第31話 転(2022/1/20改稿済)



 2日間の東京旅行を終えて、僕たちは家に戻った。


 すっかりリフレッシュしてしまった。


 こんな予定じゃなかったのに。


 お土産を部屋の棚に片付けて、僕は気合を入れなおす。


 いよいよ明日、ヤツがやってくる。


 家の間取りは、一階のリビングに、僕、天満さん、真下さん、一橋達也の部屋の入口がある。


 全ての部屋にWEBカメラが設置されているが、個人の部屋は個人が自由にON,OFFしていい事になっている。


 死角となる場所もある。


 だから僕は、自腹で買ってきた小型カメラをあちこちに設置する事を、天満さんと真下さんに説明して許可してもらった。

 

 映像データはリアルタイムでネット上のクラウドにアップされる仕組みだ。


 けれど、映像はあくまで何かが起こった時の証拠にしかならない。


 何か起きてからでは遅いのだ。


 マネージャーにも一橋達也の話をしてみたが「君の話だけで中止にしろとでも? この企画にいくらかかってると思ってるの?」と、話にならなかった。


 ここは僕がやるしかない。


 企画の期間中、天満さんは仕事をセーブしているので、規則的な生活が可能だった。


 なので起床時間と就寝時間を決めて、毎日、早々に部屋に入って生活してもらう。


 ゲームをたくさん用意して、天満さんのゲームする姿を配信すればネットの皆はきっと満足するはずだ。


 食事は食中毒などを危惧して、外から注文することになった。


 僕が運ぶようにすれば、眠り薬を盛られる可能性は低くなる。


 さらに念には念を入れ、僕は買いだめしたカロリーバーとペットボトルの野菜ジュースだけで過ごす事にした。


 もう二度と同じ轍は踏まない。



「お邪魔します」


 色々考えていると、天満さんが部屋に入って来た。


「どうしたの? 梨花」


 二人きりになったので、僕は彼女を梨花と呼んだ。


 でも、


「……あ、ごめんなさい。呼び方は天満でお願いします」


 距離を置かれてしまった。


「ごめん天満さん」


「いえ。呼ばれたくないってわけじゃないんですよ」


「うん。わかってるよ。大丈夫」

 

 彼女にはきっと、彼女なりの理由があるのだ。それはわかる。


 でも、拒絶されたわけじゃない事がわかって少しホッとする。


「あの……少しだけ、勇気を貰いに来ました」


 頭を、撫でられたいのかな?


「いいよ、おいで」


 僕はベッドの上に移動して、手を広げる。


「では……お邪魔します」


 彼女はそう言って、僕の太ももの上に頭を横向きに乗せた。


 僕が、ゆっくりと頭を撫でると、彼女は気持ちよさそうに目を細めた。


「気持ちいい?」


 わかっているけれど、あえて言葉に出した。


 そうすることで、初めて伝わる事もある。


 言わなくてもわかるなんて、片方の思い込みかも知れないのだ。


「はい。気持ちいいです」


「……怖かったらやめてもいいんだよ。どんなに世間が怒っても、世界中で、僕だけは天満さんの味方だから」


「今のセリフ。梨花で言い直してください」


「うん。わかった。世界中で、僕だけは梨花の味方だから」


「ふふっ」


と、天満さんは笑い、顔を僕の方に向けた。


「何か言葉がくすぐったい。優太さんは、私のお父さんみたいです」


「いいよ。パパって呼んでも」


「ふふ。じゃあ二人の時はパパって呼ぼうかな」


「いいよ。梨花」


 僕が言うと、彼女は目を瞑り、


「……耳が幸せ」


「なら良かった」


「梨花って呼んでください」


「梨花」


「へへっ」


 みたいなやり取りがしばらく続いた。


「優太さん。もしもの話をしてもいいですか?」


 彼女は僕の足の上に頭を乗せたまま、まっすぐ壁の方を向きながら言った。


「もしもの? いいよ」


「もしも、木下真理さんが、やり直したいって言ってきたらどうしますか?」


「真理が?」


 天満さんの口から、意外な名前が飛び出した。


「はい」


 真理がやり直したい。


 そんな事、言うはずがない。


「真理はそんなこと言わないよ」


「どうしてですか?」


「真理は、一度言ったことは曲げないと思うから」


「ではもしも、全部が嘘だったとしたら?」


「全部が嘘?」


「はい。彼女の浮気が全部嘘で、一橋達也となにもなくて、全部嘘だったらどうしますか?」


「どうしますかっていうか……」


 ありえない。


 そんな事。


「あの状況で、全てが嘘って言う事はありえないよ」


 思い出す痛み。


 より鮮明に。


「もしもの話ですよ」


と、彼女は言った。


「そっか。もしもの話か」


「そうです。もしも全部が嘘で、彼女がやり直したいって言ったら、やり直してくれますか?」


「……うーん」


 天満さんがどうしてこんな事をいいだしたのかわからなかった。


 彼女なりに、何か不安を抱えてるのかもしれない。


 どう答えれば、彼女の不安を和らげられるだろうか。

 

「やり直しはしないよ」


 僕の出した答えは「やり直しはしない」だった。


「また彼氏になれって言われても、僕は彼氏になったりしない」


「どうしても?」


「うん」


「復縁は無いって事ですか?」


「ないよ」


「……そうですか」


「うん」


 違ったのかな。


「もし……」「私……お風呂入ってきます」


 僕と天満さんが同時に喋り、一瞬、間があいた。


 僕は、天満さんの頭を撫でて、


「ゆっくりしておいで」


「うん。ありがとう」


 天満さんは飛び起きて、それから手をふって部屋から出て行った。


 さて。


 一応カメラの位置をチェックしてくるか。


 天満さんと真下さんには、カメラの位置は全部伝えてあるが、一橋達也に言うつもりはない。


 僕が取り付けたものは外されるに決まってるからだ。




 チェックを続けていると、リビングの端っこで、真下さんが壁に寄りかかっているのが見えた。

 

「あれ…………寝ちゃったのかな?」


 人が苦手なのに、東京まで往復したからな。


 お疲れ様です。


 僕は部屋から毛布を取ってきて、彼女にかけようと近づいた。


 スケッチブックが置いたままになっていて、その近くに、くしゃくしゃになったページが転がっていた。

 

 失敗したゴミだろうか。


 でも、勝手に捨てるのはいけないよな。


 そのままにしておこう。


『真』『理』


 …………ん?


 くしゃくしゃになったページにその2文字が見えた。


 恐る恐る手に取って広げてみると、何の事は無い『真』下木乃『理』の最初と最後の文字が見えていただけだ。


 さっき、天満さんとの話で名前がでたからな。


 ちょっと敏感になってるみたいだ。


 僕は、くしゃくしゃになったページを広げる。


『真』下木乃『理』


 『真』と『理』の間の文字が、目に留まる。


  下木乃


 した……きの。


 きの……した……?


 心臓の鼓動の速度が急激に上がるのがわかった。


 木乃下真理?


 こんな偶然。


 こんな偶然あるのだろうか?


 僕は、あたりを見回す。


 天満さんは、さっきお風呂に入っていった。


 しばらくは出てこないだろう。


 寝ている彼女は起きる気配が無い。


 僕は、ゆっくりとスケッチブックに手を伸ばした。



 スケッチブックには、彼女が描いたと思われる絵が描かれていた。



 屋上で天満さんとご飯を食べている絵。


 フレトマで真央とアルバイトをしている絵。


 生徒会室で皆本さんと談笑している絵。


 動物園でホッキョクグマの餌やりを見ている絵。


「なんだよ……これ……」


 全部、全部が僕の絵だった。



 いや、そんなはずない。


『時々木乃理ちゃんがお弁当作ってくれるんですよ』



 真理は料理が苦手なはずだ。弁当なんて作れるはずがない。

 


『月雅堂のプリンです』


 真理は甘いものが苦手だ。


 けど真下さんは、一日限定50個のプリンをわざわざ買って食べていた。


 月雅堂のビュッフェだって、甘いものが好きじゃなきゃ予約なんてするはずがない。



 真理が大嫌いな蜘蛛だって、真下さんは好きそうだった。



『木乃理ちゃんがどうしても来たがってたんですよ』



 真理は高い所が苦手だ。真下さんも怖がっていた。

 


 でもなんでスカイツリー? 行く必要なんてないだろ。


 わからない。



 全部がわからない。



 けれど、答えはそこにある。



 壁に寄りかかっている彼女へと手を伸ばす。


 彼女は起きない。ぐっすりと眠っている。


 昔から寝起きが悪かった。


 一度寝るとなかなか起きなかった。



 右手で彼女の前髪を、左手でマスクをずらした。





『もしも全部が嘘で、彼女がやり直したいって言ったら、やり直してくれますか?』






 そこには、思い描いた通りの人物がいた。



「…………真理」






第一部 完


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