11 クリーニング店

 日頃の運動不足が祟り、俺は細長い通路を逃げていく他の客達にどんどん遅れをとり、遂に点滅する蛍光灯の下、肩で息をつきながら一人で歩き始めた。通路に分岐はなく、一本道なのが救いだった。


 やがて突き当ったドアを開けると、そこは薄暗く圧迫感のある部屋だった。先を行った大勢の男女の姿は既になかったが、部屋には微かに鉄の臭いが漂っていた。

 目が慣れて部屋の様子がわかるようになると、そこにはビニール袋を被った大量の衣類がびっしり吊るされている部屋だった。これから洗濯に出す大量の衣類が無造作に突っ込まれた、キャスター付きリネンカートもあった。汚れ物と綺麗なものを同じ部屋に保管する感覚は俺には理解できない。まあ、単に保管スペースの問題なのだろうが。

 俺は、汚れた衣類の中に、赤い染みのついた物が少なからず混じっていることに気付いた。


『こんな程度の汚れ、跡形もなく落としてあげるよ』


 肉屋の処理室でエプロンを着けた甲斐もなく全身を朱に染めたクリーニング屋のおやじがそう豪語していたことを思い出した。あの肉屋と組めば、確かにいい商売になりそうだ、と俺は思った。

 先程からちらちらと視界の端に映り込むリネンカートの中からはみ出している物が気になっていた俺は、誘惑を断ち切れずカートに吸い寄せられていった。俺がB級ホラー映画の登場人物だったとしたら、開始十五分以内に第一の犠牲者としてスクリーンから消えるタイプだろう。絶対に足を踏み入れてはならないところにのこのこ出かけて行き、開けてはならない扉なり蓋なりを開ける役割の。

 それは汚れた衣類の間から覗く人間の指だった。肉屋の客の食い残しかと思い、恐々上に被さっている布をめくってみると、その指には手首も腕もくっついていた。

 俺は溜息をついて、できるだけ音を立てないようにリネンカートを横倒しにして中身を床にぶちまけた。赤いものでぐっしょり濡れた衣類の中から、死体が転がり出てきた。

 素人でも一目で断定できるほど、その男が既に事切れているのは疑いようがなかった。内臓をすっかり抜かれてまだ生きていられる人間がいるなら別だが。

 やはり肉屋の客の食べ残しではないのか、と俺は思った。

 肉屋の処理台に乗っかっていた死体の状態とよく似ている。内臓と性別を判別できる部位は取り除かれているが、ほぼノーダメージで残っている手足の状態から判断するに、あまり若くない男だった。あの変態おやじ達は、食材の性別や年齢、脂肪の付き具合にはこだわらないのだろうか。男の顔にかかった衣類を取り除くと、頭蓋の上の部分が鋭利な刃物で切りとられ、脳がなくなっていた。

 

 しかし俺が吐き気を催したのは、その男の顔――眉より少し上の部位がごっそり取り除かれている――が、自分であると認識できたからだった。


 こうしてみると、最初に遭遇したナイフで一突きされた俺の死体などは、出血大サービスと言っていいように思えた(細く鋭い刃物で一突き、大して血は流れていなかったが)。あれなら一瞬、殆ど痛みや苦しみを感じる間もなく呆気にとられている間に死んだだろう。どうあっても殺されなければならないのなら、あんな風がいい。

 いや、殺されないのが一番いいに決まっているのだが、こうも頻繁に自分の死体に出くわすと、どうも自宅の布団で死ぬなんてことは無理に思えてきた。元々碌な死に方はしないだろうとは思っていたが、これは特に酷い。

 遺体をひっくり返してみると、背中から尻にかけて文字が彫ってあった。


 1Fコインランドリー 


 文字の最後には団子が二つ、恐らく雪だるまのつもりのへたくそなイラスト。彫り物といっても、死後にナイフ――いや、ナイフ程鋭利ではない何かでつけた傷だ。ユキがやったのだとしたら、あいつ、他人の体だと思ってひでえことしやがる。

 俺は肉屋の天井からぶら下がっていた豚だか牛だかの体にそっくりな、内臓を抜かれ、あばら骨をむき出しにした体を再びリネンカートの中に押し込むと、上から汚れた衣類をかけておいた。


 暗い部屋を出ると、そこはこうこうと明かりの灯ったクリーニング店のカウンター内だった。俺に背を向けた男が接客をしている。


「こんなに汚して、一体どんなプレイをしたんですか」

 その声は明らかに、精肉店で遭遇したあの男だった。

「それは聞かない約束だろう。うふふ」


 俺は何食わぬ顔をして、二人の横を通過する時ちらとカウンターの上に置かれた物体を盗み見たが、それは、絵の才能に見放された小学生が描いた緑色のエイリアンを車で引き殺したみたいな、要するにぐちゃぐちゃでよくわからない代物だった。

幸い、客も店主も下品な会話に花を咲かせていて俺に気付かなかった。

 俺は肩をすぼめながら店のドアをあけて、外に出た。そこは何時間か前に、俺が冥途喫茶ポルカの店長とXXXの大家に追われて走って逃げた廊下だ。その時は気付かなかったが、看板に『POLKAクリーニング店』とあった。ガラス越しに見える店内では、カウンターに置かれた緑色の謎の物体が、身をくねらせたような気がした。


 気を取り直して、俺は階段で一階のコインランドリーを目指した。

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