第153話神官

 少し昔にも話に出た通り、王国は偶像崇拝を国の宗教とする神が存在するこの世界において異質な国である。

 その理由は初代建国者しか知り得ないことではあるが、王国という国ができていらい長き年月にわたって偶像崇拝は続いてきた。

 最初の頃は邪教だとして国によっては敵とすらみなされていた宗教だが、偶像崇拝とはいえ王国民自体がそもそも神は万物に宿るものという精神の持ち主が多く、複数の宗教の教えに従う人物がいた事もあって他国の宗教と混ざり合い昨今では他の宗教と同列に扱われている。

 とはいえ拝む為の神がいないこの国の宗教はやはり周辺国からしても異質で、かつて教会においてエルピスが出会った法皇の娘が王国にいた理由は偶像崇拝という考えに触れるためでもあるといえばその特異性も分かりやすいだろう。

 さてそんな実在の神ではなく己の内に住む神に対して祈りを捧げる国民達の前に、本物の神が現れた場合どうなるだろうか。

 様々な可能性が考えられるが一番起こり得ることはグロリアスにとって一番起こって欲しくないことでもある。


「エルピスさん、本気ですよね?」


 目の前にいる神を名乗った男の目を見据えながら、王は冷静にその言葉の真偽を確認する。

 嘘であれば不敬だと捉えることは出来るがグロリアスが冗談で流せば済む話、グロリアスとエルピスの関係性を考えればそれくらいの冗談は許容範囲の内だ。

 ではもしこれが冗談ではなく事実であった場合。

 そこまで考えようとしたグロリアスの前でエルピスが静かに頭を縦に振る、冗談だと言って欲しかった気持ちからか一瞬エルピスから視線を逸らしたグロリアスだが、即座にエルピスに向き直る。


「神の種類がいかんにしろ、その事実は絶対に漏らしてはいけません。とりあえず確認です、王国関係者では僕以外はこの事実を知らないという認識でいいんですよね?」

「ああそれで構わない。この話を知っているのはうちの執事が一人、セラとニル、旅先で召喚した悪魔に鍛治神と海神、あと今回一緒にやってきた仙桜種のレネスだけだ」


 不安の種が一つ潰えたことを確認し、グロリアスはほっと胸を撫で下ろす。

 自分にこうして話しかけてきている時点で知っているに人物が他にいるとは思っていなかったが、万が一ということある。

 現在一つになってまとまっている王国の勢力図が変わるのは、恩人であるエルピスの行為であってもけして許容できることではない。


(一先ず当面の危機はこれで回避できたかな)


 そうグロリアスが思ってしまうのも仕方のない事だろう。

 神話においては神の尖兵として登場し、実際に人類生存圏内においては数十年に一度程度の頻度でしか見られていない仙桜種が話に出て来たことで、エルピスの話の信憑性もかなり高まった。

 グロリアスも彼等仙桜種については文献程度で知り得る情報しか持っていないが、彼等が付き従うのは自信より強い相手のみ、そして生まれたての神すら堕とせる仙桜種を倒せたのであればその言葉を信じざる終えなかった。

 考えることの多さに頭が糖分を求めるが、近くにそんなものはないのでどさりと身を投げ出すようにして椅子に座ると、ぼうっと上を眺めながらグロリアスは今後の立ち振る舞いについて少しずつ計画を立てていく。

 だがそれよりも先にグロリアスが気になったことが一つあった。


「なんでこのタイミングなんですか? 言う機会はいくらでもあったでしょうに」

「神の性質について少し実験したいことがあったからさ。セラの弟の話によるとこの世界の神は知名度によって少々の恩恵があるらしくてね、対象の数か質次第でそれなりの強化が見込めるらしいからそれのため」

「なるほど、たしかに戦力増強は大切ですからね」


 実際このところはエルピスが言っていることは確信をついているわけではない。

 もちろんそれは重要なことであるし、エルピスも四割ほどはそれが理由でもある

 だが一番の理由とも言えるのは、神の神罰に対する具体的な対策をいくつか見つけることができたからだ。

 いままではエルピスのことを知っているメンバーの数が多ければ多いほどに死者の数が増える可能性があったが、今となってはその危険性はほとんど抑えられていると言っても過言ではない。

 ならば隠し事をするべきではない相手には伝えてしまったほうがエルピスも気分が楽だ。


「それで言ったは良いがどうする? 俺としてはもうこの話終わりでも良いんだが」

「そうも行かないですよ、事実を知ってしまった以上は対処を開始しないといけませんから。とりあえずこの話を言っても良い人たちの選別からですね、エルピスさんは誰に話したいとかありますか?」

「誰に話したいか……アウローラとエラかな。あと両親それに執事やメイド達」


 少しだけ考える動作をとったエルピスが口にしたのは、いままで話したかったが話せなかった人物達だ。

 端的に言ってしまえばタイミングが無くて伝え忘れただけなのだが、会える機会があるならば早々に言ってしまいたい相手でもある。


「その四名ならば特に問題は無さそうですがメイドや執事の方は厳選して口が本当に硬いものだけにしてください。

王国側で言っても良いのは王族、アルさんマギアさんくらいのものですかね。イリアには今から言いに行ってもらっても良いですか? 多分怒られると思いますが我慢してくださいね」

「気分乗らないけど仕方ないか……宗教関係はあんまり関わりたくなかったんだけどな」

「神様が一番乗り気になるべき部分だと思うんですがね、そう言えばエルピスさんは何を司る神なんですか?」

「聞いて驚くなよ?」

「もう驚きませんよ、いま一生分驚いたので」


 胸を軽く叩きながら自信満々にそう言うグロリアスに対して、エルピスはにやりと悪そうな笑みを見せながら事実だけを口にする。


「龍神で魔神で妖精神で鍛治神で盗神で邪神、六つの神の称号と後ついでに勇者の証も持ってる」

「はいはいなるほどなるほど……ちょっと待ってくださいね意味がわからないんですが」

「神の称号六つあるのも意味わからないですけどなんで勇者の称号あるんですか?」

「なんか転生したついでに手に入れた」


 改めて自分で自分の能力を口に出してみると、自分の能力がいかにおかしいものなのかはっきり分かるものである。

 これだけの能力があって数回負けているのに若干ながら羞恥の感情があるが、そんな事は気にせずグロリアスもの疑問に対して聞かれたことを答えていく。

 これ以上何か自分が隠していた事は無かったかと思い出してみるが、普段から隠している事は思い出すのにも時間がかかる。

 とりあえずこの後あるであろうイリアの反応が気になるところではあるが。


「そんな適当な感じで手に入るもんなんですね……そうなると神印しんいんもかなりの種類がありますけどどうなるんですかね」

「グロリアス、神印ってなに?」

「嘘でしょ神ですよねエルピスさん? 本当に神なんですよね?」

「圧がすごい……神だけど神らしい事してないから神が使うものとか知らないし」


 神印とは神が他種族との契約の際に持ち出す、その神が約束したことを示す為のものである。

 絶大なまでの力を持つ神相手には、通常の交渉だと信頼関係を結ぶには少々足りない。

 ようするに神印とは神より弱いもの達に対して、神の側から契約を行う際に必要なものだと言う事だ。

 上位者が謙って契約をする事など殆どないし、神に至っては前例すらないそれをグロリアスが求めるのは神印をなぞった紋章が国同士の取引の際に扱われるからだ。

 神印にその国特有の物を混ぜ王印として扱う文化がこの世界には存在し、王印によってその国が信仰している神がなんなのかを知ることもできる。

 非常に珍しいことではあるが一部の代替わりを行う神の場合神印が変わるが、そうでない場合の方が多いので王印も長らく昔からのままである国が多い。


「確か図書館にそれ関連の本があるので調べてきてくださいね?」

「任せろ、本を読むのは得意だからね」

「なら良かったです。そう言えばマギアさんから話がありましてーー」


 /


 グロリアスとの会話を終えたエルピスがやってきたのは、神話系を扱っている王国立図書館。

 王国立図書館の多くは貴族などの上流階級しか立ちいることが許されていない場所が存在するのだが、いまエルピスがいるのはそんな限られた人物達しか入れない空間のさらに限られた人物しか入れない個室だ。

 神印などについての調べ物をする分については別に人の前でやったところでなんの問題もないのだが、これから話をする相手が相手なだけに警戒するに越したことはない。

 部屋の中央にある円卓の机に置かれたいくつかの本を手に取っていると、こちらに向かって歩いてくる見知った気配が感じ取れる。


「エルピスさん入りますよ?」

「どうぞ、空いてます」


 本当ならばエルピスが立ち上がって扉を開け、にこやかな笑みを浮かべながら世間話でもしてやってきた人物に席を進めるべきことである。

 だが先程のグロリアス同様にいまは神と人間だ、敬語を止めるのはさすがに違和感があるのでいますぐには無理だがそれくらいの事は分けて考えないといけない気もする。

 部屋に来た声の主もそれについて違和感を感じていたのか、久々に見るその顔を不思議そうにしながら部屋に入って来るとエルピスの体面に座った。


「よく来てくれましたねイリアさん、忙しい中わざわざありがとうございます」

「いえいえこれくらいのことならばいつでもかまいませんよ、それで本日はどういった御用でしょうか? 先程廊下ですれ違った兄さんが焦った表情を浮かべながらとりあえずここに行けと言われたのですが」


 椅子に腰をかけながらイリアは、エルピスがなんのようで自分を呼び出したのかを考える。

 一番最初に思い当たる理由は月並みであるが告白だろうか、図書館で告白というのも悪くはない。

 他には何か神話関係で分からないことがあったりだろうか、目の前にいる青年はどうやってか神との繋がりを手に入れたらしい。

 その神についてか他の神についてか、神についてならばこの国ではイリアに聞くのは間違った判断ではない。

 おおよその目安をつけたイリアは、それに対しての返答を考えておく。


「単刀直入に言いますよ?」

「はい、どうぞ」

「僕は六つの神の称号を持つ正真正銘の神です」

「ーーなるほど? なるほどなるほど……えぇ?」


 予想の斜め上どころか頭上すら大幅に超えていくエルピスの言葉に、イリアは一瞬頭が真っ白になってしまう。

 神を自称するのはこの世界において大罪だ。

 一般人相手でも迫害は避けられないだろうし、ましてやこの国で最も神に仕えていると言っていいイリアの目の前でそんな事を言ってしまえば、殺されても文句は言えない…は言い過ぎにしても半殺しにされてもおかしくない。

 だがイリアを見つめるエルピスの目は真剣そのものであり、イリアも先程の兄の様子を思い出せば確かにあれだけ焦るのも仕方がない事だと思う。


「思っていたより驚かないですね?」

「驚いてますよ多分人生で一番。ただ冷静ではありますがね、あと敬語やめてください。その話が本当ならば私は口を開くことすら本当はしてはいけないんですから」


 神との直接的な会話を許される人間は存在しない。

 学園においてルミナに他の生徒が話しかけることができていたのも、神本人ではなく神の娘だからだ。

 それでも大国の王でなければ話しかけることができないほど、人は神を神聖視している。

 かつて絶滅の危機に瀕していた人類を救ったのが神だからであり、その場所である法国が現在首都を置く場所は全ての国が不可侵条約を結ぶほどだ。

 話はそれたがそんな神に対してイリアが言えることなど何もない、せいぜい言うのならばもっと早く言ってほしかったと言うだけだ。


「そんな悲しいこと言うのはやめてくださいよ、神だからと言って何も変わりませんから」

「いいえ、変わります。エルピス様もそれを分かっているから渋っていらしたんですよね? 自らが神であると伝えてしまった以上は関係は変わってしまうと」


 歩み寄るエルピスに対してイリアは冷たく突き放す。

 個人としてはエルピスの言う通りいままでと同じように接するのは簡単な話だ、だがいまイリアはこの国の宗教を守る存在として生きている。

 たとえエルピスが何を言おうとも、神と人との境界線を人であるイリアが破るわけにはいかないのだ。

 だがイリアが破っていけないのならば向こうから破らせればいい。

 神が行うことに誰が文句をつけられると言うのか。


「まぁ敬語を使わなくてもいい制度は一応有りますがね?」


 イリアの一言で表情を明るくするエルピスに対し、イリアはその顔色を変えずに席を立ち円卓を回りながらエルピスの元へと近づいていく。

 ちょうど先程のグロリアスの時とは反対、エルピスが攻められていると言ってもいいその姿勢のまま見下ろした姿勢でイリアは言葉を発する。


「私を巫女にしてください。神に使える信者ではなく、神の声を代弁する巫女に。一人の神につき一人しかなれない巫女にしてくだされば良いのです」


 全てはイリアの手のひらだ。

 彼女がエルピスが発した言葉に対して数瞬の間を置いたのは、いかに違和感なくエルピスにこの契約書にサインさせるか考えさせていたからである。

 過去に対する固執とありもしない権威に塗り固められ、欲が渦巻く教会内部を若干17にして完璧にまとめ上げた彼女の頭脳は、こと交渉術という点においては歴代随一と呼ばれるグロリアスすらも凌ぐ。

 神を崇め欲を消し去る事を口にする彼女だが、その実彼女自身は傲慢そのものである。

 自らが一度好んだ相手を逃すほど、ましてや一度逃げたのに手のひらに戻ってきた哀れな蝶を取り逃してしまうほどイリアは甘くはない。

 その点イリアにとってここは都合のいい場所とも言える、邪魔が入らず会話も聞かれず、契約さえ終えてしまえば後から変える事は誰にだって出来はしないのだから。


「さぁ契約を結びましょう? 今後の国の発展のために、兄さんの為に。そして私達の為に」

「ーーーーよっと。エルピス、終わったよ僕の方。もう疲れちゃった」

「びっくりしたお疲れ様ニル、って痛い痛い! 抱きつくのはいいけど力が凄い!!」


 行き着く間も無く責め立てようとしていたイリアの思惑を壊すようして円卓の上に現れたのは、確かエルピスの近くにいた獣人の娘、名前は…ニルだったか。

 直接的な面識は余りないものの、亜人種からの国土防衛戦においては超一級の活躍をした人物でもある。

 エルピスとイリアの間にニルの顔があるのでエルピスからその表情は見えていないのだろうが、身体自体は幸せそうな雰囲気を出しているのにイリアを見るその目つきは怒りに狂う獣のそれだ。

 バレないように気づかれないように、ゆっくりとじっくりと行ってきたというのに感の良い獣にはそれも無意味だったらしい。


「ごめんごめん。ーーさて、随分とうちの子と仲良くしてくれたみたいじゃないか、ありがとう。もう後は僕がやっておくから君は居なくても大丈夫だよ」

「突然現れて随分な言いようですね。男女が二人で話し合っている最中に割り込むのは、人間ならばしてはいけない行為です。人の常識くらい身につけてきては?」

「ははっ面白いね、僕に喧嘩売ってるの?」

「解釈の仕様はどうにでも。ただ私が巫女にならなければ、エルピスさんがこの国で神として活動する事はできません。貴方もそれくらい分かっているのでしょう?」


 人を超えた獣は知性を持つことが多い。

 神にすら近い獣ならばその知能は尋常では無いはず、その読みが無事的中しニルはその綺麗な顔を忌々しそうに歪める。

 いまここでイリアが巫女にならなければ、宗教は二分化されこの国は中で割れるだろう。

 神の獣であるニルになんの関係もない話だが、仕えている相手である神はそれを絶対に望まない。

 ならばニルが取れる行動など限られている、イリアは出来る事をするようにするだけだ。


「まぁエルピスも同意していたようだし、その席だけで甘んじるなら僕もまぁ……許してあげるよ。ただもしそれ以上を望むのならば」

「望むのならば……?」

「この僕に殺されないように気をつけるんだね」


 狂愛を司る彼女の言葉に嘘はない。

 張り裂けんばかりに内側からその身を突き刺す思いをニルが表面に貼り付けた笑顔で守れているのは、それがエルピスの利益になる行為だと頭で理解できているからである。

 愛するものに一席しか設けられていない椅子、例えそこが恋人や妻でなくとも狂愛であるニルからすれば喉から手が出るほどにほしい。

 どんな形であれその個人に対して唯一無二の存在になれるというのは十分に魅力的なものである。


「俺の知らないところで話がどんどん進んでいくんだけど」

「世の中そんなもんだよエルピス」

「ではニルさん、貴方とも契約を結びましょう。神の名に誓って」

「最後の最後まで僕を逆撫でするね、まぁ良いやそれじゃあそうしよう」


 どの神に誓ったにしろ神官が神に祈ったならばそれは絶対だ。

 一人何も分からず置いてけぼりされているエルピスを除いて、女二人の縄張り争いはひとまずこれにて幕を下ろしたのであった。

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