第28話 海の近くで4
公園へ続く海沿いの歩道を少しだけ歩いて、ショッピングモールの敷地を完全に出た辺り。
「今日楽しかったね!」
蛍ちゃんは立ち止まると手すりに近づいてそう言った。
「うんうん。私も楽しかったよ」
「いつかああいう大きい会場でライブしたいなぁ。その時は私がセンターだったらいいなぁ」
駅前の明かりはこの辺りまでも届いていて、そこにコンサートホールもあったことを私は思い出していた。
「応援してるよ」
蛍ちゃんの夢が叶ったらいいなと心からのエールを送る。
「あはは、無理してる。推しメンがセンターの方が嬉しいでしょ?」
「無理してないよ!……応援してる。その時は見に行くね」
並んでそんな話をした。
だってリリアちゃんセンターに興味ないらしいし、そもそもそんなずっとアイドル続けてるのかなとか、余計なことは言わないし思わないようにした。
「ふーん。……ね、飛鳥ちゃん?」
「うん?」
「私のこと、喋っていい?」
そう言うと、蛍ちゃんはなんでもない話のように突然、切り出した。
「私のお母さんさ、飛鳥ちゃんのお父さんと結婚した人。本当のお母さんじゃなくて」
「え?」
「私が幼稚園の時に一人目のお父さんと離婚して、小学校の時に二人目のお父さんと離婚して、それからすぐいなくなったの。蒸発、したんだよね。だから今のお母さんが引き取ってくれたの。知ってた?飛鳥ちゃんのお父さんから聞いてた?」
「……知らない」
私はかろうじて受け答えだけした。本当に何も知らなかった。
というか気にしたこともなかった。
蒸発っていう単語だけがやたらと頭に引っかかった。普段使い慣れていないからだと思う。
「フフッ。気使わなくていいよ」
蛍ちゃんは普通に笑っていた、たぶん。
私はそう言われても笑う気にはなれなかった。
「だからさ、私がああいう大きい会場でライブしたりテレビ出たりしたら絶対悔しいと思うんだよね。私のこと捨てなきゃ良かったなって、思うと思わない?」
そんな、この曲良いと思わない?みたいなノリで聞かれても答えることなんてできるわけない。私は蛍ちゃんを見つめたまま固まっていた。
私が何も言わないからか分からないけれど、蛍ちゃんは続けて言った。
「飛鳥ちゃんは応援してくれる?」
「うん」
「私のこと好き?」
「うん」
「でもリリアのほうが好きでしょ?」
「……え?」
本心からの返事だった。急にリリアちゃんの話になってどういう展開なのか分からずにあらためて蛍ちゃんを見た。
やっぱり夜だしはっきり表情は見えないのかもしれない。
「それとこれとは別っていうか……アイドルだし……」
「……困ってる?」
「いや困ってないけど」
「ごめん。飛鳥ちゃん優しいから……」
なんとか元気を出してもらう方法を探して
「何でも言って。頼りになるか分からないけど力になれることがあれば何でもするよ」
私はそう言った。
これも本心だった。優しいとかじゃなくて本気で蛍ちゃんの力になりたいと思った。
「じゃあ私のこと好きになって」
少し暗い歩道の上で蛍ちゃんは私を見ていた。
「……いや、好きだと思うよ」
「……だめ、一番。絶対ずっと一番がいい……!
絶対頑張るから、絶対自慢の妹になるから
飛鳥ちゃんは私の味方でいて!」
蛍ちゃんの消えそうで強い声。
これでもけっこう向き合えていたと思ってたけど
私はそう言って目に涙を浮かべる蛍ちゃんを前に戸惑うことしかできなかった。
…………正直、何がそこまで悲しいのか分からなくて。
だって私は蛍ちゃんが好きで、
アイドルとか人気とかそういうこととは関係なく蛍ちゃんが大好きで
それで何がだめなのか私には分からなかった。
「今すぐじゃなくてもいいから……私のこと好きに、なって!」
──だからもう好きだよ
と言おうとしたけれどやめた。
うちにはお父さんもいるし、お母さんは事故でいなくなってしまっただけで蒸発はしていないし、
大好きな大好きなリリアちゃんはいるし、大好きな蛍ちゃんはいるし。
だから求められているものはそれじゃないってことだけはなんとなく理解できた。
「うん」
自分でもよく分からないまま頷いて手を取った。
それからすぐに
蛍ちゃんは泣き止んでくれて、もうそれ以上そのことは言わなくて、
なんてことない話を始めた。
それはそれで苦しかったけど、新しくできた妹とのこの時間すら楽しいし幸せなのはやっぱり間違いじゃなくて。
私たちは家に帰るまでずっと手を繋いでいた。
もうこんなのはほとんど両想いみたいなものだよね、と帰り道ずっと思っていた。
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