第2話 bungee



 ブルブルブル……ブルブルブル……ブルブルブル。


 僕はまだ元野球部の部室で板張りの床に座り込んでいた。


 ブルブルブル……ブルブルブル……ブルブルブル。


 先ほどからずっとスマホが振動している。


 着信は【木下真理】


 僕の彼女だった人の名前だ。


 あんなのを見た後では、とても彼女からの電話になんてでる気持ちにはなれない。



 彼女は、幼い頃から家が隣で幼馴染みだった。


 何度目かの告白が成功して、僕は浮かれていた。


 お互い心が通じ合っていると思っていた。


 でも幻想だった。僕の妄想だった。


 彼女の気持ちは別の所にあった。


「……ごめんな」


「謝ることはないですよ。桜田さん」


 彼女は僕の手を取って、ギュッと握りしめた。


「え……?」


 何でまだいるんだ。


「こういう時、人は2つの行動に出がちです、相手にめちゃくちゃに復讐してやろうとするか、自分を責めて苦しむか。あなたは後者なんですね」


 彼女は、僕と同じように掃除のされていない汚い床にしゃがみこんでいた。


「服、汚れるよ」


「洗えば良いだけですよ。もう少しここでゆっくりしましょうか。あなたが自分の足で立ち上がれるようになるまでは、私はずっとそばにいます」


 どうしてそこまで……いや、どうでもいいか。


「……」


 しばらく沈黙が続いたが、嫌な沈黙じゃなかった。


 彼女はただ、黙って微笑んでいてくれた。


「……そういえば、名前……」


 僕は彼女の名前を知らないことに気付いた。


「私ですか? 私は梨花。天満梨花です。さ、行きましょうか」


「え、行くってどこに?」


「遊びに行くんですよ」


 いや、あんまりそんな気分じゃないんだけどな。


 でもまあいいか。


 どうせ帰っても塞ぎ込むだけだ。


 僕は彼女に優しくてをひかれ、ゆっくりと歩いていった。


 握られた手の温かみだけが、僕の気持ちをここにつなぎ止めている。


 油断すると何かが戻ってこれなくなりそうだった。


 普段は気になる人の視線が全然気にならない。


 電車に乗り、どこかの駅で降りて、車に乗せられて、山の方まで運ばれた。


 どこに行くんだろう。


 まぁいいか。


 車をおろされて、手をつないで山道を登る。


 梯子のようなものを登らされて、少しだけ広い場所に立たされた。


「ではここからは一緒に行けませんが、係員の指示に従って頑張ってください」


「?」


 係員が僕の手を引いて、ロープや金具を僕の体に巻いた。


「3,2,1、バンジー! の声で飛んでくださいね。心の準備は良いですか?」


 係員が僕に心の準備を聞いてきた。


 待って。


 何の準備もできてない。


「うっわああああああああ!!!」


 僕は落ちた。


 上から下に。


 下から上に。


 その後はもう覚えていない。


 ぐるぐる回って死んだと思った。


「あはは! 楽しかったですねー!」


「……いま、あまり話しかけないでほしい」


 ぐったりしていると、いつの間にか彼女はいなくなって、それからしばらくして戻って来た。


「これ写真です。どうぞ」


 僕が凄い顔で落ちている写真だ。


「酷い顔……」


「私の写真はこっちです」


 落ちながらも、明らかに余裕を感じる笑顔で笑っている写真だった。


「交換しましょう。こっちが私、こっちが桜田さんです」


「いや僕は……」


 彼女がいるからと言おうと思ったが……まあ、いいや。どうでも。


「……貰うよ」


「それじゃあご飯食べに行きましょうよ。何食べたいですか?」


「食欲ないよ」


「失恋は辛いですけど、少しは食べないと」


「食欲が無いのはバンジージャンプのせいだよ」


「あ、アドレス交換しましょうよ。IM使ってますか?」


「え、うん」


「コード出せます?」


「たぶん……」


 使っているとは言ったものの、ほとんど開いたことがない。


 四苦八苦してコードを表示。


 アドレスを交換した。


 浴衣を来た彼女のアイコンが追加される。


「たくさん連絡しましょうね。暇にはさせませんよ」


「……なんで」


 こんなにしてくれんだろうか。


 ありがとう。


 そう伝えようと思ったのに、言葉が出てこなかった。


 出てくるのは情けない嗚咽ばかりだ。


 周りに人もいるのに、連れが子供みたいに泣いてしまって彼女はさぞ迷惑してるだろう。


「……ごめん」


「気にすることないですよ。泣くことも、逃げることも恥じゃありません」


 彼女はそう言って、優しく抱きしめてくれた。


 しばらくして落ち着くと、激辛料理の店に連れていかれ、あまりの辛さにまた泣いた。


「今日は楽しかったです」


「こちらこそありがとう」


 地面を見ながらお礼を言った。


 僕の体はすでに限界を超えていた。


「明日は朝9時に神楽駅前に集合でいいですか?」


「え?」


 明日は金曜日だ。普通に学校もある。


「夜の話?」


「いえ。朝9時です」


「学校あるよね?」


「あの二人はクラスメイトなんですよね? 明日、普通に学校にいけますか?」


「それは行くしかないよ」


 二人がキスしているような姿勢だったのを思い出して、首を横に振って忘れようとしたがうまくいかなかった。


「あの二人は、私たちが今日見ていた事を知らないんです。きっと普通に話しかけてきますよ」


「それは……」


 まるで地獄だ。


「耐えられますか? 笑顔でいられますか?」


「……」


「遊びましょうよ。桜田さん。明日から三日間。なんなら一ヶ月ぐらい二人でずる休みしちゃいましょう」


「それは休みすぎだよ」


「ふふっ。ちょっと笑った」


 笑ってただろうか。


「でも天満さんに悪いよ。僕なら大丈夫だから」


「いーえ駄目です。神楽駅の前に必ず来てくださいね」


「……はい」


「それじゃ、おやすみなさい」


 彼女は優しくハグをして、それから帰っていった。





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