第5話【エラの頼み事】

「しかし……本当に見事なものだな」


 誰もいない倉庫で一人、食器の整理をしながら俺は呟いていた。

 思い付きで婚約者候補の二人が暮らすバジーレ侯爵家に身分を隠して来てから、丸一週間が経過していた。

 その間怪しまれない程度に執事見習いとしての職務をこなしながら、屋敷の使用人たちにエラとフレイアのことを聞くと、誰もがエラは気分屋でわがままで、悪趣味。

 一方のフレイヤは誰もが絶賛していた。

 ここまでは、ここに来るまでにもたらされた評判と大差ない。

 いや、むしろその差はより広いと言ってもいい。


「エラとフレイヤ。確かに双子のわりに全く異なるが、それにしてもここの使用人の二人への評価は異常だ」


 例えば、エラが何か自分でやっているのを見かけた時、一緒に仕事をしていた使用人は何も言わないか、悪態すら付くものさえいた。

 逆にフレイアがもしも自分で何かをしようと言い出したら、使用人はその意思を素晴らしいと褒めたたえ、しかし、結局は誰か別のものが進んで代わりに行うのだ。

 エラは嫌われ、フレイアは好かれている。

 そう考えたとして、あまりにも極端が過ぎる。

 そして、少なくとも俺が見ていた限り、エラがおかしなことをしているところは一度も目にしてない。

 幾度となく使用人たちの話題に上る噂話も、悪意のある解釈や事実を捻じ曲げたように思えることが殆どだった。


「よく言えばフレイアは人心を掴むことに非常に長けているとも考えられる」


 王族の仕事の多くは、一癖も二癖もある貴族や他国との化かし合いだ。

 それを行うのは全て人。

 もしフレイアが人の心の隙間に産まぐ潜り込み、自分に対して崇拝に近い感情を抱かせることができるというのなら、それはある意味役立つ能力と言える。

 しかし……

 配偶者となる俺としては、何が本心なのかも分からないような人物を伴侶に迎えることを歓迎したい気持ちなどない。

 あくまで国に利益をもたらすかもしれないとだけで、俺自身の感情から言えば、なんとなくうさん臭く感じるフレイアを、どこか好きになれずにいる。


「そもそもエラは、自分がこんな待遇にあって、何故声を上げないんだ? この一度だけ話した感じでは、芯が弱そうには見えなかったが……」


 使用人から聞くエラの評判からでは、とてもではないがエラを配偶者として迎えるわけにはいかない。

 フレイアが国にとって毒を含んだ薬だとしたら、エラは今のところ何の価値も見いだせない。

 大人しく卒がないことを美徳と言う者もいるが、それではただのお飾りになってしまう。

 そんなものも俺は求めていないのだ。

 しかし、エラは自分の意思を強く持ち暮らしているようにも思える。

 そうでなければ、これほどまでに使用人にすら邪険に扱われ、黙っている方がおかしい。


「もう少し本人の行動を直接見たり、直接話してみたいものだが、あまりに露骨にすれば怪しまれるしな」


 俺はそう言いながら、最後の食器の整理を終え。倉庫から出た。

 すると、たった今頭の中に浮かべていた、エラが目の前を早足で駆けていくのが見えた。

 思わず俺はエラを呼び止める。


「エラ様! そんなにお急ぎで、どうされました?」


 俺のこれにエラは立ち止まりこちらを見る。

 少し慌てた様子だ。


「あぁ! あなた、確か……カインだったわよね? お願いがあるの。今から言う物を取ってきてくれないかしら? 私の部屋まで持ってきて。お願い。急いでいるの!」

「分かりました。ちょうど仕事がひと段落したところです。持ってきてほしいものとは?」


 エラが言うには、様々な酒が置かれている倉庫から、できるだけ度数が高く、混ざりけのない酒が一本欲しいのだとか。

 ただ、エラ自身はの酒には詳しくなく、自分の屋敷の倉庫にどんな酒が貯蔵されているのかも知らないという。

 なるほど……確かに悪意を持ってエラの今の話を聞けば、また悪戯をされるのではないかという気持ちになるのも無理はないのかもしれない。

 しかし、すでに俺はこの屋敷の倉庫にどんな種類の酒が置かれているのかもある程度把握しているし、エラの求める酒にも心当たりがあった。


「かしこまりました。それでは今からすぐにお持ちします。他に何か割るものなどはご必要でしょうか?」


 まさか求める酒をそのまま飲むとは思えない。

 気を利かせたつもりで聞いた俺に返ってきた答えは、予想とは異なるものだった。


「いいえ。お酒だけで充分よ。それに、飲むわけじゃないの」

「飲むわけではない? はて……酒に飲む以外の使用方法などありましたでしょうか……?」

「ごめんなさい。今は詳しく話している時間がないの。じゃあ、頼んだわね。できるだけ早く持ってきてちょうだい」


 そうだけ言うとエラは再び来た道を駆け足で戻っていった。

 俺は不思議に思いながらも、期待通りエラと関りを持つきっかげできたことに満足していた。

 そもそもエラがどんな人物だったとしても、使用人として主であるバジーレ侯爵の娘の要求を可能な限り応えるのが役目だろう。

 俺はすぐに酒が保管されている倉庫へと向かい、棚の中から目的の一本を取り出し、丁寧に布でくるんだ。

 そのままエラに言われた通り、エラの部屋へと急ぐ。


「お持ちしました」

「あら……随分と速かったのね? 頼んだものは持ってきてくれたかしら? その布に包まれた中身がそう?」


 倉庫から取り出す際に急激な温度の変化ができるだけないように酒の容器を布で包んだが、そのせいでエラからは俺が持ってきた酒がどんなものか判断がつかないようだ。

 俺に言葉を投げかけたエラは、何故か少し諦めたような表情をしていた。


「こちらでよろしいでしょうか? 蒸留酒の一種で、度数はこの屋敷の中でも最も高いかと」

「まぁ! 良く見せてちょうだい。ああ、ふたを先に開けて。そうよ。匂いは良さそうね」


 ふたの開いた瓶の先を手で仰ぐような仕草をした後、エラは満足そうにそう言った。


「ありがとう。助かったわ。そのお酒はこっちに置いてちょうだい。そう。その棚に」

「もしよろしければ、これを何に使うのか教えていただけませんか? いえ……飲む以外の酒の用途に興味がありまして」


 エラは少し考えるそぶりを見せ、その後、屈託のない笑顔で答えた。

 フレイアが見せる笑顔とは異なる、自然に出た笑顔だった。


「いいわ。教えてあげる。これはね。今から作る薬の精製工程で使うのよ」


 そういうエラの声は弾んでいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る