第75話 英雄と化け物

「約束は、どうするの?」

「アンタとの約束は生徒会選挙で戦うこと。今アタシがやりたいのは力試しのタイマン、分かる?」


 冷淡に告げる陽咲乃に、勇香は躊躇いのある浅い頷きで応えた。


「決闘……か。お、お披露目は明日だけど、陽咲乃には相棒になってほ、欲しいから」


「じゃっ、結界張るね」

「結界?」

「こんな場所で生徒同士アタシら決闘しバトってたら秒で見つかるでしょうが。アンタも分かってるんじゃない?」

「そ、そうだね」

「勝負はそうだなー、どちらかが魔法か物理でぶっ倒れたら即終了、でどう?」

「なんでもいいよ。私は格の違いを証明できればいいんだよね」

「まぁ、そういうことかな」


 陽咲乃がポーチから浅葱色の球体を取り出すと、それを大ぶりに教室の中央に投げやる。球体は宙でブクブクと膨れ上がり、一瞬のうちに教室を覆った。


「こ、この結果って……」

「さっ、始めるよ」


 空間断絶結界。元の教室とそう変わらない景観だが、そこは教室とは別次元。机や椅子などのオブジェクトは触れられずに通り抜け、尚且つ廊下からは何の変哲もない空き教室とみられるため、魔力感知で探られる場合以外は、よもや中で戦闘しているとはだれも気づかない。


「防御用の魔法具は?」

「あぁ、身体防御用の極小結界のこと?あれはあくまで模擬戦用の魔法具だから、校内の魔法具店でも売ってるわけないし、演習以外で先生に貰うとしても理由込みの申請書が必要。生徒の端くれでしかないアタシが持ってるわけないよ」

「えっ、じゃあ……」


 攻撃次第では瀕死の重傷に追い込んでしまう可能性もあること。勇香が揺らいでしまうのは当然のことだ。しかし、陽咲乃は同情などしなかった。


「どうする?やめる?」

「い、いや、でも」

「どっちかにして」


 優柔不断な勇香に陽咲乃は嘆息を吐きつつも、勇香は深々と頷いた。


「や、やる。殺さなければいいんだよね」


 含みのある物言いに、陽咲乃の眉がピクリと動く。陽咲乃と勇香はお互いに対峙する。思えば、こんな日が来ようとは思いもしなかった。もとよりこんな事態は陽咲乃の眼中にはなかったが、勇香を委員会から引き剥がすためには、避けては通れない運命だ。


「じゃあ」


 陽咲乃の狼煙に、勇香は何も言わずに右手を前へ突き立てる。気のせいか、その右手が透けているような気もするが、陽咲乃は特に気にも留めず。短剣を構えたまま、もう片方の左手で白色の球体を地面に投げた。


「──っ!?」


 先手必勝の目くらまし。白煙が結界を覆い、視界を遮る。

 盗賊を選択した生徒が最初期に学習する妨害トラップ術。視界不良の結界内で、陽咲乃は速度を緩めることなく縦横無尽に結界内を移動する。ただ、これでは術の効果は不十分だ。


「ぐっ!?」


 雷撃が白煙を縫い、陽咲乃をピンポイントに撃ち抜く。陽咲乃は直前で防御結界の魔法具を振り投げ、それを無力化。しかし、その後も勇香は視界不良など無意味だとばかりに正確無比に雷撃を放つ。


 盗賊の初心者がたびたび犯してしまうこの術の誤用。持ち前の俊敏性で動き回るあまり、それにより発生した突風によって相手に位置を察知されてしまう。


 もちろん、陽咲乃はこの術を学んだ際に、教師にはこれを含んだ事例をこっぴどく忠告された。陽咲乃は隠密のために魔法具を使用した訳ではない。


「ねぇアンタ、本当にアタシを相棒にスカウトするため降りてきたの?」

「いきなりなに?」


 普通なら隠密や自爆防止の魔法具を使うところを、素肌を曝け出すように向こう側に位置をバラす。すなわち、こちらに戦闘の意思なし。あくまで説得だ。この結界は、勇香とふたりきりで話し合うため展開したに過ぎない。


 こちら側の思惑は露知らず、戦闘態勢の勇香に同調する形で、陽咲乃は盗賊としての立ち回りを熟しつつ説得する。そもそもこの戦いに意味などない。まともに戦闘しようが、委員会に優遇された勇香との経験の差は歴然なのだ。


「少なくとも、そちらさんはアンタを孤高の英雄として褒め讃えてるわけでしょ?アンタの独断専行を許してくれるほど、アンタ自身が大切に育てられてるって意味なら別だけど」

「……っ」

「ねぇ、あなたの本当の想いを聞かせて?」


 姿は見えないが、勇香の声は木霊しない。魔法も放つ素振りも、めっきり止んでしまった。此方の意図に気付いたのだろうか。であればこのまま無駄に動いていても体力を浪費するだけだろう。足を緩め始めた陽咲乃に、霧中から勇香の声がした。


「……無理だよ」

「?」

「陽咲乃は私には勝てない。道は決まってるの。うっかり殺しちゃったらごめん、でも、しないよ、友達だし。手加減するね」


 瞬間、白に呑まれた結界内に咲く、炎華の灯。それは勇香からだった。

 一輪の炎華は爆炎へ。勇香を台風の目とした炎の渦が、教室サイズの小結界を焼け焦がし、付属した熱風は白煙を霧散させる。


「命じる──ファイアアーマー」


 炎渦は勇香を視界に捉えることすら許さない。地面はたちまち炎海と化し、縦横無尽に動いていた陽咲乃も頼りの足場が燃えたことで減速する。


「なに、これ」


 陽咲乃は策を練るよりも先に、炎渦の物珍しさに見惚れてしまった。圧巻である。


(勇香、こんな魔法使えるんだ)


 ついに陽咲乃は足を止め、勇香を包む炎を恍惚と眺める。風ひとつない結界の中で灼熱が爆ぜ、顔にはおびただしい熱波がぴしゃぴしゃと張りつく。時折、炎の隙間から伺える勇香の容貌は、もうひと昔前のそれをしていない。


 ちょっとやそっとで涙を流し、些細なことで弱音吐き散らしていたあの頃に、陽咲乃は懐古すら覚えた。


「何を惚けてるの?」


「──っ!?」


 眼前のそれは虚像フェイクであった。爆炎の鎧を纏った勇香は陽咲乃の背後に。

 陽咲乃も咄嗟に対応するが、平和ボケの代償は重い。振り向いたその一瞬で、その数コンマでこの世の命はどれだけ奪われるのだろうか。

 

「ぐっ!」


 陽咲乃の足元から出現した氷檻に、陽咲乃はあっという間に身動きを封じられた。

 破壊しようと力を込めようにも、陽咲乃の腕力では物理は魔法に敵わない。同時に氷檻は陽咲乃の体温をねっとりと強奪する。


 それよか氷檻は徐々に規模を広げ、陽咲乃を中心として結果内の三分の一を埋め尽くした。反対に、勇香を中心とする地面には炎の海が次々と造成される。それは氷檻を囲むように結果内を軽く浸食し、空間はものの数十秒で氷と炎の双極地獄に変貌した。さっきまでただの教室だった景色の変容に、陽咲乃はあんぐりと口を開けた。


「……ちょっと、大袈裟すぎない?」

「戦いってこういうものだよ」


 嘘つけよと反論するも、そう思考できる意識すら氷は奪っていく。唯一外界と接する顔も、目も開けられないほどの熱波に侵される。意識がだんだんと遠のいていく中、陽咲乃は勇香に


(なんでだろ。今の勇香が、とても輝いて見える)


 自分を追い込んでいる存在が、一際煌びやかに、まるで映画の中の英雄みたいに見えた。けれどひとたび見方を変えてしまえば、“化け物”にも変貌する。ようやく、絵梨奈の言葉の意味を理解できたかもしれない。


 今なら実感できる。一方的に交わしてしまった口約束だけど、それは間違いではなかった。勇香とならどこへだっていける。


「アンタさ、手加減って言葉知ってる?」 


 陽咲乃は皮肉混じりの賛美を送る。勇香はそれを受け取ると、一息置いて告げた。


「この世界の水はちょっと特殊でね、生命が死ぬくらい大量の火を一度に浴びせれば、世界の終末を簡単に再現できるんだよ」


 勇香はパクパクと口を動かす。何かを唱えているようにも見えるが、陽咲乃の耳には届かない。


「──解放メルト


 瞬間、陽咲乃を拘束していた氷檻は、陽咲乃を呑み込んで宙えお浮かぶ大量の水塊に昇華した。それらは周りを囲む炎に呼応するようにして膨張し、バシュっと水蒸気に気化する。


 刹那──まるで表面を覆った膜が破裂したように、炎に触れた水塊が一斉に爆発した。


「がッッッッッッ!!!!!!」


「太陽のように大きな星はね、寿命が来るとタダでは死んでたまるかって爆発を起こすんだって。まるで運命に抗ってるみたいだよね。でもね、結局は死んで生まれ変わるか、死神になるかの二択らしいの。なにが言いたのか?私たちを照らす太陽でも、運命には抗えないんだよ」


 淡々と語る勇香は、目の前で爆発が起きたにも関わらず清々しい顔で光景を眺める。爆発も勇香を通り抜け、全く効果を為さない。やがて大量の水蒸気が爆散し視界を晦ます。陽咲乃の姿はない。ただ、勇香は陽咲乃の容態を感じ取れたようだ。


「ちっぽけな陽咲乃には何にもできない。それが運命だから。私たちは元から決められた道を進むように仕組まれてた。大丈夫、陽咲乃は死なない。私を知ってもらえればそれでいいから」


 視界を覆う水蒸気から、人影がひとつ。姿は見えないが、影が時折フラつくのは、、といったとこだろう。


「アンタ、アタシを殺す気?」

「立ってるだけでもすごい。私も陽咲乃が死なないように魔法で威力調節したけど……」

「うるさい!殺そうとしたかしてないか、本音を答えろ!!」


 陽咲乃は怒声を張り上げて勇香を突き詰める。


「返答によっては、アンタを化け物として見なきゃいけなくなる」


 勇香は沈黙した。図星なのだろうか。もしそうだったのなら──


「英雄になるために、『皮を脱げ』と向う側に言われた。魔獣は兵器だけど、勇者の役目は生物の皮を被った魔獣を文字通り殺すこと。そして英雄なら不本意でも、人が死ぬ瞬間に何度も遭遇すること。私はこの目で何度も見てきた。でも、慣れなかった。慣れるには、自分の手でできなきゃと思った」

「……っ」

「だけど本当に殺そうとはしてない、相棒になってほしいから。あくまで気絶程度に抑えたつもり、だから現に陽咲乃は立ってるし」


「つかアタシまだ倒れてないから、続きやろ」


 水蒸気の奥で、陽咲乃が剣を構えた気がした。勇香もそれに対抗し、魔杖代わりの右手を掲げる。


「うん」


 キーン


 飛翔する流星のように、剣光が空間を貫いた。




「えっ……」



 の左首筋に深紅の裂傷。勇香の身体に跨り短剣の切っ先を向ける陽咲乃。


「アンタ、ほんとなんも変わってない」


 決着、勇香が倒れた。


「こんなんで英雄とか、委員会の目は節穴どころの話じゃないわな」


 勇香は目を丸めたまま陽咲乃を眺めた。

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