時空を超えるダッシュ

小玉空

時空を超えるダッシュ

 古臭い目覚まし時計がじりじりと騒音を響かせて震えている。日の差さない曇り空は世界の終わりを告げているような悲壮に満ちているが本当に世界が終わるまでもなく、眠い目をこすって舌打ちを一つして体を起こす。透明な、いや真っ白な日が続いている。何にもやる気が出ない、やるべきこともやりたいことも今の僕にとってはそこらへんに落ちている空き缶や吸い殻と何ら変わりない。先生の話も頭に入らず昨日の連絡事項も無駄に綺麗な夕焼けに焼かれて灰になった。それでも今日、学校へ行った。

 雨が降りそうなので母に傘を渡され僕は死にそうな顔をして歩いた。何時からこんな厭世主義者になってしまったのだろう。僕は取り立てるほど嫌なことがあるわけでもないし、友人だっている。でも考えることなんて辛いことばっかで母は思春期独特のアレよ。私にもあったもん。とそれしか言わない。何が不満か分からないことが辛いのだろうか。才能がないから苦しいのか。誰の目にも留まらないことが悔しいのか。かっこよくないから妬むのか。そんなゴミ山にポツンと置かれていても違和感のないような考えを作っているうちに学校についた。だがその外見は刑務所と呼んだほうが相応しかった。

 僕のクラスは一番上の四階にあって酷く角張った階段を一段一段上っていった。教室に入ると荷物を置いてすぐに友人の雅也のところへ歩き出した。雅也は勉強をしていて僕は

「よお受験生。」

と嫌味ったらしくいった。

「お前もな。しかも俺がやってんのは今日提出の課題だよ。」

「え?そんなんあったけ。やばいやってないわ。」

「結構多いぞ。確認してこいよ。」

課題は僕の苦手な数学のテキストだった。やらなければならないページは二十ページ弱あった。でかい溜息を一つ吐いて雅也のところに戻って

「諦めた。」

と言って笑いあった。

 ほどなくして朝の会が始まった。内心僕は焦っていた。僕は怒られるのが大嫌いだ。そして数学の先生は無駄に声のでかい山口先生ときた。課題をやっていないのは僕がすべて悪いので変なことを考えずに怒られる覚悟をして、朝の会が終わってすぐに職員室に駆け込んだ。


 「山口先生。」

「まずおはようございますだろ。」

「おはようございます。あの、数学の課題なんですけど、忘れてて、やってません。」

「もっとはきはき言え!」

突然でかい声で僕に怒鳴った。体が震える。

「数学の課題を忘れてしまいました。」

「おまえよぉ、今がどういう時期か分かってねぇのか?おめぇがぼーっとしてる間にすぐ受験だぞ!そんなんじゃ志望校にいけねぇぞ?わかってんの?志望校どころじゃねぇ社会にもでれねぇ!」

社会にでれない。その言葉をきいてぼくは全身が冷たく、でも確かに熱くもなった。それはこの世界を呪う悲しみと、自分の軟弱者っぷりに対する怒りであった。

「そうですか。」

「あ?」

僕はだれの目にも留まらない速さでUターンして、先生の怒号を置き去りにして職員室を抜け出した。階段を下りて下駄箱から運動靴を盗んで上履きをほっぽって履き替えた。雨が降っていたが当時の僕は傘なんて忘れていた。僕はそのまま校門を飛び越えて走り出した。ただひたすらに走った。そのときの顔を想像したら不細工に拍車がかかったような顔だろうと思い出すだけで笑ってしまう。でも本気だった。辺り一面に息をしていない田んぼの鼻を突くにおいが気にならないほど走った。血の味がする口内が落ち着く。地下道の階段をおり、上がって最後の一段でこけた。顔を拭うと赤かった。僕は起き上がってまた走り出そうとしたが、僕は足を止めざるをえなかった。雨が止まっていた。止んだのではない”とまっていた”

 僕は立ち尽くしていた。何分、何時間か分からないが立ち尽くしていた。やっとのことで手を動かし、止まっている雨粒に触れた。途端触れた雨粒は爆弾みたいに弾けて僕を更に雨で染め上げた。僕はなんだか楽しくなって止まっている雨粒一つ一つに触っていき、ついには走り出した。さっき走ったときとは違うどちらかといえば明るいスキップのような趣だった。その時の僕は過去も未来もなく、ただ今だけ、今だけを味わっていた。

 気づいたら家の前に立っていた。

「そうか。」

そう呟いて僕はドアを開けた。玄関から物凄い光が溢れだして僕のいる世界が吸い込まれていった。竜巻のような吸引力で僕は顔を覆うので精一杯だった。突然雷の音がして、いつしか風も収まっていた。雨の音が聞こえる。僕は笑って家に入った。タオルで髪を拭こうとしたが髪も服も濡れていなかった。

「本当だったんだ。」

僕はそのまま眠りについた。



 「おまえなぁ!何度言えばわかるんだ!」

「すいません。」

上司の怒号が社内全体に響く。これが現代の公開処刑であることは言うまでもない。説教がすんで僕は自分の席についた。

「大丈夫?」

僕が入社してからずっと優しくしてくれる先輩の明美さんが心配してくれた。

「大丈夫です。ありがとうございます。」

「ほんとになんかあったら言ってね。ご飯でも食べに行こう。もちろん私のおごりでね。」

「ありがとうございます。」

大丈夫なわけなかった。その日もいつも通り残業をした。

 雨の降る音が聞こえる。傘は持ってきていなかった。

「今日降るなんて言ってなかったのにー。あ、お疲れ。」

「お疲れ様です。」

「すごい降ってるね。ねぇ、雨やむまでさ、ご飯でもたべない?・・・二人で。」

「・・・いえ、遠慮しておきます。用事ができたので。」

「えー、なに用事って?」

「走ります。」

「走る?健康的だね!」

「そんな綺麗なものじゃないですよ。」

「?」


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