TS転生少女は雨の中でカッコよく刀を振るいたい

ZUMUIHE

1章

プロローグ

 その日は、空には雲がかかり不穏な雰囲気を醸し出していた。



 木々が生い茂る森の中。

 地面のあちこちに植物が好き放題に生えている。そして植物たちに隠された木の根たちは、自分たちにぶつかり転ぶ者が早く来ないかと待ちわびている。

 

 そんな木の根の上を黒い影が踏み越えていった。

 その影は暗闇による視界の悪さや隠されている木の根など関係がない、意味ないといった風に通り過ぎていく。

 それは一人の男であった。

 黒い外套を着ており、目以外は布を巻いて覆い隠している。


 男は根を飛び越え、踏み越え駆けていく。速度が落ちることなどなかった。平地を走るときのような速さで駆けていく。

 邪魔な枝は折らずに、最短距離で避けて駆けていった。

 時折後方を確認するが、そのときも速度は落とすことはなかった。


 男のことをよく見てみると右脇に少し大きい布袋を抱えていた。

 袋は男の動きに合わせて上下に、左右に揺れている。だが時々、男の動きとは関係ない動きをしていた。

 袋の中で何かがもぞもぞと動いていた。



 男がようやく森の出口近くに到達したとき、男の頭に何かが落ちた感触がした。

 違法な仕事を幾つもこなし、現在進行形で行っている男にとって、それは警戒させるのに十分であった。森の出口はあと少し。それでも男は確実な安全を確認するために足を止めた。

 荷物は置かず、しっかりと抱える。

 荷物を抱えていない、もう一方の手を腰の短刀へと伸ばす。

 周りからは人の気配は一切感じない。

 何か魔法が使われているような感覚もない。

 近くで音は聞こえず、男が来た方向から僅かに人の声が響いている程度だ。


 男は左手を頭にやった。

 少し湿った布の感触があった。

 そしてその直後、その手に雫が落ちてきた。


 ポツポツと続けざまに雫が落ちてくる。


 雨が降り始めたのだった。


 男はひとまず追手から攻撃されたわけでなかったことに一安心した。

 追手は恐らくまだ放たれていない、まだ屋敷の方で騒いでるだけだろうと結論付けた。


 それに雨が降るというのは自分にとって都合が良い。

 自身の痕跡はほとんど残してはいないものの、それでも僅かに痕跡は残ってしまっている。そこから自分を見つけるという可能性が確かにある。

 しかしその僅かな痕跡はこの雨によって流され、崩され、消されるだろう。


 男はまた駆け始めようとした。

 さっと仕事を終わらせ、荷物を依頼主に届けて、金を貰おうと。



 男はある意味で少し舞い上がっていたのかもしれない。

 普段受ける依頼のケチな報酬とは違い、今回の依頼はかなりの報酬であった。

 そのせいでいつもよりも警戒して、慎重に行動していた。


 慎重な行動が悪いわけではないが、今日このとき、この場面に限って、それは間違いであった。


 なぜなら男が立ち止まっていたことにより彼女は間に合ったのだから。



 男が駆け始めようとしたその瞬間、


 ドゴンっ!


 男の背後で激しい音が響いた。

 その衝撃により男は吹き飛ばされ、森から弾き出された。

 荷物と離れるということは辛うじて防いだが、受け身を取ることができず、男はもろに地面へと叩きつけられていた。

 男はクラクラとした感覚を感じる頭を無理やり持ち上げ、衝撃の発生源の方を見た。


 森の中では砂煙が舞い上がっていたが、雨により土煙はすぐに晴れた。

 視界の悪さのせいで何者かは見えないが、男より背の低い人影がそこにはあった。

 それはゆっくりとした歩きで男の方へと近づいてくる。


 男の警戒度はどんどん上がっていた。

 今まで下ろすことのなかった荷物を下ろし、自分の得物を抜いた。

 そして魔法で強化した瞳にて、その正体を見た。


 そこにいたのは女であった。

 いかにも高そうな着物を着ていたが、土と雨を浴び、無残なほどに泥まみれとなっている。腰には刀を差し、いつでも抜けられるように手が添えてある。顔には僅かに幼さが残っている整った顔立ちであったが、その表情は無。何を考えているかも分からない無の表情であった。


 一瞬、男の背筋に冷たいものが走った。


「何者だ」


 思わずそんな言葉が出てしまっていた。

 女は答えることなくゆったりと近づいてくる。


「止まれ! 止まらないとこいつを刺すぞ!」


 男は女へ、そう叫びながら袋を引っ張り上げ、中に入った荷物――幼い少女に刃を向けながらそう叫んだ。

 少女は傷一つなく、自分がどの様な状況なのかも分からないままスヤスヤと寝息を立てている。


「……」


 それを見た女は歩みを止めた。


 その反応を見ながら、男はゆったりと後ずさりをして、この場を早急に離脱しようと考えていた。


 しかしそのとき、男の目に雨粒が一つ入り込んだ。


 それによりほんの一瞬だけ瞼を閉じてしまった。


 ドンっ!


 地面が響く。


 音が轟く。


 衝撃が腹部から全身へと響く。


 目を開けたときにはすでに男は軽く宙を舞っていた。


「……⁉」

「……」


 目の前には感情を感じられない女――いや目には明らかな激情を感じられる女がいた。その目は男ではなく、男の真横で浮かんだ少女の入った袋へと向かっていた。


 男はとっさに袋を自分の後ろへ蹴り飛ばした。


 軽いうめき声が響いた。

 怪我をした可能性はあるが、依頼主の要望は生きて連れてくること。この程度であれば依頼達成のためには問題ないという上での判断であった。


 だがそれは大きな隙であった。


 袋へ伸びていた手は、男の足へと目標を変え、今度の目標物はしっかりと掴んだ。

 そしてそのまま男を頭から地面に叩きつけた。


「グッ!」


 幼子が人形を振り回すように軽く。

 だが地面に響いた音は重く。


 本日二度目の地面との衝突に、今度は多少の防御を取りつつ男は叩きつけられた。


「うぐぅ……」


 男はすぐさま起き上がろうとしたが、そのとき刀を抜く音が聞こえた。


「⁉」


 顔を上げた男が見たのは、女が自分の顔面に刀を振り下ろそうとしていた光景であった。

 男は横に転がってそれを躱し、すぐさま態勢を立て直した。

 真横では刀が地面へとぶつかり軽く土埃を舞わせていた。


「ふッ‼」


 男は無防備になった女の脇を男は短刀で切りながら通り抜けようとした。しかし短刀は女ではなく、切り上げられた刀と衝突。


「うぐぐぅ……」

「……」


 男の刃が上。女の刃が下。

 二つの刃がギシギシと音を立てる。

 男は魔力で強化した腕力で強引に押し切ろうとするが、それ以上の力で押さえられていた。力は拮抗しているように見えているが、実際は拮抗などしておらず、段々と刃の衝突は上へ上へと上げられていた


「ふぅ……」


 男は力を抜き、切り上げに合わせて後ろに下がった。このままでは女に押し切られてしまうという判断からであった。


「⁉」

「はぁ‼」


 だが息を整える間もなく、女が急接近し、連続で切り込んでいく。

 荒々しい攻撃であった。

 技も糞もない、力による攻撃である。

 だが、その息をつく間もないその攻撃に男は反撃することもできず、防ぐことしかできなかった。そしてその防御も長くは続けられない。

 単純な力の差もあるが、それ以上に武器のリーチ差という大きな不利の存在がそれに拍車をかけていた。

 また、そもそもの話男は真正面から戦うタイプではなかった。どちらかと言うと不意打ち、暗殺を得意とするタイプの人間だ。


 この流れはマズい。


 男は何とか自分有利に場を整えるため反撃への一手を放った。


 男は何と、刀を短刀ではなく左腕で受けた。

 女の目が見開いた。

 しかし男はそんな反応も気にすることなく、左腕に魔力を纏わせ刃を受けた。


 刃が腕にめり込む。

 男の頭に痛みを知れさせる信号が大量に発生する。


「~~⁉」


 肉を裂く。

 骨へと到達する。

 思わず声が漏れそうになる口を固く閉じて食いしばる。

 骨が鈍い音を立てる。

 下がりそうになる腕を無理やり持ち上げ、耐える。

 耐える。

 耐える。

 耐える。

 そして――


「は、はッ……」


 ――そこで止まった。


 手の感覚は鈍く、微かにふるえるだけ。傷口からは血が漏れ出る。そこからぐちゃぐちゃになった肉、赤く染まる骨が見えている。

 どう考えても使い物にならなくなっていた。

 だがそれでも確かに連撃を止めた。


 男は左腕と引き換えに連撃に止めた。


 女の表情についに変化が現れた。


 しかし男にはそれがどんな感情なのか知るよしもなかった。


「「……」」


 戦いの場に一瞬の静寂が訪れた。

 雨の音だけがその場に響いている。


「ハァァァァ!」

「⁉」


 突如として男は叫び声を上げ、自身の魔力を爆発させた。

 女は突然のことに反応が遅れ、回避できなかった。

 白い光が二人を包み、次の瞬間には激しい音と振動が響いた。そして二人を今度は土煙が包み込んだ。



 やがて土煙が晴れた。


「はぁ……はぁ……」


 男は全身が傷だらけだ。

 先ほど刀を受けた左腕に至っては、もう使い物にならないような有様であった。


「はぁ、はぁ……」


 男は左腕から刀を引き抜き、放り棄てた。

 血がダラダラと流れ出てくるが、それもすぐに止まった。

 周りを見渡してみると少し離れたところに女が倒れていた。


「あれを防ぐのかよ……バケモンか……」


 男は思わずそう口にしてしまった。

 だがそう言ってしまうのも無理はなかった。なんと女の体は傷だらけの男とは対照的で、細かいかすり傷などは確かに見られるが、分かりやすい怪我というのは全く見られなかったのだ。

 驚くべきことにあの至近距離での魔力爆発に瞬時に対応し、全身を魔力で覆い、ほぼ完璧に防いでいたのだ。異常なほどの対応速度である。ただそれでも完全に防ぐことは出来ていなかったようで、気を失っていた。


「早く離れなきゃだな……」


 このまま女に止めを刺してもよかった。まだ学生ぐらいであろう身でここまでの化け物っぷりを見せたのだ。自分がこの仕事をしていればまたぶつかる可能性はあった。

 将来の危険要素は排除するべきだ。


 しかしあんなに音を響かせてしまったのだ。遅かれ早かれ追手に気づかれ、追い付かれてしまう。

 それに普段なら問題ないような相手でも、今の状態では例え格下であろうとも、やられる可能性が高かった。


 男は短刀をしまい、蹴り飛ばした少女入りの袋の方へと向かった。


「~~……」


 少女は眉をひそめ始めていた。薬で眠らせてはいたものの、安い薬であった上、あんなにも音を響かせていたのだから眠りは浅くなるのは当たり前である。


(途中で目覚められても面倒だな)


 男はそう考えると薬を取り出して少女に飲ませようとした。


 そのとき。


「待ちなさいよ」

「!」


 声と共に男は振り返った。

 するとそこには倒れて気を失ってたはずの女が放り棄てられた刀を拾い上げていた。


「本当に馬鹿だ、頭に血が上ってたわ」


 女は刀を持つと何度か軽く振ってからそれを構えた。

 その刀を構えた姿は自然と美しいと感じさせた。まるで神聖なもののようであった


「今更だけど一応聞くわ。妹を置いていくなら見逃してもいいわよ」

「そいつはできないな。こいつを持ってかないと腕の治療ができないからな」

「そう。なら腕の治療をしてもいいわ」


 先ほどまでの無表情とは打って変わり、穏やかな表情であった。激情に染まった眼もなく、どこまでも落ち着いた様子だった。


「はっ、さっきまで殺しあってたのにどういう風の吹き回しだ?」


 女の体に魔力が覆われ始めた。

 そこでようやく男は自分も構えなければと思った。


「気を付けてるのよ」

「気を付けてる?」

「ええ。妹の前ではしっかりとした姉をするって」

「そりゃいい姉だこと」

「それで? 返答は?」

「そりゃもちろん……」


「ノーだ!」


 男は完全に不意を突いたと思った。


 さっきまでの女は恐ろしさを感じた。何が何でも自分を殺すという気持ちが簡単に感じるほどに。

 だが今のこの女からはそんなものは一切感じない。

 さっきとはまるで別人であった。


 確かに美しい構えだ。

 確かに神聖さを感じる。

 剣をやらない者でも見事と称賛するだろう。


 だが、だからなんだ。

 戦いにおいて必要なのは勝つこと。

 美しさなど必要ない。

 神聖さなど必要ない。

 称賛など必要ない。

 必要なのは勝つための、力と策。


 さっきまでならいざ知らす、今のこの女には負ける気がしなかった。

 絶好のチャンスに思わず口角が上がった。


「そう、残念」


 確実に不意を突いていたはずだった。

 自身の奥の手である、幻覚の魔法を被せた二重の不意打ちであった。

 女は『正面から向かっていく自分』という幻覚に騙されているはずだった。

 短刀は女の心臓を背後から刺すはずだった。


 だがそうはならなかった。


 刃は雨に打たれながら、きれいな軌跡を描いて男へと向かっていった。

 軌跡は僅かに乱れることはなかった。迷いもなかった。幻覚ではなく、本物の男を捉え、向かっていった。

 手首の筋を見事に切り裂く。

 短刀がポロリと落ちる。


「えっ……」


 男の間抜けな声が響いた。


 刃は続いて足へと切先を向ける。


 男の思考は止まり始めていた。

 そんな男の思考とは裏腹に、肉体は防御を取ろうとしていた。

 魔力を纏う。簡易的な障壁を纏う。下がろうとする。


 すると女は刀の切先に魔力を纏い始める。それはある魔法。彼女の魔法。


 切先は男の肉体の防衛反応をあざ笑うかのように切り裂いていく。

 空を切るように。

 軽く。

 簡単に。

 自然に。


 男の右足と体が二つに分かれる。

 また刀を振るう。

 今度は左足と体が分かれた。これで男は三つに分けられた。そして逃走することはもうできない。


「まっ、ま」


 思わず命乞いが紡がれようとした。

 だがそれが最後まで紡がれることはなかった。その前に男の頭部と首とで両断された。

 血が噴き出る。

 それは雨と混じりあって赤い雨となり、瞬間的にそこに降り注いだ。


「ふぅ」


 やがて血を十分に噴き出した男の体は力を失い倒れた。赤い雨が止むと、刀を軽く振って血を落とした。そして一息つくと刀を納めた。

 一本に纏められていた髪は戦いによって解けている。美しい銀髪は血と泥に染まっていた。服装も更に汚れてしまっていた。

 そんな汚れも雨と共に流されていく。







 あっ、そういえば私……死んだんだった。


 その様子を途中から見ていた袋に入った少女はそんなことを思っていた。

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