お父さんの味
さーしゅー
お父さんの味
ある寒い日の、昼下がり。温風ヒーターの効いた居間の中。
部屋には私しかいなくて、テレビからのなんでもないニュースがBGM。
テレビ下のラックでは、幼い娘が写真の中で笑っている。
少し年季の入った机には三つの緑が並び、ちょうどやかんにお湯が沸いた。
私は、フタの突起を摘むと、上に引き上げる。
発泡スチロールの糊付けがじじじと剥がれ、中から大きな天ぷらが顔をのぞかせた。
中の包みを取り出すと、天ぷらを避けるように粉をふりかける。
そして、やかんを傾けると、麺からは黙々と湯気が上がった————。
「
私は三人分の『緑のたぬき』を準備すると、二階へと叫んだ。
それは懐かしい、感覚だった。
昔は多くの日を一緒に過ごしていたけど、最近は土曜日でも、部活動や遊びで、娘たちは居ないことが多い。
だから今日は、珍しい昼ごはんだ。
しばらくして、ドンドンドンと勢いの良い音が響く。
おそらく降りてきたのは、中ニの次女、愛歩だろう。でも、その足取りとは反対に、愛歩は部屋に入った途端、苦い顔をする。
「えー、これお父さんの味じゃん!」
愛歩は机に乗り出すなり、不満を口にする。
「たまには、いいでしょ?」
『お父さんの味』。そう呼ばれているのは、普段料理を作らない
そして、娘たちは『緑のたぬき』を喜んで食べてたような気がするんだけど……。
「あーあ……そうやって横取りしちゃうんだ?」
後ろからの声に振り向くと、高二の長女、千聖が立っていた。彼女は冷めた目で私を見る。
「えっ? なに? 『緑のたぬき』、嫌いだった?」
私が千聖に尋ねると、彼女は少し目を逸らしながら、頭を掻いた。
「いや、そうじゃないんだけどさ……」
「じゃあ、何か作ったほうが良かった?」
「いや別に? うーん……。そういうことじゃないの!」
千聖はなかなか煮え切らない態度をとって、まるで助け舟を求めるかのように愛歩を見た。私も視線を追うと、愛歩はテレビにかじり付いている。
「でも、『お父さんの味』なんて言うけど、本当はお父さん料理上手なのよ?」
そう、結婚前はよく料理作ってくれたし、私よりもずっと上手だった。それこそ嫉妬してしまうくらいに。
それに、洗濯とか他の家事は嫌がることなく手伝ってくれるから、なぜ料理だけしないのか不思議で仕方なかった。
「千聖、何か隠しているの?」
「別に隠してなんか……」
私は千聖の目をまっすぐ見た。案の定、そわそわと泳いでいる。
「本当かなぁ?」
私はテレビの方に目を向ける。
「ねえ、愛歩。なんでこれが『お父さんの味』なの?」
愛歩は声に反応して、テレビからぐるりと振り向いた。
そして、ドンドンと私の元へとかけて来て、机に乗り出す。
「えーっと……、お父さん言ってたよ?」
「言っちゃうんだ……」
目を丸くする千聖とは対照的に、愛歩は首を傾げる。
緑色のフタは折りようが弱かったのか、パカっと開き、湯気がモクモクと溢れ出た。
* * *
ある寒い日の、昼下がり。温風ヒーターの効いた居間の中。
部屋には小さな女の子二人と、お父さんが一人いる。
ブラウン管からは、なんでもないバラエティが流れていて、下のラックでは、昨日の写真が笑っている。
ピカピカの机の上には、三つの緑が並んでいて、愛歩が椅子に上がり興味津々に覗き込む。
「きょうも、みどりのそば?」
「そうだよ? いやだった?」
お父さんは優しく微笑んだ。
「ううん。わたしみどりのそばだいすき!」
「ならよかった。じゃあたべようか」
三人は「いただきます」をした。
まだ幼稚園生の愛歩は取り皿を用意して、少し冷ましてから頬張る。
小学生に上がった千聖は、熱々のそばを必死にふうふうしてから、口に運ぶ。
「おとうさんは、おべんとうつくらないの?」
千聖はそばを口に運びながら、首をかしげる。
「たべながら、はなさないの」
千聖は途端に箸を置いた。だけど、口はまだもぐもぐしている。
それでも、まっすぐな瞳に負けたのか、お父さんはゆっくり口を開く。
「つくらないよ」
「なんで? りょうりはにがて?」
「おとうさん、おままごととくいだよ? ねー?」
首を傾げた千聖に、反応する愛歩。お父さんは二人に微笑んだ。
「じゃあ、なんでつくらないの?」
千聖は再びたずねた。
するとお父さんはぴたりと箸をとめ、ゆっくり優しくつぶやいた。
「それはね…………お母さんが一生懸命ご飯を作っているからだよ」
そのつぶやきは、娘二人に向けたような口調ではなくて、まるで自分に言い聞かせているようにも見える。それだから、二人とも首を傾げていて、よくわかっていない様子だった。
そんな二人に、お父さんはさらに続けた。
「ちゃんと、お母さんのご飯を食べてあげて。この家の味は『お母さんの味』だから」
その声は、ほんのり温かく聞こえたのかもしれない。
千聖は分かっているのか分かっていないのか、お父さんをまっすぐ見た。
「じゃあ、『おとうさんのあじ』は?」
お父さんはアゴに手を当てて、考える素振りを見せた。
「『おとうさんのあじ』は…………この『みどりのそば』かな? おいしいでしょ?」
お父さんの声に、二人は大きく頷いた。
「うん! すごくおいしい!」
「おいしい! おいしい!」
「それはよかった」
カップの中味と湯気はどこかにいってしまって、代わりに楽しい時間がゆらいだ。
* * *
ピピピピ……。
タイマーからは優しく電子音が鳴き。ちょうど、『緑のたぬき』ができあがる。
「へぇ〜、それで『お父さんの味』ねえ」
私はゆっくりとため息をついて、緑のカップを眺める。
空いてしまっているフタからは、美味しそうに湯気がのぼる。
「なんか懐かしいね……」
千聖がぼそりとつぶやいた。
「そうね…………」
私は懐かしくはないはずだ。『お父さんの味』を食べた記憶はないのだから。
だけど、懐かしさを感じられずにはいられなかった。
「早く食べようよ? のびるよ?」
愛歩はしんみりとした雰囲気お構いなく、すでにフタを剥がし、中身をかき混ぜていた。
私もフタを剥がして、箸で中身をかき混ぜる。美味しそうな出汁の香りがふわりと舞い、ほんのりとお腹が空く。
「いただきます」
三人で手を合わせると、箸でそばを持ち上げた。出汁がたっぷり絡んだそばは、
そのそばは、何の変哲もない、いつも通りの美味しいそばだった。
だけど、いつもと違って、心の芯まであったまる、あったかい味がした。
「あっ、でもお父さんの料理は食べてみたいかも? お母さんより美味しいんでしょ?」
顔をあげると、千聖がいたずら顔で私を見ていた。
私はわざとらしく、大きなため息をつく。
「はいはい、私はどうせ料理は下手ですよーだ!」
「そう、いじけないでよ? お母さんの料理おいしいよ?」
「本当に思ってる? 怪しいな〜」
私が千聖をじいっと睨んでいると、愛歩がそばを頬張りながらぼそっとつぶやいた。
「ほんとお父さんとお母さんは仲良しだね」
私と千聖は思わず顔を見合わせた。そして、思わず笑顔になった。
口いっぱいにそばを頬張る愛歩はゆっくりと首を傾げ、それでも再びそばを口に運ぶ。
あたたかい時間は、いつになっても変わらない。
お父さんの味 さーしゅー @sasyu34
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