第4話 勇者になる


 生徒たちの歓声で溢れ返っていたパーティールームは、いまや悲鳴と嗚咽の混沌と化している。

 悪夢の知らせが鳴り響いてから十分後、炎はカラオケの入るビル中を包み部屋に取り残された生徒たちは脱出することさえままならない。


 恐怖ですすり泣く女子生徒、絶望で項垂れる男子生徒、男子生徒の一人が脱出を試みようと窓を開けようとするも、全面強化ガラスで覆われた窓は何を使ってもびくともせず。いや仮に割れたとしても、激しい熱風と共に外を覆っていた炎が中に侵入するだけだ。


 そう、この部屋に炎が到達することも時間の問題だった。


「私、今度こそ死ぬの……?」


 勇香はかすかにそう呟く。

 もう助けなど来ない。車に引かれそうだった自分を助けてくれた白髪の少女はどこにもいない。ここにいるのはパニックで頭を抱えたり、口論している生徒たちだけ。


「大丈夫だよ。勇香ちゃん」

「安芸……さん」


 決意が固まった様に歯を噛み締めた真琴。


「勇香ちゃんは私が守るから」

「……!!」

 

 そう言って真琴は勇香を抱きしめる。真琴の藍色の瞳には、わずかに涙が零れ落ちている。勇香に理由は分からなかった。けれど、今はもう──


「真琴ちゃん……私……」


 勇香はそんな真琴に笑みを漏らし、


『あーあー、やっほー勇香ちゃん聴こえる?』


 どこからか、空気の読めないハスキーな声が頭に響く。


『さっきぶりだね!アリスだよ覚えてる?』

「あなたは……」


 声質が今の状況には楽観的すぎて場違い感すら醸し出すその声。

 混沌と化したパーティールームの中で、そんな声を出せる生徒は誰一人いない。

 だとすると、もう心当たりは一つしかないだろう。


「どしたの?勇香ちゃん」

「ああ、ええと……!!」


 抱きかかえられたまま、真琴がきょとんと勇香に尋ねてくる。


『声に出さなくても平気、脳内で会話してると思って』

(分かりました)


 勇香は一息つくと心の中で言葉を紡ぐ。

 もう仕組みがどうなっているかを考える余裕はない。


(とりあえず、外がどうなってるか聞いてもいいですか?)

『お、冷静だねーてっきり恐怖でちびってるのかと……』

(教えてください)


 アリスの煽り文句を慣れた手つきでスルーした勇香。

 一方、外でじっと勇香たちのいるカラオケのビルを眺めていたアリスは、そんな勇香に不貞腐れる。


『勇香ちゃんたちがいるビルの前にはものすごい人だかりがいるねー。もう少しで消防隊も駆けつけるんじゃないかなさっき誰かが通報してたし!』


 アリスの言葉で、今回の火災がどのような規模なのかを間接的に把握することができた。だが助けは来てくれている。


(そ、そうなんですか、じゃあ)

『残念ながら、そんなものでこの炎は止められないよ』

(え?)

 

 アリスの声音が急に重くなったことに、勇香はピクっと体を震わせる。


(どういうことですか?)

『前にも話したでしょ?今、裏日本で魔獣の群れがある村を襲っている。この火事はそこから連動してきてるんだよ」

(……!!)

『だから当然原因なんてないし、この世界が原因じゃない現象をこの世界の人にとめられるはずがない』


 つまり消防隊がいくら頑張っても、自分たちが助かる保証はないということ。


『じゃあアリスさんが!』


 最後の希望とばかりに、勇香は懇願するようにアリスの名を呼ぶ。しかし──


『ごめん、それも無理』

(え?)

『こんな大勢の人だかりの前で魔法を放てば、魔法の存在が表日本の人たちに知られちゃうから』

(でも、緊急事態だし!)

『ごめん、それだけは禁忌なの。死守しないと今起こっている事象以上に、表日本がヤバめなことになってしまう』

(そんな……)


 わずかな希望すら断たれ、勇香はへなへなと無気力になってしまう。

 そんな勇香に、アリスは口を開き──


『でも、勇香ちゃんは違う』

(え?)

『中にいる勇香ちゃんなら、たとえ水の魔法を放っても

(私が……)

『あとは属性次第だけど、勇香ちゃんほどの魔法の才なら、この火災を一瞬で消し止められると思う!』


 単なる売り文句だと思っていた魔法の才能。だがこの緊急事態の中では、もはやその言葉を信じるしかない。だけど──


(私、魔法なんか使えないし……)

『大丈夫、勇香ちゃんが魔法を使えるようになるトリガーを、アリスちゃんは持っているから!』

(え?)

『でもね、問題が一つだけ。もしそれを使って勇香ちゃんが魔法を使えるようになれば、勇香ちゃんは勇者養成学園に転校し、魔王と戦うという宿命を背負わされる』

(……)

『今ならまだ勇者養成学園への転校を辞退することだってできるよ。どうする?このまま自然によって炎が燃え尽きるのを待つ?それとも、魔法を使えるようになる?』


 アリスから突き付けられた選択──今この瞬間、この先の未来を選ばなければならない。

 夢であって欲しかった。早く目覚めてまた真琴とともに学校で何気ない話を交わしたかった。しかしこれは紛れもない現実。


 ──避けることのできない、運命。


 ならばどうするべきか。

 もし勇香が魔法を得る道を諦め、このまま炎が消えるのを待っていたら、

 その前に炎がこの部屋の中にまで到達して、自分は炎の中で短い生涯を終えるだろう。仮に生き延びたとしても、生徒たちの誰かは炎に包まれて……


 逆にもし魔法を得れば皆が助かり、勇香は勇者養成学園への転校を余儀なくされる。


 生か死か。突きつけられているのはこの二択だ。


 こんなことなら、やっぱりカラオケになんて来なければよかった。


 今まで何もできず、ただ時が過ぎ去るのを待っていた。惨めだった人生。

 そんな自分が今更この部屋にいる全員を魔法で助けるなど、できるはずがない。

 しかし、勇香は自分を抱きしめる小柄な少女を見つめる。


 ──勇香ちゃんは私が守るから


 自分には何の才能もない。なにをやってもうまくいかないばかりだった。


 けれど、そんな自分でも、


『どう、答えは決めた?』


 アリスの問いかけに、勇香はこう切り返す。


(私に、魔法を授けてください)


『それがキミの答えなの?』


(はい)


『本当に?』


 アリスが、冷淡な口調で話してくる。


(こんな私にできるわけないってわかってるけど、それでもみんなを守りたい。守れるように、私は強くなりたい、から)


 勇香はぐっと拳を握り締める。

 

『分かった』


 アリスの応えは、以外にもシンプルだった。


『じゃあいくよ。ちょっと痺れるから気を付けて』

(は、はい……)

『もし、魔法が使えるようになったと感じたら、放ちたい魔法のことを考えてこう叫んで“命じるコマンドセット”って』

(分かりました)

『じゃあ行くよ!』


 アリスがそう言い放った途端、雷に撃たれたような感覚が勇香を襲う。

 

「うっ」

 

 だけど、勇香は歯を噛み締めて、

 そっと立ち上がり、真琴の抱えていた腕を優しく払う。


「勇香……ちゃん?」

「ごめんね、真琴ちゃん」

「まって、どこ行くの!?」

「みんなを……助けに……」


 こんなことを言うのも烏滸がましいと思いつつ、勇香はニコリと笑顔で真琴の元を去って行く。

 

「勇香ちゃん……その姿は……」


 真琴はそんな勇香の背中を、呆然としながら眺めていた。


 *


 既に気力を失ってしまったのか、ゆっくりと部屋を出ていこうとする勇香に話しかける者は真琴以外誰もいない。勇香はそれを好機と思いながら、部屋の扉を開ける。

 するといきなり、ブワッという熱風が吹いてくる。

 だが、勇香はそれに動じることなくゆっくりと廊下に移動した。

 そこには、焦げ臭い臭いと一面の火の海。

 おびただしい熱で、勇香からだらだらと汗が漏れる。

 しかし、気にすることもしない。そう気を張っているのだ。


 確かにこんなに燃え広がってしまっては、表日本の人間に止めることなどできないだろう。勇香はそう思いつつ、精神を一気に研ぎ澄ます。


 もう、後戻りなどできない。道を選んでしまったのだから。

 ならば選んだその道に、どうやって突き進むか、

 勇香は空気を一気に吸い、大声で叫ぶ。


命じるコマンドセット!!!」


 そうして素早く脳をフル回転させ、見渡す限りの青い海を思い浮かべる。

 すると辺りから水色の光が飛び出し、

 勇香の周囲から、溢れんばかりの水が流れ出した。

 水はフロア中に広がり、みるみるうちに炎を昇華してゆく。

 やがて勇香の放った大量の水はビルを覆いつくし、一瞬にして炎が消えた。

 その事実に観衆は驚きつつも、駆けつけた消防隊は火が消え去ったことを見るなり直ぐにビルへと突入した。 


「やっぱり勇香ちゃんは持ってたんだ」


 アリスが吐いた呟きなど、ざわめく観衆に聞こえるはずがなかった。


「できた……こんな私でも、できた……」


 炎がすっかりと消失した廊下ではあはあと息を荒げながら、勇香はこっそりとそう呟く。胸の中で、暖かい何かが溢れてくる。勇香はふぅと深呼吸。


「おい、聖ヶ崎」


 すると扉から、一人の生徒が勇香を唖然とした表情で覗き込む。

 その視線が勇香に深く突き刺さって、

 その生徒は、人間以外の何かを見るように勇香を見つめている。


「お前、一体……」

「勇者養成学園」


「え?」

 

 突如として放たれた意味不明な言葉に、生徒は目を見張らせて、


「それが、私の転校する学校の名前」


 微笑みながら勇香はそう口にする。

 振り向く勇香の姿は、男子生徒のようなこの世界の人間らしい姿とはかけ離れていた。


  *


 一日後。勇香の住む家は、朝からバタバタとよそよそしかった。

 いや住んでいたと形容する方が正しいのだろう。


 今日は、勇香が私立勇者養成学園へと転校する日。

 家の前に止められたいかにも高級そうな黒塗りの車に、勇香と両親は次々に荷物を積んでいく。


「よし、これで最後か」

「勇香、どうしたの?」


「ごめん、ちょっと持って行きたいゲームソフト選んでて。あっ、スマホは向こうで使えるのかな」


 二階の自室の窓から、勇香が大きな声で庭で腕組みしている母に告げる。


「そ、そんなの持って行くなんて……ごめんなさいね、娘が迷惑かけて」

「いいえ、年頃のお嬢さんらしくていいじゃありませんか」


 勇香の母は人差し指を頬に添えながら申し訳なさそうに横に佇む黒いタキシードを着た老人に話しかけると、老人はニコニコしながらその姿を見守る。

 ドタドタと階段を降りる勇香。その腕には大きな段ボールが一つ。


「こんな持ってくの?」

「うん、全部大切なものだから」


 その中には、勇香と一緒に映った小さな少女の写真が、


「あの騒がしい足音を聞けたのも、今のが最後だったのか」

「やめてよお父さん」


 父の放った言葉に勇香は苦笑する。

 父はそんな勇香の姿を見て、


「立派になったな。勇香」

「うん。ありがとう」


 父の言葉に、勇香は頬を染めて俯く。

 そんな和やかな雰囲気をぶち壊すような甲高い声が、


「勇香ちゃん準備終わったー?」

 

 車の黒い車窓がビーっと下がると、そこから非常に整った顔立ちの白髪の少女が顔を出す。勇香は見ればわかるのにと思いながら一言。


「これを積んだら出発できます」

「よろしい、アリスちゃんはそれまで近くのスタバで買ったフラペチーノ呑んでるから!」


 アリスが緑色のストローに口をつけていると、再び車窓が閉まる。

 そんな、シュールな光景に勇香は苦笑しながら荷物をトランクに積み、


「じゃあ、行ってきます」

「ああ、行ってらっしゃい」

「気を付けてね」


 勇香は若干涙ぐみながら、車のドアを開け中に入って行く。

 車の座席に座ると、隣に座るアリスが話しかけてくる。 


「覚悟はできた?」

「はい、できてます」


 与えられた運命。それに抗うことなどできない。

 ならば、如何にしてその運命を乗り越えるかを考えるだけだ。

 勇者養成学園、どのような学校なのか、勇香には皆目見当もつかない。

 果たして自分の家に舞い戻ってこれるのかも分からない。

 もしかしたら、寂しくなって泣いてしまうこともあるかもしれない。

 しかし、やれることはただ一つ。


 タキシードを着た老人が車に乗りこみ、エンジンがかかる。

 そうすると、車がゆっくりとしたスピードのまま発進する。


「では、参りましょうか。裏日本へ」


 勇香はごくりと息を呑む。

 

「そういえば勇香ちゃん」

「なんですか?」


 隣でチューチューとフラペチーノを嗜んでいるアリスが勇香に話しかける。


「昨日、裏日本でやりたいことがあるって言ってたよね」


 あの後、ビルから救助された後にアリスと会話を交わした時。

 勇香がおもむろにそう発言した。


「それってどういうことなの?」


 その質問に、勇香は閉ざしていた口を開き、



「もう一度会いたいんです、妹に」


 勇香のその声は、車の喧騒の中に静かに消えていった。


 *


 裏東京の山林に囲まれた小村を、狼の姿をした黒き魔獣が襲った。

 夕刻。人がいよいよ寝静まろうとした時、その金切り音が鳴り響いた。

 魔獣は村に侵入すると、外にいる人々へと次々に襲いかかる。

 老若男女関係なしに、魔獣は容赦なく人を狙う。

 人々はそんな魔獣に怯え逃げようとするも、その足の速さに逃げ延びることもできず、

 ある者は、皮膚を食いちぎられ、またある者は左足を切断され、

 そうして命の灯が消えようとした時、その光はやってくる。


 ギュルルルという音と共に、男を襲っていた魔獣が粉々に引き裂かれる。

 それによって血潮が周囲に舞い散った。

 他もそうだ。水色の長髪の小柄な少女から放たれた一閃が、魔獣を次々に葬り去る。

 どこからか炎を纏った矢が飛んできて、魔獣を次々に仕留める。

 魔獣に蹂躙されるはずだった村は、三人の少女によってその一命をとりとめた。


「あ、あなたは……」


 片足を失い地面に倒れ伏していた男は、自分を襲いかかった魔獣を倒した金色の髪の少女に尋ねる。女神のような可憐な容貌の少女は優しく微笑みながら応え、


「私立勇者養成学園所属の勇者です」


 その動作に、男は傷の痛みも忘れ頬を紅潮させてしまう。

 しかしそこに、水色の髪の小柄な少女が現れ、


「会長に欲情した不届き者め……ここで成敗してやる」

妃樺きか、この方は負傷者よ。傷つけるんじゃなくてやるべきことは分かってるでしょ?」

「し、失礼……しました」


「会長……?」


 水色の髪の少女が放った言葉に、男はぽかんとする。

 少女は跪いて男の傷口をガーゼで覆いながら、

 

「会長は、偉大なる勇者養成学園 《生徒会》の一人……椿川愛華つばきがわあいか様、だ」

「せせせ、生徒会!?」


 表日本ではなじみ深いその言葉。しかし、裏日本ではに収束する。少女の言葉に、男は舌を巻いて金髪の少女を一瞥した。

 当の少女。愛華は苦笑いしながら男を見て、


「そんな、驚かれるほどじゃないわよ。私はただ、みんなを守りたいだけなんだから」


 生徒会、それすなわち──選ばれし一騎当千の勇者たち。


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