第2-2話 勇者の素質(2)



 両親が共働きの勇香にとって、帰宅してからの数時間はまさに至福のひと時だ。 

 放課後になると特に部活も所属していないので自宅に直行。漫画やらゲームやらの娯楽に精を出す。たまに一人で映画館に足を運ぶことも。


 しかし、それは昨日までの話。

 アリスの勢いに耐えられなくなり逃げてしまったが、勇香の気分は今も億劫なまま。

 靴を脱ぎ、手を洗い、階段をドタドタと音を立てながら上がる。自分の部屋に駆け込んだ勇香は、リュックサックを床に放り投げると一目散にベットに横たわり、ぼうっと天井を眺めた。


 近くにあるゲーム機に手を付けることも、本棚に置いてある漫画を取りに行くこともない。

 早く夢から醒めたいと願っていた勇香も、この世界が現実なのだと自覚した。

 

 この理解不能な現実から逃げたい。どうせなら夢の世界へと迷い込みたい。

 勇香は自分の目を左腕で覆い隠し、思考放棄して深い眠りに落ちようとする。

 だが、少しばかりの現実逃避も時間は許さない。


 ピロンと、頭の横に置いていたスマホがメッセージを告げる。

 なんだろうとスマホを手に取ると、トークアプリの通知が。

 メッセージの主は真琴だ。


『勇香ちゃん元気?カラオケ来てくれるなら、一六時三十分に清ノ崎駅前に集合だよ!』


 そうだ、勇香は今更カラオケに誘われていたことを思い出す。

 清ノ崎駅は勇香の家の最寄り駅だ。

 確か、真琴は勇香と反対方向のモノレールに乗り、そこからさらに電車に乗り継いで通っていると昔聞いた気がする。

 つまり、真琴は勇香と一緒に行くために、わざわざ勇香の家の最寄り駅まで来てくれるという事だ。

 カラオケに参加する気が完全に失せていた勇香も、それを察して断りづらくなってしまう。メッセージには一言。


『分かった』


 これで、今回のカラオケに勇香が行くことが確定した。

 スマホの時間を見ると、時刻は一六時八分。

 勇香の最寄り駅は歩いて十分ほどなので、遅くとも後十二分後には出発を余儀なくされる。


(何やってるんだろ……私……)


 この不可解な現実よりも、勇香は自分の情けなさに呆れてしまう。

 

 とりあえずスマホのアラームをセットして、少しの間浅い眠りについた…… 


 ピーピーとスマホのアラームが鳴る音がする。

 勇香はうぅと唸り声を上げて目を覚ます。


 スマホを見ると、時刻は十六時二十五分。


「うわ!」


 数分だけのつもりが十分以上も寝てしまったらしい。

 真琴との待ち合わせ時間まであと五分を指しかかっていた。

 勇香は遅刻するとの旨のメッセージを送信しつつ、制服のままポケットに財布を入れて階段を駆け下りた。


 そして考える間もなくガレージに置いてある自分の自転車に飛び乗った。


 幸いなことに、清ノ崎駅には市営の駐輪場がある。多少浪費するが、少しでも早く到着するためには犠牲を気にしてはいられない。


 やや錆びつきのある年代物の自転車は、漕ぐとギコギコという音がする。

 そんな音も辺りの喧騒の中に紛れ込ませ、勇香は駅へと向かった。

 

 帰り際に通った道にはアリスの姿はなく、勇香はすんなりと駅に着いた。

 駅の階段には、既に私服の真琴が壁際にもたれかかっている。

 時刻は一六時三五分。急いできたので、五分ほどの遅れで済んだ。

 はあはあと荒い息を吐きながら、勇香は自転車を降りて手で引きながら真琴の元へ急ぐ。


「安芸さん。遅れてごめん」

「勇香ちゃん!どうしたの?そんな疲れて……」

「急いじゃったから。ごめん自転車駐輪場に停めてくるね」


 分かったと真琴が告げると、勇香は高架下の駐輪場に向かう。

 駐輪場はほぼ満車で、勇香はやっとのことで空いていた隙間を見つけ、そこに自転車を止める。ついでに疲れた体を癒すために駐輪場の入り口にある自動販売機で水を調達。


「停めて来たよ。じゃあ行こうか」

「うん!」


 勇香と真琴は駅の階段を登り改札口へ。

 改札口の前に付くと、勇香はおもむろにスマホを取り出す。


「安芸さん。カラオケの最寄り駅ってどこ?」

「えっと、新條駅」


 新條駅は学校の最寄り駅よりもさらに先。つまり、真琴が電車を乗り換える駅までの途中だ。

 やはり、真琴は勇香と待ち合わせをするためにわざわざ清ノ崎駅にまで足を運んでいたのだ。


「安芸さん。ありがとう」

「え?急にどうしたの?」


 勇香は真琴に感謝の言葉を呟きつつ、スマホの地図アプリでモノレールの時刻を調べる。

スマホなど見ずとも、勇香たちがいる改札口の電光掲示板を見れば一目瞭然なのだが、勇香は生粋の現代っ子なのだ。

 

「カラオケの待ち合わせの時間は何時頃かな?」

「えっと確か……一七時だよ」


 勇香は地図アプリに到着時刻を設定して調べる。

 そうして、余裕を見て五分後のモノレールに乗ろうと真琴に話し、二人は改札口を抜けていった。

 

 *


 裏東京。山々に囲まれた小村。

 太陽が沈みかかり、人々は一日の仕事を終えて村に戻る。

 村には男が住んでいた。

 男は牛飼いだった。

 この日は牛の一頭を森の中で放牧させ、空がオレンジ色に染まってきたのを見て、男は牛を連れて村に帰ろうとした。

 夜になると魔獣が出てくる。魔獣に出会うと襲われる。

 この言い伝えを信じ、村の者たちは夜になるとみな家に籠った。

 男も、日が沈む前には村についているはずだった。

 しかし日が沈んでも、男は戻ってこなかった。

 男には妻がいた。妻は、男を探すために家を出た。

 危険と言われつつも村を出て、男の名を叫びながらその周辺を探し回った。

 だがある時、妻の叫び声がばったりと止んだ。

 おかしいと外に出てきた村人が聞いたのは──グルルルという唸り声だった。


 

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