとも言い表し難い威圧感がある。特に、不法に侵入を試みようなどという不埒な輩には難攻不落の砦。

「寒いよ」

 上下ブルーのジャージで震えながらユキが言った。頬に赤く残る豚の歯型が痛々しい。薬局で購入した消毒薬で傷を消毒したが、背中や腿などからも血を滲ませていた。

「別に、慣れてるから平気」

ユキはそう言っていたが……。残念ながら、震える肩にかけてやる上着の持ち合わせがない。なぜなら

 全裸の上に俺のコートを羽織った爺さんが派手にくしゃみをした。裸足なので、まあ寒かろう。夜が更けて眠くなったのか、副作用のせいで老人をスーパーアクティブにしていた薬の効果が切れたのか、今は大人しくなっていたが、またユキに抱きつこうと暴れ始めると厄介だ。さっさと済ませてしまおうと、俺はポノレカ鷹羽のエントランスに向かった。


「エントランスのオートロックの暗証番号は毎日変わるの」とユキは車の中で言った。

「住民はシニアなんだろう。老人……例えばこんな爺さんが、毎日変わる暗証番号なんて覚えられっこないだろう」と俺は後部座席の爺さんをバックミラー越しに見ながら言った。

「そもそも、番号を教える気がない。入居者はエントランスのカメラで顔認証される。管理人が入居者だと確認できたら解錠するんだ。そのお爺ちゃんみたいに半分呆けちゃっている人の場合は、管理人がエントランスまで来て部屋まで連れて行く」

「それじゃあ、まるでハイソな監獄みたいじゃないか」

「元気なお年寄りの中には不満を抱く人もいるけど……結局は『セキュリティのため』で納得させられてしまう。何しろ、お金持ってる人達だから、猜疑心もすごいんだ。少々不便でも、怪しげな人間が入り込むのはほぼ困難な方がいいみたい。ピザの配達人だって、エントランスで守衛に商品を渡すから、中には入れないよ。ピザでも宅配便でも、箱の中身を確認してから住民に届けられる」

「勝手に箱を開けるのか? いよいよ牢獄じゃないか」

「わざわざ開ける必要はない。X線の検査機があるんだ。空港にあるみたいなやつ。まあ、中に不審なものが見つかれば開けるだろうけど」

 不審なものが見えた、と主張すれば、好き勝手に調べることができるわけだ、と俺は内心思った。

「そこまでして住民を監視下に置きたい理由はなんだ。この爺さんが入居時もこんな状態だったのなら、リッチな家族が厄介払いのために放り込んだんだと納得できる。だが、ポノレカはあくまでも分譲マンションで、介護施設じゃない。自分の意思で購入・入居を決めた連中は、一体何を考えていたんだ」

「それは、いずれやって来る『老い』ってのを恐れているからなんじゃない」とユキは顔を歪めて言った。

「それなりの地位もお金もあった人達にとっては、いずれ下の世話さえ他人任せになるということが、どうしようもなく恐いらしいよ。バッカみたい」

 正常な判断ができるうちに自らを隔離した、ということか。俺の事務所や住居のある貧民街の住民には理解し難いことだろうなと俺は思った。俺にだって、できっこない。呆けようが半身不随になろうが、老人もその家族も逞しくしたたかに、恥を垂れ流しながら今日も明日も生きていく、そんな連中だ。

「それでも、何か問題が発生したんだろう。花の宮には刑事が張り込んでいた。ノボルの自殺も関係しているのか――」

「ノボルは自殺なんかしてない!」

 ユキは自らの声の大きさにはっとして、それきり口をつぐんでしまった。しかし、ポノレカ鷹羽の近くまで来て、俺が何度帰れと諭しても、一緒に行くと言ってきかなかった。


 そして、俺達三人は要塞のような鷹羽のマンションの前に立っている。

 俺は半ば目を閉じてうつらうつらし始めた爺さんの両腕を背後から掴んで支え、透明な自動ドアを通過した。その奥に控える重そうな黒い扉を通過するには、オートロックの検問を通過しなければならない。

 俺はカメラの前に爺さんがよく映るように、立ち位置を調整した。

 まだ呼び出しボタンに手を延ばしてさえいないのに「ノボリベツジョージ様」とインターホンから女性の声が響いた。

「お帰りなさいませ。後ろにいらっしゃるのは――?」

 物問いたげに語尾を上げてきたので、仕方なく俺はカメラの前に顔を近づけた。

「どうも。ノボリベツさんを送って来ましたよ」

「タカシ。さん。あら、久しぶり。そのお隣は――?」

「ポルカでお爺ちゃんに指名されたんで来ました」とユキは落ち着いた様子で言った。

「あら、あなたなの。これからそっちに迎えに行きますから」

「要らない。お爺ちゃんの部屋は知ってるから。この人に送ってもらう」

 ユキはインターホンの声を遮って、爺さんの体を支えている俺の手を馴れ馴れしくさすって見せた。

「ちょっと!」と女の声は一瞬動揺を示してから、「あの、当マンションの品位を下げるようなことは慎んでくださいね。少なくとも、扉が閉まるまでは」と冷たく取り繕った声で言うと、カチリと重そうなドアの鍵が解錠された音がした。

 俺はがっくりと頭を垂れ、よだれを垂らし高いびきをかき始めた爺さんを引きずるようにして、二枚目の自動扉を通過した。

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