キウイが転がった方向

空乃晴

キウイが転がった方向

カタカタと音を立てて、画面と長時間、にらめっこをしていた。

そろそろ身体が疲れてきたころだろうか。どこか腰と肩、目が痛い。

長時間、同じ姿勢で座ってきたら身体が硬くなったように感じた。

 中々いい情報が出てこない。基礎的なことしか、書かれていない。

机には、原稿用紙とペンが置かれていた。

そして、手元にはいつでも大事な情報や、

面白いアイデアを書き足せるように、小さめのノートが、置かれていた。

タイピングは苦手なので、基本的にアナログで書く方が得意だった。

「また一か月後とかに記事が更新されていたらいいけどな」

だがしかし、何か月と経っても、記事は投稿されない。

それほどマイナーなものなのだろうか?

それほどその生き物は、謎に包まれた神秘的な生き物なのだろうか?

自分の頭の中で、野生で生き抜く姿の妄想が思い浮かぶ。

四本足で銀白の世界を駆け抜け、ヘラジカなどの巨大な草食動物を狩る姿や、子育てを仲間たちと行う姿……。そして、仲間をライバルから守る姿。

ありとあらゆる姿が、イメージできるが、あやふやな部分もあった。

 今回書く内容はファンタジーなどない、現代社会の話だ。

なので、そのあやふやな部分を妄想で膨らまそうとするのは、どうかと思っていた。

 部屋の隅に置かれていたしばらく見ていないテレビの画面を見た。

息抜きに、テレビをつけることにした。リモコンを手にして、電源スイッチを押した。

チカチカと鮮やかな風景が浮かぶ。

 身体の位置を変えてみたり、姿勢を変えてみたりする。

何ともない一日だった。また、一番若い頃が奪われていく。

その間に、あの生き物の知識が喉から手が出るほど欲しかった。

 ふと、本屋さん特集が流れ始めた。

それを見た私は、はっと身体を起こした。

つい家にパソコンやスマホがあるからと、ネットの情報に捕らわれ続けていた。

だが、もしかしたら本に何か私の求めている情報が綴られているかもしれないと思った。

「そうだ、図書館に行こう……。それよりも、都会にある大きな本屋さんの方が種類が豊富か?」

 私は半信半疑だった。これだけ広いインターネットの世界でも、数ページしか記事は書かれていないのに、本屋に私の求めている情報はあるのか、と。

それでも、行ってみる価値はあるだろう。

 私はそう判断し、パソコンで長時間座って痛めた腰に手を当てながら立ち上がった。


 着替えて、出掛ける支度を終えると、私は家を出た。

 外は寒く、手が悴み、息が白い。

太陽の光も、弱くて、何枚も服を着ていたが、身体はあたたまらない。

早起きをして調べものをしていたおかげで、まだ昼を過ぎていない、外出するにはちょうどいい時間帯だった。

 この寒い時期に、あの生き物は何をして過ごしているのだろうか、と興味をそそられる。

雪景色の風景が似合い、それのイメージがあったのだが、案外、動物園では夏の方が動くのだと、どこかで見たのだ。

 それも、本当かどうか怪しい情報だった。

インターネットで見た記事は、嘘の情報もまぎれているため、慎重に調べなければならない。

一方、本の方は真実の情報の方が多い……らしい。

 足を動かして本屋さんにたどり着いた。決して大きな本屋さんとは言えなかった。

だが、田舎町だったため、本屋さんはここしかない。……あとは、図書館だけだ。

 私はカランカランと鳴るベルの音に心地よさを覚えながら、店内に足を踏み入れた。

まず目の前に広がるのは、今流行りの本が置かれている光景だった。

ネットで小説の賞を取ったりしたり、話題になると書籍化される本があったりなかったり……。 

私はくまなく探したが、求めているものは手に入らなかった。

ちょっと面白そうな表紙に目をひかれ、それを購入してしまった。

お店に行くと、いつも無駄な買い物をしてしまう癖があった。

だが、本は必ず何か知識を得られるだろうと期待して、そんなに金銭的にダメージはないように思えた。

 私は会計を済ませて、目当てのものがなかったので購入したものをお店の袋に入れてもらい、次は八百屋さんで果物を買い、バスを使って図書館に行こうとした。

一時間に一本と、バス停に留まるバスは少なかったが、どうにか乗り遅れずにスムーズにいった。

 青信号がたまたま光っていた時もそうだが、スムーズに青信号を渡れたり、バスに乗れたりするとそれだけで気分は良い。

運の悪い時は目の前で赤信号になったり、バスに乗ろうとしたところで発車してしまったり、それが連続で続く日もある。

それはきっと、私の未来を変えるもので、このタイミングで行き着くことに何か意味があるように感じる。

そして人々が出会うこの流れにも。

今思うと、このバスに乗っている人々は、今日はじめて出会い、今日で別れを告げる、少し変わった関係になるのだ。

私の人生に影響されるかもしれないし、されないかもしれない、そんな関係だ。

 ふと、八百屋さんで購入したキウイが、コロコロとその店の袋から転がった。

椅子に腰をかけていた人たちの視線はキウイに向けられる。

「あれ? キウイどこ行った?」

 私はあたふたとあたりを見回すと、一致団結したかのように、一斉に皆、キウイが転がった方を見ようと、座っていた腰を浮かした。

白髪の混じった髪の毛に、黒いジャンバーを着て、赤いマフラーを巻いた男性がいた。

手すりを掴んでいた、老いたような手をキウイが転がった方へ指差して、「あっちだよ」と優しく教えてくれた。

 私は申し訳なく思いながら、頭を下げながらキウイを取りにいった。

 きっと、この時間帯にバスに乗り、本がないか探しに出かけ、八百屋さんでキウイを買ったのも、何か必然的な運命だったのかもしれない。

キウイを拾い上げると、近くにいた人が拍手をし、その音を聞いた人々も、拍手をした。

私は顔を上げると、先ほどの白髪の混じった髪の毛の男性の目元が微笑んだ。

 普段何もなければ、自然と流れていく人々だが、ハプニングがあると、こういうこともあるのかもしれない。


 バス停に降りた私は、図書館へと向かった。

意外なことに、先ほどキウイの転がった方向を教えてくれた男性も同じバス停に降りた。

私と同じ道を、ただ黙々と進んでいった。

会話はなかったが、どこか不思議な感覚に襲われた。


 図書館の自動ドアが音を鳴らしながら開いた。

先ほどの男も後についてくるように入っていく。

 まずは何かの特集コーナーに目を向けた。

これは驚いた。私の求めていた、動物特集が置かれていた。

そして目の前に、勇ましいオオカミの姿が撮られた本があった。

どうやら、オオカミの群れを何十年も調査して、その調査から得た知識がびっしりと書かれた本だった。

これは、私が待っていた本であり、この本も、私を待っていた、運命的な出会いのように思えた。

私はその大きな本を手に取り、パラパラと流し読みをした。

難しい文章が多いことがわかると、まだ出会えたことのない知識が手に入りそうで、心がワクワクした。

「その本を探していたのか?」

 ささやき声で耳元でそう言われた私は、本の文章から目を引きはがして、その男性を見上げた。

「あ……。はい」

 声をかけられたことを不信に思った。

その男性はどこかおもしろそうに瞳を光らすと、名刺を鞄から出し、それを見やすいように差し出した。

その名刺を受け取って不思議な気持ちで凝視した。

その後、オオカミの本に目をやった。

あっと驚いた。

著者名と、同じ名前だったのだ。

「あ、あなたは……」

「僕はこの本を書いた張本人なんだ。まさか、僕の本を手に取ってくれるとは思わなくて、つい声をかけてしまったよ。ありがとう」

「いえ、先ほどはキウイの転がった方向を教えてくださり、ありがとうございます」

 畏怖の念が身体から溢れ出し、敬意を示して頭を深々と下げた。

「最近の若者がオオカミの本に手を出すとは思わなくてね。たまたま手に取ったのかい?」

「いえ……。小学生の頃から動物園で見たオオカミが好きになりまして、それで、オオカミの話の物語を読みたいと思い、執筆したくなったので」

「そうか。それで参考に私の本を……。この本を書いた甲斐があったよ」

「こちらこそ、こんなに素晴らしい本をありがとうございます」


 二人は数分しか会話をしなかったが、それでも友情というものが育まれた。

不思議な話だった。こんな出会いがあるとは、思いもしない。

私は男性に別れを告げて、我が家へと戻った。


 あれから何年かの月日が経った。

ネットで調べたところ、その本を売っていたので購入した。

私はその本を熟読し、何度もわからないところは読み直した。

私は原稿用紙と向かい合い、執筆活動を始めた。

何度も書き直しても良い。最高の作品を仕上げよう。

あの方のためにも。


 何度か試行錯誤をしたが、ようやく長編の、オオカミが題材の物語が完成した。

タイトルは、『オオカミに恋した神様』だった。

私は原稿用紙を広げながら、ゆっくりとパソコンで小説を投稿する有名なサイトに投稿した。

もともと、小説を書いていた私の周りに、ネットの友達は多くいて、よく投稿するものに千アクションを起こしてくれたりと、まあまあ知名度がある、と自分でも自覚していた。


 ネットに投稿してから、何か月かが経過した。

冬から夏へと代わり、久しぶりに私はあの物語のページへとんだ。

マウスを動かすと、コメント欄に何件かコメントがあった。

いつもの常連さんだろうとありがたく受け取ろうとしたが、最後のコメント欄は初めて見る名前の人だった。

不思議に思い、そのコメントをまじまじと眺める。

『これほどオオカミの生活を忠実に書いている方を、僕ははじめて見ました。素敵な作品に出会わせてくださった事、感謝いたします』

 大人の男性が書いたのだろうか。いつもの軽いノリの常連さんとは、どこか雰囲気が違い、心が動いた。


 私はあれから執筆活動が進まなくなった。

気分転換にキウイの缶詰を開け、甘酸っぱく広がる酸味を楽しんだ。

キウイと言えば、あのバスでキウイが転がった事件と、そこで出会ったオオカミの本を執筆した男性の表情が思い浮かぶ。

「また八百屋さんでキウイを買おうかな……」


 夕方に私はまたあのときに寄った八百屋さんでキウイを購入しようとした。

「……知っているかい? とてもオオカミの生活を忠実に描かれた小説があってね……」

 通りすがりに、年老いた男性の声が聞こえた。

「それは、書籍化されているものか?」

「いいや、ネットに投稿されているものだよ。タイトルは『オオカミに恋した神様』だよ」

 私は思わず自分の耳を疑い、はっと振り返った。

「思わずコメントしてね。ネットの小説にコメントするのは久しぶりだったよ」

「……あ……!」

 私は思わず声を漏らした。

 その話題に花を咲かせる男性たちの一人は、あのバスでキウイの転がった方向を優しく教えてもらった人だった。

そして、オオカミの本を執筆した、あの男性だった。

二人は私の事を気にすることなく、八百屋さんを通り過ぎようとしていた。

「あの、すいません!」

 私は高らかに声を上げると、二人の男性は不思議そうに振り返った。

「『オオカミに恋した神様』を読んでくださったのですか?」

 感激のあまり、声が大きくなった。

その男性は、視線をレジ袋に入ったキウイに向けると、あっと何かを察したかのように声を漏らした。

「君はあの時の……。まさか、あの小説を書いたのは君だったのかい?」

「は、はい……!私の小説を読んでくださり、ありがとうございます!」

「いやはや、驚いたよ、また君に再開するなんてね」

「ん? 知り合いか?」

 隣にいた友人であろう老いた男性が怪訝そうな表情をした。

「ああ……。たまたま乗り合わせたバスで知り合ってな」

「何作品かあの後読ませてもらったけれど、君には物語を描く才能があるよ。きっと、作家デビューするかもしれない。これからも応援しているよ」

「ありがとうございます!」

 私達は、長話はしなかった。

お互い手を振りあったあと、男性は背を向けて歩き去った


あの男性との出会いを思い出すと、今でも不思議な気持ちが心の底から湧きあがる。


『オオカミに恋した神様』

この小説は、時が過ぎても読まれ続け、ついには本屋に並ぶ事となった。

図書館で出会ったあの男性も、キウイが入ったビニール袋を片手に、その小説を再び手にしていた。

                                            (終)

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