第190話魔界の家

 アルへオ家の別荘はその土地に合わせた建築様式でもって建てられることが殆どだ。

例えば森霊種の国にあった別荘は和風だったし、共和国に元あった家はレンガ造りのそれはそれは素晴らしい家だったらしい。

 だというのに魔界にある別荘、別邸という方が正しいだろうか、それは本邸に限りなく近づけて作られていた。

 わざわざ実家に似せて家を造らせたのは、せめてこの土地で産まれてしまった妹に対して実家の空気感を味わって欲しいという両親の思いだろうか。

 エルピスからしてみればもはや全てを知っている家なので、ここでは新たな土地に来たような感覚もない。

 落ち着いた気持ちで家の外観を見回したエルピスは、ふと横にいた苦い顔をしているフィトゥスに対して声をかける。


「自分の家に家族から招待されるのって俺くらいのもんじゃない?」

「ではそのように。──何か言いましたか? とりあえずエラとリリィには連絡を入れておきました。アウローラ様と市内観光をしてからこちらに向かうとのことです」

「……うん、分かった」


聞き逃されてしまったのは少々業腹だが、面白いことを口にしたわけでもないのに聞き返されると変な空気になるのが確定しているのでエルピスも話を流す。

 苦い顔をしていたのはリリィに魔法による通信を行った時に何か言われたのだろう。

 くっつけようとしている手前エルピスとしてはいい方向に進んでいると喜ぶべきなのだが、こうしていざフィトゥスの興味がリリィに向くとそれはそれでなぜかエルピスも面白くないようである。

 ほんの少しだけ不機嫌さを見せる主人に対して困惑の表情を浮かべるフィトゥスだが、アーテはそんなフィトゥスを無視して話を続けた。


「事情説明したらアウローラ様がケラケラ笑ッてたぜ」

「容易に想像できるわ」


 アウローラの事だ、どうせどこに行っても何かしら問題ごとを起こすエルピスがおもしろくて仕方がなかったのだろう。

 笑みを浮かべたエルピスを見てとりあえず安心したフィトゥスを意識の外に置き、エルピスはそれならば自分も連絡しておくかと久しぶりにメッセージを使いセラに連絡を取る。

 音声ではなく文字で会話を行うなどいつぶりか、ひさしぶりに前世の気持ちを思い出しながらエルピスは送られてきた内容を読み上げた。


「セラはニルの様子を見てくるってさ」

「ほんじャあしばらくはこのままか」

「フィアと遊び終わったら久しぶりに遊びに出かけるか?」

「いいッすねそれ。フィトゥスさんももちろん来ますよね?」

「もちろん、たまには野郎だけで遊ぶ時間もいるからな」


 成人を迎えた男が三人、資金は潤沢であり何をするにしても不自由はない。

 夜の街にでも繰り出したいところだがそこはエルピスには四人が、フィトゥスにはリリィがいるので少しばかり厳しいだろう。

 だが仲のいい男が三人も集まれば街を歩くだけでも楽しいものだ、楽しさを予感する三人だったがそれより先にするべき事がやってくる。


「用意ができましたわ。どうぞ中へ入ってください」


 招かれるままに屋敷の中へと入っていったエルピス達は、まるで知っているかのように──というのは少しくどいだろう。

 案内されるよりも早く三人組がペディより先に応接室へ入ろうとすると、ペディは少し驚いた顔を見せる。


「応接室はこちらに…ってもう知っていらしたのですか?」

「ん? あ、ああ。ここじゃないけどお邪魔したことがあるから」


 妹に嘘をつくのはエルピスとしても憚られる、騙すのはエルピスも好きだが嘘を吐く相手は慎重に選ぶべきだというのが持論だ。

 その点前世であるとは言え妹が居た経験を持つエルピスは、かなりのアドバンテージを取れている。

妹が誤解してくれるラインというのは見極めがついている。


「あらそうでしたの。私他の家の事はあまりよく知らない物で、もしよろしければその辺の話を聞いてもよろしいかしら」

「ええもちろんです」

「ほんとう!? それは良かったわ。お茶菓子を持ってくるから待ってらして」


 笑みを浮かべてそう言いながら立ち去った妹には罪悪感が湧いてくるが、これも全ては話す機会を失ってしまったが故の行動なので許してほしくもある。

 今後の対応を考えていたエルピスがふと視線をずらすと、部屋の中にいた給仕の一人がおずおずとした態度で言葉を投げかけてきた。


「えーっと、エルピス様ですよね?」

「はいそうですけど」

「え? ええ?? 何してるんですか?」

「何してるんですかね」


 いつ妹が帰ってくるか分からないので会話を長引かせる事はないが、問いかけてきた執事に対してエルピスは正直に答える。

 自らの仕えるべき主人であるエルピスが客人として家に招かれ、あまつさえ兄であるエルピスの事を別の人間としてフィアが認知しているのはさぞ違和感のある事だろう。

 頭の上に疑問符すら幻視出来るほどに困り顔の執事を見て笑い声をあげるのは、同じくアルヘオ家に仕える執事の二人だ。


「側から見てるとこの状況とてつもなく面白いな」

「だろ? さッすがフィトゥスさん、性格悪りィわ」

「何言ってんだ、両方正確悪いよ」

「エルピス様そりゃひでェよ」


 誰のせいでこんな状況になっていると思っているのだ。

 そうエルピスが目線で告げると二人はそっぽを向いて知らないふりをする、なんとも分かりやすい事だが、そんな二人だからこそしかるに叱れない。

 そうして微妙な時間を過ごしていたエルピス達の空気はフィアが戻ってきたことで何とかましなものになる。


「お待たせ致しました。美味しくできているか分からないけれど、どうぞ召し上がって」


 机の上に差し出されたクッキーを口に含んでみれば、魔界産の砂糖でも使っているのか通常のそれよりもはるかに甘い味が味覚を満たしていく。

 実際のところは分量を間違えてしまい通常の二倍近い砂糖を入れた結果なのだが、シスコンのエルピスからしてみればどんな美食よりも妹が作った食べ物のほうが口によく合う。

 だが体はそんな不健康に一直線の食べ物を受け入れてくれないのか、震える手で紅茶を一息で飲み干すとエルピスはにこやかな笑みを浮かべた。


「ありがとうございます。美味しいですよ」

「じゃあ俺も――痛っ! なんでですか!」

「俺のだ、手を出すな」

「アレはマジだな。手ェ出さない方がいいッすよ」

「さすがに分かるわ」

「まだまだありますので遠慮なく食べてくださいね」


 フィトゥスはまだ空気が読めるだろうがほぼ間違いなくアーテはこれを食べたら顔に出る、そう判断したエルピスは食べさせないという暴挙に出ようとするがどうやらそれも無駄のようである。

 追加を食べて目を白黒させている執事二人をせめて無視するかと軽く流したエルピスだったが、きづけばフィアが目の前の椅子に腰を掛け自分で作ったクッキーに首を傾けているところだった。

(まさかこれを食べても違和感を感じる程度の味音痴なのか――!?)

 明らかに食べれば吹き出す用な分量で作られたこの菓子を口にして首を傾けるだけというのは、エルピスからしてみれば自分の魔法を耐えられるよりもよっぽど驚愕の出来事である。


「改めて自己紹介を。私の名はペディ・アルヘオ、アルヘオ家長女にしてこの地の自治を任せられています」

「これはご丁寧にどうも。私は──」


 さらりと流れた味の話題を置き去りに自己紹介されたエルピスが反射的に言葉を返そうとすると、後ろでどたりと大きな音がして一瞬中断される。

後ろに視線を送ってみればさも自然を装って物を落としたフィトゥスの姿がそこにはある、どうやらよほどフィアのおやつが食べられなかったのが不満らしい。


「おっと失礼しました。私の名前はフィトゥス、そちらがアーテです。どうぞお見知り置きを」

「しンないッすよ後でどうなッても」


 なるほど、どうしても邪魔してくれるようだ。

 エルピスが物音を立てたフィトゥスに対してにらみつけてみれば、いたずらっ子のような笑みを浮かべるだけ。

 そちらがその気ならばこちらにも考えがある。


「晴人です。よろしく」

「あら? 東の国出身の方なのかしら? あまり聞いたことのない発音だからびっくりしてしまいました」

「まぁそんなもんです」


 正確には王国出身であるしアケナやトコヤミの出身地である東の国とも貿易こそ行っていたものの直接の交流をとるようなことはそれほどしていない。

 ただこちら側から東の国であることを口にせず勝手に向こうが勘違いしてくれている間は嘘にはならないだろう、ならないのだ……ならないのか?

 もはや自分でもなぜこんなことになってきたのかよくわからないところではあるが、こんな時は場の流れに身を任せるべきだというのがエルピスの考えである。


「それで晴人さんはこれまでどんな旅を?」

「この二人と世界中を旅をしています、アーテの方は割と最近入ったばかりですが基本的には依頼をこなしてその土地の文化に触れたら次の土地に行くような形ですね」

「なるほど、人類生存圏内の旅ですか。少し羨ましいですね」

「ここより余程最悪で最高な所ですよ」

「問題ごとに巻き込まれるのは間違いなくこッちよりあッちの方がひでェな」


 寂しそうな笑みを見せながらうらやましいと口にしたフィアに対してエルピスは苦笑いをうかべながらそう口にする。

 ただ生きるだけならば確かにこの場所よりもよほど生きやすい、だが権力という力を手にしてしてしまうとどうやっても面倒ごとが付いて回るあの場所はエルピスには生きて生きづらい場所だ。


「中々面白い体験をなされたのですね」

「──まぁそうですね。一番最初の冒険から詳しく話しますか」


 冒険譚を望むのであれば何時間だって語って聞かせよう。

 共和国から始まり失敗ばかりのエルピスの冒険、だがそれで妹が笑ってくれるのならばそれでもいいだろう。


 /


「寝ちゃったか」


 応接室のソファーにその体を横たわらせ小さい寝息をたてる妹の姿を見ながら、エルピスは収納庫から毛布を取り出すと起こさないようにそれを掛ける。

 陽は随分と沈みもう夜がやってきた魔界は随分と冷え込む、魔法で温度を多少は調整しているがそれでも寝ていると肌寒さは感じるだろう。

 窓の外を眺めながらこれからするべきことを考えていると、ふと部屋の扉が開きフィトゥスがやってきた。

 先程までこの屋敷にいる執事たちと話していたらしく、その顔はエルピスと同じくらい疲れている。


「大分長い間話しましたね。お疲れですか?」

「誰かさんのおかげでこんな有様ですよ。まったく酷いな」


 いつもならエルピスが良い方向に進めるように融通してくれるフィトゥスだが、今日はリリィとくっつけようとした仕返しか随分と意地悪になったものだ。


「まぁ仲良くしろってエルピス様もおっしゃっていましたし、これを機に、ということですよ」

「魔力供給断ち切るよ?」

「それだけはマジで勘弁してください」


エルピスの言葉に対してフィトゥスはそれだけはと念を押す。

 悪魔にとって魔力は主食、それを断ち切られるのは相当こらえるのだろう。

 本気でいやそうなフィトゥスのそんな顔を見てまあもういいかと切り替えたエルピスだったが、会話の内容が気になったのかフィトゥスについてきていたアーテがエルピスとの会話に口を挟む。


「フィトゥスさんエルピス様から魔力供給されてんのか?」

「ああ。権能の発動には必須だからな」

「ほーん。ちなみにどれくらい貰ってるんスか?」

「いい機会だし貰ってみる? 最初だから少しだけど」


 いつかはアーテにも権能を貸し出すつもりだったのでエルピスとしてはちょうどいいタイミングである。

 エルピスの提案に対してアーテは目をキラキラと輝かせると、一瞬の間すら開けずに答えを返した。


「ばっちこい!」

「いい返事だね、それじゃいくよ?」

「──ん”っ!!」


 潰れた蛙のような声を出したアーテは、そのまま膝をつくとなんとも言えない顔をする。

 許容量を遥かに超えた魔力を体内に入れると通常であれば魔力暴走──ようはパンクして血液が逆流する。

 それを耐えきれたのはアーテの肉体が強靭であることに加えて、エルピスが魔神の権能を用いて魔力量は通常の範囲内であると体に錯覚させているからだ。


「き、気持ち悪い」

「そりゃあ人が耐え切れる物じゃないからね。アーテの身体が自分の魔力であると認識してしまう用に、魔神の権能でうまい具合に調整したんだよ」

「自分の魔力のはずなのに自分の魔力とは思えない魔力、最初は違和感すごいけど少ししたらなれるよ」


 経験者であるフィトゥスは慣れたものだが、彼の場合は悪魔という特性もあって慣れるのは早かったがアーテではまだまだ時間もかかるだろう。


「この量の魔力を消化できる気がしないンだが」

「それはまぁ頑張ってよ。慣れれば強化にもつながるし」

「あのーエルピス様、こちらイロアス様から」

「父さんから? ありがとう」


 アーテとの会話に入り込むのが気まずかったのか、必要最低限の動作で紙を渡してきた執事に感謝の言葉を述べると、エルピスは中身を軽く覗く。

 内容はかいつばめば明日にはこの街にやってくる事、妹はエルピスも行った一人行動の最中なのでそれとなく監視してあげて欲しいことなどが書かれている。


「なるほど。予想通りか、父さんも苦労してそうだね」

「十歳の成人の儀を魔界で行うのは少々怖いところですがね」

「それだけ信頼してるって事じゃないかな、どうやらフィアは思ってたより母さんよりみたいだし戦闘力は申し分ないよ」


 たとえばエルピス達がただのごろつきであったのならば、昨日ペディが出て来ずとも無事にフィア達だけで処理できた事だろう。

 龍神の力を借りなければ龍化できないエルピスと違って、龍化も自分の意思でできるようだ。

 成人の儀でもそう危ない状況になることはないだろう。


「とりあえずはこの子の見守りが俺の明日の仕事かな」


 目的のうちの一つである両親との接触はもはや成功したと言っても過言ではない。

 ぐっすりと寝る妹の顔を眺めながら、エルピスは明日の予定を考えるのだった。

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