第5話
廊下を駆け足で歩く女がいた。
女は長い銀髪をなびかせながら歩いていた。
途中出会う人たちは彼女に頭を下げながら道を譲る。彼女はそれには何も反応を返さず、見向きもせずに進んでいった。
やがて大きな扉の前に到達すると、音も立てず中に入っていった。
部屋の中はカーテンが閉じられていた。そのせいで光はなく、真っ暗闇であった。
女は部屋の外に人の気配がないのを確認すると、
「ホント、かわいい!」
そう叫びながらベッドへダイブした。その声はかなりの声で響いた。防音にしてあったこの部屋の壁を貫いて、外に少し響いたほどだ。
溜めていたモノが爆発したような様子であった。
ダイブしたと同時に部屋の中に薄っすらと光が広がった。
ベッドに机、本棚。壁に立てかけられた飾り用の剣。壁に寄りかかる刀。
置いてあるモノはどれも普通なモノであった。だが置いてあるものは、である。
その部屋の壁中には一人の幼い少女の成長記録ともいえる写真が張り巡らされていた。ここがアルバムの中なら何も問題はない。アルバムに成長記録の写真を貼るのはごく普通のことだ。なんとも微笑ましいものである。
だがここはアルバムの中ではない。
ここは部屋。
部屋の中である。
その部屋の壁中に張り巡らされた写真。かなり恐怖を感じる部屋であった。
写真はアマツカエ・ウイの写真であった。
赤子の姿。
父、母、ウイで撮ったもの。
ハイハイしている姿。
フラフラながらも両足で立っているところ。
スヤスヤと眠る姿。
楽しそうに外を走る姿。
写真の中には明らかに隠し撮りしたようなモノまで混じっていた。本人がいればドン引きである。
本棚に収められている本もよく見てみるとただの本ではない。
参考書、教科書、小説、資料。そのような類ではない。……いや、資料というのは正しいかもしれない。
収められている本全ての背表紙には、共通して『ウイの成長記録』と書かれていた。納められている冊数は200以上だ。
「あぁ、もう肌は柔らかいし。瞳も綺麗。ウイなら私の目に入れてもいたくないわ!」
部屋の主人である彼女はベッドを転げ回り、かと思えば急に立ち上がって部屋の中を歩き回った。そしたら今度は頭を抱えながら叫ぶ。段々と呂律が回らなくなり、発している言語はとうとう理解不能なものへと変貌した。
情緒不安定である。不気味である。病気かもしれない。お医者様が必要かもしれない。
だがこれが彼女にとっては正常。平常運転である。
見た目の美しさに反し、残念な姿だ。
そんな彼女の名前はアマツカエ・トウコ。
アマツカエ家の次女であり、次期当主とも噂される者。その剣と魔法の実力から学生最強とも云われる者。そして重度のシスコンである者だ。
* * *
「ふぅ、ふぅ……ふぅ……」
トウコは部屋の真ん中で大の字になって倒れながら、息を整えていた。顔は仄かに赤く染まり、肩で息をしている。何度も息を整えようとするがその度に彼女の頭の中のウイがフラッシュバックし、興奮してしまう。
誰か人の目があるうちは耐えられるのだが、一度人の目を外れ、緊張を解いてしまうとこうなる。外で溜めてたものが一気に噴き出し、噴き尽くしたと思うと、再生産。とめどなく吹き出てしまう無限ループに陥る。
外でもかなりのシスコンぶりを見せるトウコであったが、それでも一部に過ぎなかったのだ。
ただし、本人は自身のウイ好き、シスコン姿は完全に隠せていると思っている。誰も知らないと思っている。普通に外でも叫んだりするので、普通にバレている。周知の事実だ。
「あぁ……ウイ……。んー、よっし! 大丈夫、お姉ちゃん頑張るよ!」
何とか復活したようだ。
本日はいつもよりは短い、約一時間二十分の情緒不安定であった。
普通に長いかもしれないが、これでも短い。長いときだと三時間オーバーとなる。
起き上がったトウコは自身の頬をパンっと叩いた。叩いた箇所が少し赤くなった。
すると眼光は鋭くなり、表情は真剣なものになった。
「ウイを誘拐するように依頼した奴はわかったけど、そいつは指示されていた……本当に面倒くさいわね」
そう言いながら彼女が見ていたのは何枚かの書類が束になったものだ。
書類の内容は、昨日のウイ誘拐に関する報告書であった。そこにはウイの誘拐された状況や実行犯の情報、依頼した者などについて書き記してあった。
だがそこには実行犯に依頼した者に指示した人物がいると記してあった。
「あいつを殺したのは本当にミスだわ」
依頼した者に更なる尋問をしようにも、その者はすでに自害していた。実行犯もトウコが殺してしまったせいで情報は一切吐かせられなかった。
彼らの持ち物から指示した者に繋がる情報もなく、手詰まりであった。
だが手詰まりではあるものの、おおよその目星はついていた。
アマツカエ家との仲が険悪な分家。
もしくは次期当主を狙っている、アマツカエ家長女のアマツカエ・ミナ。
そう考えたのにも理由があった。
それは実行犯が屋敷内に侵入し、なおかつ何食わぬ顔で屋敷内を歩いていたからだ。どんなにこの屋敷が広くても、見張りは無能というわけではない。人の目と魔法による見張りにより、完璧な警備が行われているはずなのだ。にもかかわらず、侵入されたうえで堂々と誘拐された。
実行犯は外からでは知りようがない、見張りのほんのわずかな穴を知っていた。
それすなわち、内部を知っている者、もしくは内部の者が手引きしたということとなる。
「指示したのは分家の奴らか、それとも姉上か……」
分家は分家で、何か深い意図もなく、アマツカエ家の嫌がらせとなるならこの程度のことは簡単にやろうとする。
姉上は姉上で、自身が当主になる邪魔になりそうなものは気まぐれに排除しようとする。
どちらも動機はあり、疑わしかった。
だが、それでもやったと言える証拠はなく疑わしいだけであった。
「痕跡を完璧に隠してるから、やっぱり姉上か……。分家の奴らならアホだから、痕跡の一つや二つは残してるだろうし……。
まぁ今は兎に角、ウイの警備を固めることにしますか。それにしばらくは学園が休みだから、私が見ていることもできるし」
そこまで考えふけるとトウコは書類の束を机に置いた。
思考は別のことに移っていた。
「にしてもウイが剣を教えてと言うとは」
思い出すのは昨日のこと。退屈しているであろうウイに手料理を食べさせ、食べ終わった後。
ウイのお願いなら何でも聞いてもいいと考える自分だが、そのお願いには少し戸惑った。
ウイは成長する。当たり前だ、人間なんだから。だがそれでも、今までずっとかわいいと見てきた自分にとってウイにはまだ剣は早いと感じた。
いつかは学ぶ。だがそれは何も今からじゃなくてもいい。
もしかしたら今回のことで不安になったのかもしれない。自分の身をちゃんと自分で守れるようにしたいと思ったのかもしれない。
トウコはだとしても、まだ今は私たちに守られてもいいと思った。
始めは断ろうとした。今はまだ早いと。
だがあの目を見てしまった。
自分におねだりするかわいい妹の瞳には何やら決意めいたものを感じた。そう簡単には説得できない。梃子でも動かない。そんな瞳だったのだ。
それを見たとき、トウコは断ったり、はぐらかしたりという選択肢が頭から抜けてしまったのだ。
そして改めて思ったのだ。いつまでもかわいい、かわいいではダメなんだと。
また今回のようなことが起きないとは言い切れない。いつでも自分が守れるわけではない。助けに行けるわけではない。
そうこう思案しているうちに、トウコの口からはいつの間にか「えぇ! いいわよ! 教えてあげるわ!」と答えていた。
思わずこぼれてしまった言葉だった。
だが撤回しようとは思わなかった。
自分はウイの姉だ。その姉が妹の手本になれなくてどうする。自分の発言に責任を持てないそんな姉は見せない。妹に見せるのは手本となる自分なんだと。
そしてウイヘ剣を教えることにしたのだった。
「ひとまず家にいられる間はマンツーマンでみっちり教えて……」
トウコは楽し気に稽古内容を考え出した。
どんな風にやれば効率良いか。どんな流れがウイには合ってるか。
強く強く育てるために。
自分の妹が強くなる姿を想像し、胸を躍らせながら考えた。
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