第29話 NTR者の末路(2022/1/20改稿済)
話は少し遡る。
数日前、僕は道端でばったり正治さんに再会した。
「おお! 兄弟! 久しぶりだな!!」
正治さんは異様にテンションが高く、走って近づいてきた。
「お久しぶりです。正治さん」
「元気だったか?」
「はい。正治さんは?」
「いやあ。実はあの後、ずっと家に監禁されてて大変だったんだ」
「家に監禁?」
「葵から聞いてないのか? 示談になったんだよ。あの一家に二度と近づかないって約束をさせられて」
「……そうでしたか」
「だから優太がせっかくしてくれた約束もできなくなった。悪いな」
「いえ。そんな事はないです」
「ちょっとお茶するか。時間あるか?」
「はい」
近くのファーストフード店に入った。
夕食代わりなのか、正治さんはビッグハンバーガーとポテトのセットを注文する。
ここの紅茶は美味しくないので、僕はオレンジジュースだ。
「なんだ? 食べないのか?」
「家の夕飯があるので」
「なるほどな。それにしても最近は生きづらい世の中になったもんだよ」
正治さんは、はぁ、と大きなため息をつきながら、ビッグハンバーガーにかぶりついた。
「何かあったんですか?」
「いや、それがな。近所にいる幼女が俺を『ざーこ、ざーこ』って言うもんだから、わからせてやろうと思って『わからせてやるぞ』って叫んだら、大人が出てきて問題になってな」
「……正治さん……」
「いや大丈夫だ。未遂だ。考えて口に出しただけだ」
「口にするのがアウトなんですよ」
「とにかく問題になったんだが、金の力で解決した」
お金って色んなことが解決できるんだな。
正治さんと話すと、色々と勉強になる。
「そうだ正治さん」
僕は近くの席に人がいない事を確認し、
「寝取られって知ってますか?」
「何だ兄弟。ネトラレに興味あるのか?」
「ちょっと詳しくなっておきたくて」
「素晴らしい傾向だな。兄弟よ。ネトラレはマゾヒズムの一種だ。自分の妻や彼女を、他の男と性的関係を結ばせて喜ぶ性的嗜好の事を言う」
「自分の妻や彼女を? ……それって何が楽しいんですか?」
「別に楽しくはない。痛くて苦しいのがずっと続くんだよ」
「……?」
「いいか。例えば妻を他の男に寝取らせるとする。最初は妻も嫌々だ。けれど徐々に相手の事が好きになり、最後には心も体も奪われる。これがまた心をエグられるんだよ。ものすごい敗北感と屈辱感に、闇の世界の扉が開かれるんだ」
「正治さん。声が大きいです」
大切な人を他の人に寝取らせるか。
意味がわからないし、まったく共感できないと思った。
―
「待って。ラブホテルって18歳未満と高校生は入れないっぽい」
僕は、駅前のベンチでスマホで検索をして、そう結論を出した。
槍川さんは呆れたように僕を見て、
「別に制服着てるわけじゃないんだから、気にしないで入ればいいでしょ?」
「そんなわけにはいかないよ。何かあった時、槍川さんのご家族を悲しませるような事はしたくないんだ」
「ねえ、ラブホテルって何をするところかわかってる?」
「申し訳ない。じゃあ僕の家はどう? 3日後の早い時間なら親がいない」
「ずいぶん積極的なのね」
「解決しておきたい問題があって」
「どんな問題?」
「早く槍川さんとエッチなことをしてみたいんだよ」
「……本気で言ってるの?」
「まあね」
これで騙せるとは思っていないけれど、彼女は僕の提案に乗るしかないはずだ。
彼氏が寝取られ趣味ならば。
僕に寝取られるのを望んでいるはずだから。
「ねえ桜田君」
「なに?」
「良かったら私に任せてくれないかしら。今週、うちも両親がいない日があるから」
釣れた。
僕はそう思った。
―
「こっちよ。入って」
槍川さんに案内されて、マンションの部屋に入る。
机とテレビとクローゼットとベッド。
あまり物がない。本棚もない。
「綺麗にしてるんだね」
「ええ。彼が潔癖な人だったから」
「彼の趣味なんだ。元々はどんなだったの?」
「ものが雑然としてたわよ」
「そっか、そういう槍川さんの部屋も見てみたかったな」
「……なんか変よ。今日の桜田君」
「初めてだからね。緊張してるんだよ」
「ふふ。私がリードしてあげるからね」
彼女はそう言って、僕に近づいてきた。
「槍川さんは一人っ子?」
「もういいから始めましょ」
急に顔を近づけた彼女をサッとかわして抱きしめる。
柔らかい感触とシャンプーの匂い。
緊張して心臓の鼓動が早くなる。
落ち着け。落ち着け。
槍川さんも緊張してるのか、僕が抱きしめた後に動かなくなった。
「き、緊張してる?」
僕が聞くと、彼女はビクッと体を震わせた。
「そ、そんなわけないでしょ。こんなの……いつもの事なんだから」
「そう」
彼女も嘘が下手だな。
彼女の緊張を感じ、僕は逆に緊張がほぐれた。
ゆっくりと彼女の背中を撫でると、彼女の体はさらに固くなった。
「大丈夫。何もしないよ」
「え?」
「ベッドに行こう」
彼女の手を引いて、ベッドに横にする。
「……慣れてるのね」
槍川さんがボソッと呟いた。
何を言ってるんだろう。
慣れてるわけないだろ。
僕は、彼女に馬乗りになると、布団を手に取って自分ごとかぶせた。
「え? 何?」
布団の中の暗闇で、彼女が不安そうな声を上げる。
「大丈夫。何もしないよ」
「別に。ちょっと驚いただけよ」
僕は、彼女の耳元に口を近づけて、
「熱海君はクローゼット? それとも廊下?」
「な、何を言ってるの?」
「最初に変だと思ったのは動物園で彼が僕の襟首を掴んできた時だよ。僕はてっきり真央の事で怒ってるのかと思ったけど、その直後のやり取りが変だった。思い返してみると、彼が掴みかかって来たのは、槍川さんが僕にキスをしてきた直後なんだよね。だから怒ったんだろ? 彼氏だから」
「……」
「そうなったら全部が繋がった。槍川さんは言ってたよね? 槍川さんの彼氏は、スペックの低い男に槍川さんを寝取らせて興奮するんだって」
「……言ってたわね」
「動物園で、僕が彼女を寝取られた話をしていた時、他の人は辛そうにしていたのに、熱海君だけは目がギラギラしてた。だから、そういう性的嗜好の人なのかなと思った」
「……」
「考えたんだ。寝取らせて興奮する人が、どうしたら一番興奮を得られるのか。撮影した動画を見る? 彼女から寝取られた話を聞く? 違うよね。一番近い場所で観戦することだ。しかも、友達になっておいた方が、より敗北感や屈辱感が大きい」
「……あなたも変態だったのね」
「ちょっと知り合いに詳しい人がいたんだ」
「そう」
「思い返せば槍川さんが『彼と別れる』とか『彼なんてどうでもいい』とか言ってたのは全部熱海君がいる場所でだった。僕たちがホッキョクグマ舎で仲良く並んでクマを見ていた時、熱海君はすぐ近くのライオン舎にいたそうだよ。そう言えばあの時、槍川さんは僕にくっついて来ようとしたよね」
「…………クローゼット」
彼女は観念したように言った。
クローゼットはちょうど僕の背中側にある。
「僕はどうしたらいい? どうしたら熱海君は満足する?」
「どうしてそんな事を聞くの? 私と彼に騙されてたのよ? 普通は怒るところでしょ?」
「怒ってるよ。真央まで巻き込んだことに。でも怒りをぶちまけても、お互いが不幸になるだけだ。最後は喧嘩別れになるとしても、せめて槍川さんの願いは叶えたい」
「……私……桜田君を好きになればよかった」
「もう遅いよ」
「うん。わかってる」
「僕は初めてだから、どうしたら熱海君を満足させられるかわからない。どうしたらいいか考えてほしい。もちろん本番はしない」
「もういいわ。私の為に、ここまでしてくれる人に、嘘はつけないもの」
「……え?」
「クローゼットには誰もいない。彼氏が寝取らせ趣味だなんて全部嘘よ」
「……え。まって。どういう事?」
「ごめんね。彼氏が熱海一平なのは本当。でもね。本当に彼が好きなのは寝取りなの」
「……え」
「彼がライオン舎で何をしていたのか聞いてきたわよね。教えてあげる。彼は私と桜田君が腕を組んだり、くっついている所を写真に撮っていたのよ」
「……なんで?」
「まだわからない? 今頃、私が動物園であなたと腕を組んでた写真や、抱きついていた写真を真央に見せて、ショックを受けてる真央を抱いてる頃じゃないかしら」
体が動いた。
「服! 桜田君! 上半身裸よ!!」
間に合え。
間に合え。間に合え。間に合え。
玄関を飛び出して、まっすぐ駅に向かう。途中でタクシーを見つけて飛び乗った。
「急いで向かってください!!!」
真央の家の住所を告げる。
熱海君の家の住所は知らない。
くそっ!
失敗した。失敗した。失敗した。失敗した。
僕はポケットにスマホを入れたままだったことを思い出した。
真央に電話をかける。
プルルル……。コール音が鳴り続けるが、真央は出ない。
「くそっ」
葵さんに電話をかけると、すぐに出てくれた。
『どうしたの?』
「真央は熱海君と帰りましたか?」
「ええ。さっき家に着いたって真央から連絡があったわよ。それがどうかしたの?」
「もしかしたら、真央が熱海君に襲われてるかも知れません。今、急いで葵さんの家に向かってます」
「……なにがあったの?」
僕は何があったかを簡単に話した。
「桜田君。あと、どれぐらいで着く?」
「運転手さん! ……あと、どれぐらいですか!?」
僕が聞くと、
「5分もしないうちに着くよ」
と、運転手。
「5分だそうです」
「じゃあ桜田君の方が早いわね。家のポストの下に予備の鍵が貼り付けてある。使って」
「ごめんなさい。僕のせいで」
「今は急いで。私もすぐ行くわ」
「おねがいします」
「着いたよ」
運転手が言った。
「おつりはいりません!」
車を飛び出して、まっすぐポストの下に手を入れる。
あった! 鍵!
焦るな。焦るな。
思うほど、手がうまく動かない。
鍵穴に鍵を差し込んで、回す。
ガチャリと鍵が開いた音。
もしかしたら、王馬君がいるかもしれない。
もしかしたら、如月さんがいるかもしれない。
全部、槍川さんの妄想で、熱海君と真央はただ談笑してるだけかも知れない。
頼む。
なにも起きていないでくれ。
僕は二階への階段を駆け上がり、真央の部屋への扉に手をかける。
鍵はかかっていなかった。
「真央っ!」
部屋に飛び込むと、ベッドの上で、真央の上に馬乗りになった熱海君。
「……おい。止めろ。桜田!」
僕を見た熱海君が、恐怖に顔を引きつらせた。
真央の泣いている顔が見えた。
もう十分だ。
クソ野郎。
僕は熱海君を殴りつけた。
けど成功したのは最初の一発で、体格も喧嘩の強さも熱海君の方が上だ。
僕は、熱海君にボコボコに殴られて、真央が止めてくれなかったらどうなっていたかわからない。
ダサいな。
もっと強くなりたいよ。
「大丈夫? 桜田君?」
葵さんの声にハッとする。
気絶してたようだ。
「真央は?」
「無事よ。熱海一平に無理矢理迫られて、ベッドの上に逃げたところに、桜田君が部屋に入ってきたみたいね」
「良かった……」
「ありがとう。桜田君のおかげよ」
「いえ……そういえば真央は?」
「さっきからずっと桜田君にしがみついてる」
「え?」
見ると、真央が、僕を抱き枕のようにして抱きついていた。
僕が真央の頭に手をのせると、真央が涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げた。
「真央。怖かったよな? ごめっ……」
僕の唇に、乱暴に、唇がこすりつけられる。
今までで一番粗野で未熟で、情熱的なキスだった。
「やだよ……やだ……優太君……ボクじゃだめ?」
「……真央?」
「熱海君に写真を見せて貰ったの。優太君と芽衣子が抱き合ってた。腕を組んでた。優太君の好きな人ってやっぱり芽衣子なの?」
「……え」
ボクが固まっていると、葵さんが寝ている僕の枕元に座り、
「どうやら真央は、熱海一平に襲われたことよりも、桜田君が槍川芽衣子と抱き合ってた写真の方がショックだったようだよ」
呆れたように言った。
なんて強い子だろうか。
僕は真央をギュッと抱きしめて、
「僕は、槍川さんよりも、誰よりも真央が好きだよ」
「ほんと? 嘘じゃない?」
「うん。本当だよ」
「ボクも……優太君が好き」
「うん。ありがとう」
「ずっと一緒にいたいよ」
「うん」
「一緒にいてくれる?」
「ごめんね。それは出来ないよ」
「やっぱり……芽衣子のこと……」
「違うよ。あれは槍川さんが無理矢理抱きついてきただけだ。それを熱海君が撮影したんだろうね。真央を僕から奪うために」
「奪う?」
「うん。真央。二度と熱海君に近づいちゃ駄目だ。あれは危険な男だよ」
「うん。じゃあ送り迎えも優太君がしてね」
「うん。もちろんだよ」
「でも一緒にはいてくれないの?」
「真央。言ったよね。僕には好きな人がいるって」
「うん。でも尊敬に近いって言ってた」
「そう。でも僕は、彼女の為なら何でもしようって思ってる。求められたら命だってかける。彼女にはそれ位おおきな恩があるんだ。だから、真央と付き合うことは出来ない。ごめんね」
「……」
「じゃあこう言うのはどうかしら? 桜田君」
葵さんは、顔を近づけてきて、そっと僕の口に唇を重ねた。
「お姉ちゃん!?」
「……桜田君。言ったはずよ。私は、真央のためなら何でもするって」
僕は、驚きが許容量を遙かに超えて、声が出せなかった。
「真央と付き合うか、私と結婚して真央の家族になるか、今ここで選んで」
「ムチャクチャだよ、お姉ちゃん!」
「無茶は承知で言っているのよ、真央。さぁ、桜田君。
どっちかを選んで」
「む、無理です」
「それは真央が無理って事? それとも私が無理なのかしら?」
「違います。そうじゃなくて……」
「言っておくけど、今日は帰すつもりはないわよ。君が決断するまではね」
葵さんは、僕の耳元でささやくように言った。
「ほ、本気なんですか?」
「私が本気じゃなかったことなんてないでしょ?」
「それは、そうですけど……」
妹のために、好きでもない男と結婚しようとするとか。
「正気じゃないですよ」
「二番目ならどうかしら?」
「二番目?」
「その恩人が一番目で、私と真央が二番目。これ以上はないわ。これが最大の譲歩」
「無理って言ったら?」
「監禁するわ」
「は、犯罪ですよ!」
「桜田君。桜田君は、真央に失恋の辛さを短期間に二回も味会わせるつもりなの?」
「そ、それは……」
「さあ……選んで!」
葵さんの圧力に負け、僕はジリジリと壁際に追い詰められ始める。
ピリリリリ……。
良いタイミングで、電話がかかってきた。
「あ、電話なんで」
僕は立ち上がってスマホを見ると・
【天満梨花】
天満さんからだ。
僕が出ようとすると、葵さんにスマホを奪われて、電話を切られた。
「……葵さん」
「私は本気だよ」
「わかりました」
僕は決断した。
「真央とは付き合えません。結婚もできません。でも、できる限り一緒にいることを約束します」
この言葉で、葵さんは渋々だったが納得してくれた。
ただ、誤算だったのは、
『出来るだけ真央と一緒にいる時間を増やします』という意味で言ったのに、どうやら違う意味で捉えられていた事だ。
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