第166話デート

 

「エルピス、僕は君とデートがしたい」


 森から漂う匂いが微かに鼻の奥をくすぐり、少し湿った空気は呼吸をするとなんとも言えない空気を作る。

 そんな中ぽつりとそう言葉を落としたのはニルだ。


 いつになく真剣な顔をしており、エルピスは読んでいた本を閉じてその呼びかけに対して疑問符を浮かべながら答える。


「どうしたの急に、良いけどさ」


 本を収納庫ストレージに仕舞い込み彼女の近くに椅子を移動させると、エルピスはどっしりと腰を下ろしてニルの目を見つめる。

 ニルは基本的にエルピスに欲求を露わにしない。


 もちろん嫉妬もすれば文句も言うし、こうしてどこかに行きたいと言う欲求を出すことはもちろんある。

 だが恋愛に関しての欲求をニルが表に出すことはほとんどない。


 なぜならそれをしてしまえば、間違いなく枷が外れるからだ。


 エルピスが今もこうして日々の生活を送れているのは、ひとえにニルの我慢があってこそである。

 もし彼女が胸の内に秘めたる欲求を表にでも出そうものなら、即座にエルピスは外界との接触を完全に断たれ全ての生活をニルがいなければ送れない様になることだろう。


「エルピスの愛に不安を感じたわけじゃない、むしろ愛してもらっている実感は今もある。

だけれど僕はわがままで──だから君の時間が欲しい」


 人の時間は仕事という形では金で買えるが、相手の善意で買おうと思うならば何よりも高い買い物になる。

 それが相手の自由を完全に奪い、全てを自分のために捧げるための時間であればきっとそれは黄金よりも価値があるものだろう。


 ニルのまん丸な瞳は少し潤んで見えて、エルピスはその表情に息を飲まずにはいられなかった。

 この激動の半年間、行ったことは数多いが今が一番緊張していると思う。


「分かった。今日一日、全ての時間はニルのために使うよ」


 とはいえ答えはもう既にエルピスの心の中に存在する。

 一瞬の遅れすらなくそう答えたエルピスは、今日行う筈だった予定のキャンセルをニルから見えない様に隠れて行うのだった。


 /


 さて、とは言ったもののこの世界で暇を潰す方法は限られている。

 最近では様々な娯楽施設も建設され、時間を持て余すのにそれほど苦労はしない王国だが、エルピスとニルが赴ける場所となると限られてくるのだ。


 いまやエルピスもニルも二人ともが有名人、特にエルピスなどはこの国を裏から操っているとしてもっぱらの噂である。

 

 メイドや執事の普段の行いが良いおかげでそれらは冗談半分や、言っても参謀役としてという前提で話が進んでいるのが唯一の心の救いであろうか。


「んふふっー。これくらいのご褒美はあって然るべきだよね」


 場所は変わって王国近辺の草原にエルピス達は腰をかけていた。

 エルピスの身体にその身を預け、鼻を押し付けながら自身の匂いをエルピスにつけるようにして身を寄せ付けるニルを見て、エルピスはそんな考えなどどうでも言い方改める。

 


 優しく彼女の頭に触れてみればいつぞや戦闘中に触った時とは違う、驚くほどふんわりとした良い毛並みが感じられ、エルピスは少しだけほんわりとした気分になった。


「いつもありがとうなニル。助かってる」

「分かってるよエルピス。僕は君の事ならなんだって分かってる、そしてこれからも分かろうと努力をするよ」


 狂愛と言っても心の中を覗けるわけではなく、ニルが必死に考えているが故の彼女の行動だ。

 にっこりと微笑むその姿は何よりも美しく愛おしい。


「ありがとう。だけど俺からひとつお願いがあるんだ、良いかな?」

「僕がエルピスからの願いを断ることなんてないよ、なんだって良いなよ」

「ニルのことを教えてよ。今でもニルの事が好きだけれど、だけれどこれ以上君のことを好きになるには、君の過去も知らなければいけない」


 ニルはエルピスと違って、神の時代の記憶を受け継いでこの世界にやってきている。

 セラとはまた違った方法でやってきた彼女が、果たして転生という形でやってきたのか転移という形でやってきたのか。


 セラの場合は擬似的に自らの体を仮死状態にし、エルピスの特殊技能ユニークスキル〈天使召喚〉を使用してこちらの世界にやってきていると聞いた事がある。

 では果たして彼女は一体どういう方法でこの場にいるのか、どうやってこの世界に来たのか、創生神と敵対していたという話はなんだったのか。


 本当ならば出会って数日で聞いてもよかった内容だ、だがこの話はきっと今後大きな、大きな分岐点となる内容を孕んでいる。

 エルピスとしての勘ではなく、エルピスが何よりも頼りにしている六神の称号がそれを感じ取っているのだ。


「僕の過去か。良いけれど、そんなに面白い話じゃないと思うよ、それでも良いの?」

「ニルの事を知るための話だ、俺は聞きたい」

「──そっか。分かった、この話を聞いてどう思うかは君次第だ、君がその行く末を決めて欲しい」


 身体はエルピスに倒れ込んだまま、だがエルピスの服の裾を掴む手の力は強くなり、ニルは泣きそうな声で話を始める。


「僕は無の空間で生まれた神だ。神としての性質も無く、名もなく、力も無く。きっと誰かの願いから産まれた思いの結晶体、それが僕だった。

 神代を築いた神々は基本的に創生神か破壊神が生み出した、役割と力を持つ神だ。

もちろんそれ以前に生まれた神──姉さんなんかがそうだね──も居るけれど、そんな一握りの神を除けば殆どの野良の神は戦争に参加するか意味もなく消えていくかの二つしか選べなかった。

だから僕は戦争に参加して、力を手に入れようと必死にもがいた。

 もがいて、足掻いて、どれくらいの間戦ったかもわからないし、どれくらいの間そうしていたのかももう今となっては忘れてしまったけれど、銀河の果て宇宙の果て、それすら飛び越えて宇宙の外で僕はとある神と出会ったんだ」


 出生が特殊であるということは知っていた。

 セラとは違った方法で生まれたと言うこともなんと無くは耳にしている。


 誰かの願いから生まれたニルという存在、なら彼女は誰かの愛情から生まれたのだろうか。

 もしくはもっと別の──


「その神は僕が初めて会った神だった。誰よりも強く、誰よりも気高く、誰よりも知恵を持ち、誰よりも優しく、そして誰よりも愛おしかった。

 感情なんてなかった僕の心に感情を芽吹かせたのは彼だ」


 神には感情が存在しない。

 いつかそんな事をロームが言っていたような気もする。


 永遠の時を生きる神にとって感情とはむしろ自我を崩壊させかねない危険なもので、もちろんそれに近いものはあるが感情と断言できるほどのものでもないらしい。

 そんな神が人に変わるとも言える感情の芽生えを創生神はさせたという。


「そしてその感情がなんなのか分からなかった僕は彼を傷つけることに──そう。

なんというか……快感を覚える様になっていった」

「──え?」

「そうなるよね、無理はないよ。でもさ、考えて欲しいんだエルピス。

小さい子供が好きな子に悪戯をする様に、助けようと思った小さな生き物をその手で殺めてしまう様に、きっと愛情って過ぎれば殺意に変わるんだよ。

 誰も彼を傷つけてはいけない、誰も彼を貶めてはいけない。

だけれど僕だけは傷つけることが出来る、僕だけは彼を死ぬ一歩手前まで追い詰めてあげる事ができる。

 逆もまた然りさ、痛みという最も原始的で全ての生物が感じる根源的な物を独占する。

それってきっとその個人の感情を全て独占するよりもすごいことなんだと思うんだ、だってそれってその生物の生物たりえる根源を掌握したってことなんだよ? 

たとえその人が自分を好いていようといまいと関係ない、たったそれを掌握しただけでその人は自分のものだ」


 狂っているとしか言いようがない。

 痛みで他者を支配したとして、帰ってくるのは愛情では無く恐怖と憎悪のみである。

 だが全ての感情を許され、それでいてなを自らに愛を叫び続ける歪なそれを人は愛せるのだろうか。


 初めて会った時にこの側面を見てしまっていたならきっとエルピスは恐怖で引き返したのだろうが、エルピスももはや壊れてしまっている身なのだろう。


 彼女の言葉を聞いても思うところはあれど離れるという発想は浮かばず、故にニルも止まる事を知らず話を進める。


「だから僕は数多の戦場で君と戦った。

最初は全く敵わなかったけれど、いつしか君は徐々に僕だけを見つめる様になり、そして最後には君の瞳に僕だけが宿った。

 君と戦っていたかっただけで、もちろん邪神側なんかじゃあなかったし、なんなら君を傷つけるあいつを一番恨んでいると言っても良い。

戦神としての性質もそこで身につけた」

「随分と……なんて言ったら良いのかな、ごめん正確な言葉が見つからなくて」

「……良いよ、昔の話をしているだけだから。他に何か聞きたい事は?」

「この世界にはどうやって来たの? あのダンジョンを作ったのはニル?」


 エルピスの質問に対してニルは少し戸惑った様な顔を見せる。

 エルピスに対してニルがそんな顔を見せるのは実に初めての事だ、いつもならば笑顔か呆れ顔、そうでなくとも初めてその表情をエルピスは彼女にみた。

 彼女が一瞬言って良いのかを躊躇う様な内容は、果たしていったいどの様なものなのだろうか。


「答えたくないなら別に──」

「──あの迷宮を作ったのはきっと創生神。僕はあの場所に行けって言われていた、僕があの場所にいるのを求めたのは彼だ。

だから僕は君が創生神だと気がつけた、来る前からね」

「でもそれだと話がおかしく……」


 創生神はこの世界に来る予定など無かったはずだ。

 彼の口振りが正しければ偶然、たまたまこの世界に来てしまったというのが正しかったはずである。


 だというのにニルをこの世界に用意し、あろう事か下手をすれば国の一つすら滅びかねない迷宮を設置する意図とは一体なんだったのだろうか。


 しかもニルの口振りからすればきっとエルピスが来ることも織り込み済みだったはずだ、いよいよ彼の手のひらの感触を足元に感じ、エルピスは背中を冷たいものが流れていく感覚に溺れる。


「彼が一体何を考えてるのかもう僕には分からないよ……分からないんだ……何も」


 セラとは違った苦難をニルはきっと胸に秘めていると思っていたが、話を聞いてエルピスはその事実を隠していたことに驚く。

 彼女からしてみればいままでエルピスを騙していた様なものだ、だが創生神という自分が愛した者の手前聞かれない限りはたとえ誰であろうともその事実をひた隠しにしておく必要があった。


 その苦痛は狂愛を持ったニルにしか分からない事だろう。


「ねぇエルピス、君は僕を置いていかないよね? 君は僕に嘘をつかないよね」


 瞳を濡らす涙はきっとニルの心からのものだろう。

 裏切られたわけではないが、話もされずに置いていかれたのがニルにとっては何よりも辛かったのだ。


「もちろん。ずっとニルの隣にいるよ」

「……うん。ありがとう」


 エルピスの言葉に安心したのかニルはそういうとエルピスの肩に頭をのせて遠くを眺め始める。

 二人の間に静かな時間が経過していく中でエルピスが考えていたのは、創生神の本当にやりたかったことだ。


 彼の口ぶりは飄々としており、あの会話の中には本当も嘘も織り交ぜられていただろうがエルピスが傷けられる程度の本当も嘘に隠れて存在したはずである。

 結婚がどうのは本気だっただろう、嘘をついても意味はないしそれに彼女を傷つけるような事を口にするとは思えない。

 この世界のどこかでいまも何かを画策しているであろう創生神を思い、エルピスはほっと息を吐き出すのだった。

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