第215話いばら姫

 そうして体が浮かび上がっていくほどにエルピスの意識は徐々に覚醒していき、身体に重力を感じながらエルピスはゆっくりと瞼を開けて辺りを確認する。

 起きたばかりの頭ではいま自分がどこにいるのかすらエルピスからしてみれば定かではなく、ふと視線があったセラは少し驚いた顔をしながらエルピスに問いかける。


「──起きた?」

「起きたよ、どれくらいの間寝てたの?」


 身体中に重たさを感じながら自分がどれほど寝たのだろうとエルピスは軽く部屋の中を見てみると、いくつか部屋を彩る花瓶などの小物が増えている。

 埃でも積もっていればどれくらいの間眠っていたのかも分かりやすかったのだが、メイド達が毎日掃除しているであろう部屋は埃ひとつなく綺麗なものだ。

 エルピスの質問に対して座っていた椅子から立ち上がり、枕元に置いてあった花瓶の花を変えながらセラはエルピスの方を見る。


「一ヶ月丸々よ。身体の方は大丈夫?」

「一ヶ月も寝ていた割には全然大丈夫だよ、状況はどんな感じ?」

「これといって変わった事はないわね。ただ今回の戦争で勝利した事で魔界はようやく正式に統治が始まっているから、このまま上手くいけば魔界全土が手中には収まりそうだけど」


 セラが魔界全土を手中に収めようとしているのにはもちろん訳がある。

 これまでの魔界は事実上統治者というものが存在していなかったのである。

 始祖種達は様々な呼び名で呼ばれ魔界の住人達から恐れられていたが、結局のところそれは恐れでしかなく統治とは言いにくいものであった。

 これには始祖種が基本的には自分の配下に興味がなかったというのも大きい。

 始祖種からしてみれば配下の魔物達はそれなりに使える駒でしかなく、それ以上でもそれ以下でもなかった為にわざわざ国というものを作りたがらなかった。


 さて、そんな事もありつつ今回始祖種が大半死亡し、事実上彼等が様々な呼び名で呼んでいた魔界の統治組織と思い込んでいた組織は崩壊。

 生き残った始祖三体のうち二体をその配下に持つエルピスを前にして、魔物達は三つの選択肢を与えられている。

 一つ目はその力に畏怖し、配下につく事。

 二つ目はエルピスを倒す事で自分がこの魔界を統べること、だがこれに挑むような愚かな魔物は存在しない。

 三つ目はこの魔界から抜け出して別の場所へ逃げ出すことだ。

 だがこれすなわち周辺地域への起源分子の流出にほかならず、セラは魔界から誰一人として逃すことなく管理するためにこの地を統治する事に決定した。

 いま現在魔界では急速に社会化が進んでおり、いくつかの街を臨時的な大都市とする事で活動の基盤を作り始めている。

 そんな事は梅雨知らず、セラがまだ行動していないだろうとタカを括っているエルピスはそれほど焦った様子もない。


「セラがいうと本当にそうなりそうで怖いよ。ニルはどこに?」

「ニルなら三週間くらい前からずっとあちらこちらを走り回っているわよ、いまごろどこの国にいるのかすら検討もつかないわね」

「そっか、ニルにも迷惑かけてるな」


 ベットに体を預けながら、エルピスは能力を使用してある程度の状況把握を終える。

 完全に調子が戻ったわけではないが、技能スキルは特に違和感なく使用でき周辺の状況も把握できていた。

 身体を起こして違和感を確認していると、セラもそんなエルピスの姿を見て一安心しながら言葉を返す。


「あの子なら大丈夫よ。それに私も少しやっておかなければいけないことをいくつかお願いしているし」


 セラはいまのいままでエルピスの体調管理のために不眠不休でつきっきりであった。

 天使である為睡眠を必要としてはいないのだが、そこはご愛嬌というものである。

 セラがニルにお願いしたのは基本的にいまの魔界に必要な物資の購入で有り、これに必要な金銭はエルピスの財布から出されていた。

 必要なものを購入する為だから事後承諾でも仕方がないとはニルとセラ両方の意見である。

 含みのある笑みを浮かべるセラに訝しげな顔をするエルピスだったが、部屋の扉が音を立てた事で意識はそちらへと向かう。


「セラ入るぞ。ようやく起きたかエルピス、調子はどうだ?」


 やってきたのは私服に身を包むレネス。

 一瞥すれば調子のほどは分かるだろうにあえて聞いたのはエルピスの口から大丈夫だと言って欲しいからだろう。

 準備体操をしていたエルピスを無理やりに抱きしめて生きていることを確認しながら、レネスは深く息を吐く。


「おはよう御座います師匠。すっかり気分良好です、なんなら前よりもずっと体も楽な気がしますね」

「それはよかった。だが残念だな、看病の経験というのもこれはこれで中々に面白かったのだが」


 レネスに解放されて自由になった感覚を惜しみつつ、エルピスは自分が先程まで寝ていたベッドの上を見る。

 神人になってから新陳代謝というものをほとんどしないので、エルピスは理論上寝っ転がっていても部屋が汚くなる事はほとんどない。

 汗もかかなければ老廃物も出ないので、部屋の中を舞う埃くらいでしか汚れる事はないし服だって同じものを着せ続けてもなんら問題はないのだ。

 だが枕元には綺麗な水と布が用意されており、目線を別の場所へ向けるとかけられた服が目に入る。

 毎日しっかりと身体を拭き、着替えをさせてくれていたのだろうと考えるとありがたさと同時に羞恥心にも襲われる。


「師匠につきっきりで看病されてたんですか? なんだか恥ずかしいんですけど」

「そんな事いまさら気にする必要もないだろう?」

「そう言い切られると余計微妙に思えるんですけど……そう言えばメイドや執事は?」


 言葉の裏に裸なんてお互い見ただろと言わんばかりの意図を感じ微妙な気持ちになりながら、ふとエルピスは気配の感じない使用人達についての説明をセラに求める。


「基本的にはアルヘオ家本邸にイロアス様達と一緒に戻ったわ。ただヘリアさん、フィトゥスさん、リリィさんの三名とアーテは残っているみたい」


 あれだけの戦闘があったのだから一旦王国へと戻った両親の判断は間違いではないだろう。

 邪竜討伐は人類から両親に対して課せられていた依頼のようなもの、報告書作成からなにから様々な催し事を含めて戻る必要があるのはエルピスとしても理解できた。

 そして残っている面々からして、やはりある程度自分の精神状態を危惧されているのだろうということも同じく理解できる。


「そうなんだ。エラはいまどこに居るの?」

「エラなら今ごろはおそらくバーンの城だろう」

「そこにアウローラも?」

「あーっと…もう知っていると思っていいのか?」


 エルピスの質問に対してあからさまに目線を泳がせたレネスに少し笑みを浮かべながら、エルピスはなるべく落ち着き払って言葉を返す。


「分かってますよそっちで何が起きたか。おおかた3人が残ったのもエラが落ち込まないように気を使ってくれてるんでしょう、アーテは多分足として残されただけだろうけど」

「……すまなかったエルピス。アウローラを助けられなくて、本当に悪かったと思っている」


 先程までは自分の中にある自責の感情をなんとかして我慢していたのだろう。

 唇を噛み締めながら己の無力を嘆くレネスを前にして、エルピスはなるべく優しく声をかける。

 自分の無力に嘆く必要などないのだ、そう割り切らなければエルピス自身自分を許せそうにない。


「やめてくださいよ師匠、まだ死んだわけでもないのに。それに師匠のせいだと思っていませんし」


 状況を詳しく教えてもらったわけではないので何が起きたかはしらない。

 裏切りがあった事は知っているがそこまでだ、創生神の口ぶりからして権能による攻撃を受けたようだが、アウローラには事前に警戒するように言って置いたのでフィリル以外の粘液種が現れた可能性というのは十分ある。

 破壊神の信徒が一体何人存在するのか、必要なのはそこの把握からだろうと思考の海に沈み始めたエルピスにセラから声がかかる。


「そういえばフェルが一度会いたいって言っていたけれど」

「わかったよ。とりあえず俺はいまからエラのところに行ってくるからフェルをここに呼んできておいてもらっていい? 

 それと法国への移動の準備もしておいてくれるとたすかるかな」

「そういうことだったらこのままレネスは借りていくわね」

「もちろん。それじゃあまた後で、師匠もまた後でね」

「ああ、行ってらっしゃい」


 見送られるままにエルピスは転移魔法を使用してその場を後にする。

 いまから先は話す言葉一つ一つがいままでの人生全ての言葉と同じほどの重みを持つと意識しながら、邪竜討伐よりも難しいであろう難題を前に兜の緒を締め直すのだった。


 ^


 エルピスがやってきたのは吸血種達が作り出した城の一角。

 代々始祖が使ってきたとされる城の中はどこにいてもほのかに血の香りが漂っており、吸血種以外の人間には少々堪える環境である。

 そんな中でぼうっと廊下に立っている人物を発見し、エルピスはなるべく普段通りを意識しながら言葉をかけた。


「おはようエラ」

「おはようエル。案内するからこっちに来て」

「うん」


 見つけたのはエラ。

 冒険をしてからは長く見ていなかったメイド服に身を包み、初めて会った頃よりも更に強固な鉄仮面を顔につけた彼女はどうやってかエルピスが自分の方に向かっていることに気がついたらしい。

 それも全ては妖精神の未来視の力なのだが、エルピスはエラがそこまで能力を使いこなせているとは想定していなかった。

 だがら廊下に立っていたエラを見てほんの少し動揺してしまったのだが、エラはそんなエルピスを見ても特に何も思うところはない様である。


 そうして長い渡り廊下を無言で歩く二人。

 会話を作り出そうにも言葉を出せるような雰囲気ではなく、言葉のために為た空気が口の中から無駄に浪費されていく時間が流れる。

 エラは廊下を歩いている間も変わらず常に下を向いており、道中バーンがチラリと顔をのぞかせるが空気を読んでかどこかへと消えていった。

 このままでは予想していた最悪の結果を招きかねないと判断したエルピスは、意を決してエラに声をかける。


「……権能はエラがずっと保持し続けてるの?」


 それは自分が今回どこに向かって案内されているか知っているよ、というエルピスにとっては挑戦的な一言であった。

 なにせエラはまだアウローラの件についてエルピスが知らないと思っているとエルピス自身思っていたからだ。

 だがエラはそんなエルピスの考えすら知っていた。

 妖精神の権能は多岐にわたるが、熟練した妖精神の称号を持つものは他者の感情を見抜けるようになる。

 表層上の意識だけではなく隠しておきたい心の奥底にあるものまで、全て見通す力なのだ。

 そんな力を手にしたいまのエラからしてみれば隠し事などあってないようなものである。


「はい。アウローラを助けられなかった罪滅ぼしがそうしていないとできないと思って、勝手ながらセラにそうできるようにお願いしました」

「そっか」


 自分のせいではないだとか、仕方のない事だったのだとかかけてあげられる言葉はいくつでもある。

 だが本人達がそれに対して納得していない限りどのような言葉をかけたところで無駄なのだ。

 レネスが己のせいであると責め立てているように、エルピスがかつて何度も同じような状況で自分を責めたように、力のあるもの達は自分ならばなんでもできると思い込む。

 その結果失敗すればそれをこなせなかった自分のことが心の底から許せないのだ。

 なぜできなかったのか、なぜ救えなかったのか、次失敗しないようにしたところで次などないのだ。

 ──だが今回に限っては次がある。

 絶望的な未来だったが、その中に一筋の光があるのはエラのおかげであった。


「アウローラを助ける方法はわかったよ」

「ほんとですか!?」


 呟くように口にした言葉に対して、エラは両目を見開きエルピスの手を掴み、信じられないようなものを目にしたようにして大声で叫ぶ。

 彼女の悩みがどれほど大きいものであったか心中察せられるその態度に、エルピスはなるべく無駄なく説明を開始する。


「法国の神がどうやら知っているらしくてね。フィトゥス達の協力も必要になるから、悪いんだけど事情説明して用意とかお願いしていいかな。

 セラも用意してくれているからその手伝いをしてあげて」

「わかりました、それでは」


 必要であればいくらでも時間をかけてエラのメンタルケアに努めるつもりだったが、アウローラを助けられる可能性を示唆した瞬間にエラの目は普段のそれに戻っていた。

 助けられる見込みがない状態と、助けられる可能性がある状態では心にかかる負担というものは段違いである。

 これならばもはや心配する必要性はないだろうと判断したエルピスは、エラを見送りアウローラの気配のする方向へと歩いていく。

 エラに外れてもらったのは単に倒れているアウローラを前にして、自分が平静を保てる自信がエルピスにはなかったからである。

 アウローラのいら部屋の扉を開ければ、ベットで眠っているアウローラともう一人の姿が目に映る。


「バラのベットなんてまた随分趣味がいいですねバーンさん」

「お気に召してもらえたか聞きたいけど、そんな場合じゃないわな。悪かったと思ってる、アンタの大切な人を守り切れなかった」


 口をひらけば全員が謝罪の言葉を要求する。

 自分に自信を持てるのは良い事だが、これだけ誤られ続けているとなちか相手が悪いことをしたかのように思えてくるのだから不思議なものだ。

 だがバーン一人だけを問い詰める気など元からさらさらなく、エルピスは頭を下げようとするバーンを手で止める。


「別に謝る必要はないですよ。それにバーンさんだって聞けば大切な人を失ってるそうじゃないですか」

「俺の場合はいつか殺しあう定めにあった、フェリルはいい奴だったが始祖である以上こうなる可能性はもちろん覚悟の上だった。

 なのにおれはあいつを殺しきる覚悟ができてなかった、そのせいでアンタの大切な人がこうなったんだ。

 もちろん責任はとる」

「どうやって?」

「吸血鬼は全員アンタの配下になる。俺の命も好きにしてくれて構わない、俺が差し出せるものすべてを差し出そう」


 謝罪の形としてはこれ以上ないだろう。

 命を差し出すどころか自身の持つ全てを差し出すなどそうできる事ではない。

 ましてや邪神の称号を持つエルピスとは契約すればたとえ口約束であろうとも罰せられる、それを知っても知らなくても神相手の契約など危険であることくらいは知っているだろう。

 それくらいの覚悟を持って謝罪の形を示すバーンを前にして、これはなにか罰を与えなければ向こうが納得してくれないだろうと考えたエルピスはちょうどよかったと一つ案を出す。


「……大袈裟ですよ、ただまあ魔界の統治はしてもいいのかもしれないという気はしますけどね。

 いまは状況が呑み込めていない魔物や魔族がほとんどでしょうが、始祖種の枷をなくした魔物が次の始祖種になろうとこれから戦争も多発するでしょうし。

 確かもう一方いらっしゃいましたよね始祖種の方が、その方はどちらに?」

「ヘレディックのおっさんならお嬢ちゃんを助けることのできる方法がないかと今頃世界中を動いてることだろうさ」


 この場にいないのであれば都合が良い。

 そう考えたエルピスがいくつか案を頭の中で練るが、残念ながらそれらは既にセラの手によって実行に移されている。

 現在の魔界の動向を知らないのは一月の間眠り続けていたエルピスと、裏切り者の判別に時間を取られて城から出ることのできないバーンの二名くらいのものだ。


「だったらバーンさん、一つお願いがあるんですが」

「何なりと、どんな願い事でもかなえて見せる」

「心強いですね。あなたへのお願いは魔界の平定です、貴方がアウローラのことで負い目を感じているならぜひ統治をお願いしたい」

「了解しました、だが本当にそれだけで?」

「それだけって。結構きついと思うんですけど」

「始祖種のいない魔界なら吸血種の始祖である俺の力を邪魔できるものはいないし、一月もかからないくらいじゃないっすかね」


 実際のところいまからバーンが行動に移ったところでする事などほとんどない。

 それほど水面下で行われていたセラの行動は綿密で完璧なものだったのだが、それ故に何も知らない二人は作戦の結構に嬉しそうにしながら話を進める。


「さすがですね、それだけの働きがあれば十分ですよ。フェルもこっちに置いていくので上手いこと使ってやってください」

「まさか、フェルさん相手に指示なんて出せるわけない」

「ただの悪魔ですよ?」


 始祖の一員であり天変地異を引き起こせる力を持つフェルをただの悪魔というのは言い切りすぎだが、それでもエルピスからしてみればそれほど突拍子もない存在ではない。

 これが末端の吸血鬼の口にする言葉であれば理解可能だが、同じ始祖のバーンが怯えるようにして拒否する理由がエルピスには理解し難かった。


「……そういえば人類史では彼の所業がなぜあまり広まっていないかご存知ないのも無理はないか。

 始祖の中で唯一彼だけがどの書物にもその情報が記載されていないのかも」

「何か理由が?」

「フェルさんはかつて神をその手にかけたことのある唯一の魔人であり、人の世界では語ることすら禁忌とされる存在に当たる。

 存在を知っているのはいまや法国と一部の宗教団体だけ、俺自身も始祖になって初めて会ったのはエルピスさんも来てたあの会合だ」


 神をその手にかけた、その言葉が本当であればフェルはとてつもない快挙を成し遂げたことになる。

 神殺しは基本的に神によって行われるのが当たり前で、それ以外に神が負けるなど余程の事がなければない。

 産まれたての神であったとしても神は神、それを討ち滅ぼすことに成功したのであればフェルの底力は恐ろしいものだ。

 それだけの相手を部下に持つと言われれば確かに気が気ではない、ならば共同作業ということにすれば多少はストレスもやわらぐのだろうか。


「結構凄い悪魔だったんですね。まぁでもどうせ落ち込んでるんで仕事なんてあるに越したことないですよ。

 とりあえずこの部屋は権能を使って封印させてもらいます。構いませんね?」

「ええ、もちろん」


 廊下へと出たエルピスが腕を軽く振るうと、権能によって作られた結界が完全に外と中を隔絶させる。

 エルピスからしてみれば応急処置的な簡単な封印であったが、側から見ていたバーンとしては驚きの言葉しかない。

 封印魔法というのは基本的に魔法陣を必要とし、それなりの時間をかけて対象物に対して刻印をしながら作り上げるものである。

 それを対象に触れることなく部屋ごと封印してみせたエルピスの魔法操作技術は神技であり、貼られた封印の強度も自分ではどうやっても破れそうにない。


「とりあえず封印はこれで、警護はこちらで手配するので大丈夫です」

「これからどこに?」

「法国です、アウローラの回復はそこでしかできなさそうなので」

「法国には知り合いの信者がいます。後で紹介状をお渡ししますよ」


 吸血種は人間と交流を持つために己が吸血鬼であることを隠しながら潜伏しているものが多くいる。

 その中の一人が法国でそれなりの地位にいることを思い出したバーンからの提案はエルピスにとってありがたいものである。


「助かりました、いろいろとありがとうございますバーンさん」

「いえいえ、魔界を統治してお待ちしております」


 /


 そうしてバーンと別れてエルピスが向かった先はフェルのいる場所だ。

 悪魔達の住まいから遠く離れた場所、エルピスが邪竜と戦っていた場所にフェルはいた。

 いまだに発動した魔法によって天変地異が引き起こされている現場をフェル同じように眺めていると、フェルの方から声がかかる。


「お疲れ様ですエルピスさん、おはようと言った方がいいですか?」

「別にどっちでもいいよ、久しぶりだねフェル。身体の方は?」

「快調ですよ、いつでもやれます」

「そっか、それは心強いよ。落ち込んでるんじゃないか心配だったからさ」


 自信満々にやれると口にしたフェルからは、落ち込んでいるような様子は見受けられない。

 いままでの人物が全員落ち込んでいただけにほんの少し意外だなと思うエルピスだったが、そんなエルピスの表情を見てフェルは言葉を続ける。


「前回のは避けれた事故でしたからね、今回のも防ぐことができるのが最善であるという事はもちろん理解していますが。

 すいません、気に障りましたか?」

「いやいや、謝られても正直できることなんてないしね。

 それに聞いてるから分からないけどアウローラの蘇生方法は法国で見つかりそうなんだ」

「それは良かったです。次は法国ですか、気合を入れていかなければいけませんね」


 悪魔らしいフェルの考えに頷きながらも、エルピスは心の中で失敗したなと反省する。

 話をする順番を間違えてしまったが為にフェルが法国に行く気を出していた。

 自分のミスなのだから自分で尻拭いをしなければいけないだろう、そう考えたエルピスはほんの少しだけ嫌そうな顔をした後に仕方がないかとやる気満々でいまからでも法国に行かんばかりのフェルに対して指摘する。


「悪いけどフェルは置いてくよ?」

「なっ! 失態を取り返すチャンスがそれじゃあ手に入れられないじゃないですか!」


 失敗してもそれ以上の成功で返せばいい。

 自分の頑張りによってアウローラが生きて戻って来れるのであれば、ミスも完璧に帳消しとまでは行かずとも致命的な範囲を超えられるだろう。

 己の失態を己の手で覆すつもりでいたフェルだったが、そんなフェルに対してエルピスの告げた言葉は会心の一撃であった。

 なにせ連れて行ってもらえないという事はもとより計画が破綻したということである。


「法国に悪魔のフェルが入れるわけないでしょ、それこそ今回は法皇とも会う予定なんだから。

 フェルはこっちに残ってバーン君と一緒に魔界統治をしてもらわないと」

「こんな土地ならバーンだけでも制圧できると思うんですが…まぁそういう事でしたら速攻終わらせますよ。ついでに山脈の向こうに手を出しても?」


 転んでもただでは起きないのが悪魔である。

 指示された命令を完璧にこなし、その上でいくつか余分に領土を攻略すればエルピスにもたらされる利益はかなりのものになるだろう。

 アウローラの命の危機と比べてしまうとそれでも天秤は傾かないが、なにもフェルの目標設定はその程度では収まらない。


「人の国じゃない方って事だよね。何かあったっけ」

「獣人種達の国と隔てる西の境、東の国との間にあるゲリラが占拠する南の地域が現実的な範囲ですね」

「じゃあ南から制圧しておいて。西は向こうから喧嘩ふっかけてこない限りは手を出さないでいいから」

「了解しました。なるべく早く終わらせますね」


 出来るだけ作戦を早く終わらせると強調したフェルに対して、エルピスは怪訝そうな顔をしながら言葉を投げかける。


「…分かってるとは思うけど早く終わらせすぎてもこっちには来れないからね?」

「もちろんですよ」


 笑みを貼り付けたままのフェルにこれ以上何かを聞くのは無意味だろう。

 どうせ来るなと言っても来たければ勝手に来る、ならばこれ以上話しても時間の無駄である。

 そんなエルピスの考えすらも見透かしたのか去っていくエルピスの背中を眺めながら、フェルはにやりとその口を三日月の形に歪めるのだった。

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