第87話洗脳

「ええ~っと、ここら辺に居るはずなんだけど──っな」


 壊れかけた一つの建造物に目を付け、エルピスは建物の中へと足を進めていく。

 先程の戦闘の余波をもろに受けたのか、取り付けられたガラスは全て砕け、木材で出来て居たものは温度によってか変質して居た。


 恐らく金銭を交換して居たであろうカウンターには、溶けた金貨がべったりと張り付き、その奥にある仕切りは無惨にも焼け爛れている。

 エルピスはそれを気にする事なく邪魔なものを退けながら、仕切りの奥へと入っていく。


 雑多に置かれた荷物の下にある地下空間を、まるで知って居たかの如く進んでいくと、1つの牢屋の前で立ち止まった。


「ごめんね遅れて。大丈夫だった? ……エラ?」


 捕らえられているエラに対して、エルピスは疑惑の声を出す。

 何故なら彼女が普段エルピスに向けているのは、尊敬と忠義、そこに愛がこもった思春期の女の子らしい目線なのに、今はまるで周囲の闇の様に濁りきり、そこにエルピスの姿は写って居なかった。


 一目見れば分かる、精神汚染系魔法だ。


 確かに防壁には精神防御系魔法用の物を貼っていなかった、その点に関しては自分の落ち度だったと反省しエルピスはエラに魔法をかけようと近づく。


「精神系魔法か。待ってろ、いま助ける」

「結構です」


 召喚した悪魔達の魔力回路を横から無理やり拝借し、エラに対して回復魔法をかけ様とするがそれはエラ本人の手によって拒否される。


 拒否された当人のエルピスはと言われれば、普段なら絶対に無かったエラの拒否に目を丸くし、何を言われたのか分からないと言う顔をして居た。


 そんなエルピスに対してエラは溜息を吐きながら、強めの口調で告げる。


「帰ってください。もう貴方の顔も見たくありません」


 はっきり言って胸が痛い。

 魔法の影響だとは分かっていても、こうも面と向かって言われると魔法発動に影響が出るほど心がぶれる。


 魔神なのに魔法が使用できないなどとんだ笑いものではあるが、それほどまでに衝撃的だったのだ。


「ちょっ、ちょっと待って、心にダメージがすっごい入ってる。死んじゃう」

「どうでもいいです、良いから私の視認できる範囲から消えて下さい」


 突如エラから告げられた鋭い言葉にエルピスは目を丸くしながら、黙ってエラの居る牢屋から退出する。

 そう言ってもエラを助ける為だけに態々ここまで来たのに、本人に断られたからはいそうですかで帰れるほど、今回の作戦にかかって居る責任も迷惑も軽い物では無い。


 魔法をかけて直せばすぐ終わるが、セラが来るまでそれは出来なさそうだ。

 何故か? 涙目になるくらいエルピスの心にダメージが入ってるからだ。


 精神魔法は一応悩みさえ無くせば鎮静化するので、魔法ではなく言葉でエラの症状を治してみようとエルピスは頭を動かす。


(俺が何かをしたせいで怒ってるのを引きずってる? それとも何かされたから? 長いことこんな所に居て気が立っているのか?)


 様々な思考が頭の中で浮かんでは消えていくが、それら全てが直感的に何か違うと察知して、エルピスは更に頭を抱える。

 ──エルピスがエラから出て行けと言われて早数十分。


 牢屋近くの壁に寄りかかっているエルピスの耳に、小さな呟きが聞こえる。


「この魔法……最低。もうどんな顔をしてエルピスと会えばいいの」


 牢屋の奥から聞こえてくるすすり泣くように聞こえてくる声は、間違いなく先程までエルピスが喋って居たエラの物だ。

 どうやらエラに対してかかっている魔法は、エルピスにだけ作用するものの様だ。


 状態異常に強い混霊種にかけるにはそれが限界だったのだろう、だがそれでもエラの心を傷付けるのには十分だった。

 だからエルピスはそんなエラに優しくしてあげようと足を踏み出そうとして──だが踏み出した足は無残にも空を切った。


「あのさぁ、いくらなんでも邪魔が多い。お前は誰だ?」

「これはこれは。申し遅れました。私伊藤啓太いとうけいたと申します。よろしくお願いしますね」

「どこかで見たことあると思えば、久しぶりだね」


 足を踏み出した瞬間に突然変わった辺りに動揺する様子も無く、エルピスはゆっくりと抜刀しながら言葉を吐く。

 先程まで戦っていた空はいい、性格はアレだったがタイミング的には問題ないしそれに控え室で魔法を打ってきた因縁もある。


 だがなんだ目の前の男は、どこからともなく現れたと思えば一番いいところで邪魔をしてくる。

 何をのこのこと横からしゃしゃり出てきて強者の様な雰囲気だけを纏っているのだ、ふざけるのも大概にしてほしい。

 そんなエルピスの姿を見て異世界人であり同級生でもあったは、嬉しそうな声を上げながらエルピスに問いかけた。


「おやおやおやおや? この場を見ても驚かず、いきなりこの場に来ても驚かず。

 メイドに嫌われても驚かず、これはかなり面白い性格をしたお客人だ。

 それに私のことを知っているようで」

「何がだよ、その人形を見て恐怖を感じろと? 無茶は言わないでほしいんだけど」

「そうですか? 自信作でしたのですがね。ならこれはどうでしょう?」


 そう言いながらまるで演者の様な仕草を博文がすると、それに合わせて辺りを包んで居た暗闇がライトによってかき消される。

 そうしてエルピスの目の前に一つの家が現れた。


 それは一言で言い表すならば、人形の家ドールハウスと言うのが正しだろう。

 実際の家と比較しても遜色ない大きさのこの家を、人形の家ドールハウスだと言えるのは、窓からこちらを見る数体の人形が居るからだ。


 人形は身長性別共にそれぞれバラバラで、服装も違うがその人形は何処か全員似通った造形をして居た。

 それをエルピスが見て居たことに気付いたのか、啓太は楽しそうな声を上げ視線の先にあるものに対して答える。


「これは僕の家族さ、良く出来てるだろう? 作るのに何十時間もかかっちゃったんだァ。

 まぁ素材に使える機聖種マキナが沢山手に入ってからは、作業が捗ったけどねぇ」


 そう言いながら啓太は、何処からか頭と身体が分離した機聖種マキナを取り出し、まるでゴミの様に投げ捨てる。

 その顔からは過去の面影など一切無く、狂っているという言葉しか出てこない。


(正気を失っている…か、まぁこの世界日本の感性で暮らしてたら頭狂うのも仕方ないし。

 せめて俺の手で送ってやろう)


 殺すための覚悟を決めて足を踏み出したエルピスを、啓太は手で静止する。


「く、来るなア!! そ、それ以上こっちに来るなら、それ相応の対応を取らせて貰う!」


 いきなり雰囲気が変わった啓太に、エルピスは拍子抜けして攻める気力を失う。

 気配からして精神系魔法の気配がするのであのしょうもない魔法をエラにかけたのはこいつで確定なのだが、それにしても先程から仕草といい雰囲気といい喋り方といい全てにおいて一貫性がない。

 まるで多重人格者の様だ。


「別人格か? それともその喋り方がお前の素なのか……どちらにしろ、楽にしてやった方が良さそうだな」

「超えたなぁ! 超えたなぁ!! 俺の怒りのラインを超えたなぁ!!」


 見えもしないラインに越えるも何も無いだろう……そう言いだしそうになる口を閉じ、エルピスは黙って魔力を解放する。

 その影響で身体が悲鳴を上げるが、先程の空との戦闘に比べれば屁でもない。


 脇腹から滲み出す血を手で押さえながら、エルピスは油断なく右手に聖剣を握りしめる。

 それに合わせて、啓太も何も無いところでまるでもがく様に手を必死に動かす。


 なにをしているんだ? そう言おうとした瞬間に頭上に何かを感じ、エルピスは黙って半歩後ろに引く。


「おっと。まさか機聖種マキナを使って攻撃して来るとはな。それも五体とは大盤振る舞いだな」

「ちょこまかちょこまか逃げやがって! 早くミンチになりやがれ!!」

「当たらない当たらない」


 いきなり頭上に現れた機聖種マキナからの攻撃を紙一重で躱しながら、エルピスは徐々に啓太との距離を詰めていく。


 確かに一対五という状況を作り出した手腕は見事だと思うし、相手の不安感を煽り判断力を鈍らせる作戦は凄いと思う。

 だが甘い。

 これならばまだ外で戦った雑多な雑魚どもの方が脅威だった。


機聖種マキナの力をまったくもって使えて居ないな。これなら緑鬼種ゴブリンの方がいくらか強い」

「な!? 機聖種マキナを一撃で全て倒したーー!?」


 エルピスが無造作に聖剣を振るうと、それだけで機聖種は全て両断され活動を強制的に停止させられる。


 そもそも機聖種マキナと言うのは、敵と戦った経験やその時の自身の負傷状態を自己計算し、それに対抗する策やそれに必要な素材などを自ら調達し、強化する言わば科学の最終進化形態だ。


 戦闘中にも相手を遥かに上回る速度で学習していく彼らを5人も相手取れば、今の負傷している状態なら致命傷とまでも言わずとも少なくないダメージを負わせる事が出来ただろう。


 だが頭部と体を分離させ、なおかつ素材をいくつも抜き取ったせいで、機聖種マキナとしての全ての機能が停止していた。

 ただの道具が沢山入った人形程度ならば、敵を、ましてやエルピスを倒せるわけもない。


「なんでだよ! なんで死なないんだよ!!」

「お前の攻撃は全て軽いんだよ、空の方がまだ重さがあった。

 この世界で他人を蹴落とす事を諦めて中途半端に生きてきた奴に負ける訳がない」

「いやだいやだ!」

「駄々をこねるな、痛くはしない」

「いや──っ」


 捕まったにも関わらず暴れる啓太の首元に、エルピスは躊躇いなく剣を振り下ろす。

 肉を切る嫌な感触と共に啓太の頭が地面に転がり落ち、切断面からは絶えず血が流れ出ていく。


 いつまでも見ていてはさすがにエルピスも精神が持たないので、とっとと火葬してからエラの所に戻る。

 まだ落ち込むエラの声が牢屋の奥から聞こえ、エルピスは今度こそはと牢屋の中に足を運ぶ。


「ごめんなエラ、状況は分かってる。口がダメならアイコンタクトとかで会話できない? 昔練習したよね?」

「うるさい、そんなの覚えてない! とっととどっか行って!」

「もしかして体の制御も効かないのか? うーん、困ったなぁ」

「頭叩けば帰ってくれるの? 叩かないと分からないの? この帰ってほしいって気持ち」

「いやさすがにエラの事叩くのはちょっと…。呪いの嫌なとこは術者倒しても残るところだな」


 なんとなく言いたいことは呪いで無理やり変更されていても分かるが、それでどうこうなる話でもない。

 思っていたより事態は深刻な様だ、エルピスが解呪するよりもセラにしてもらった方が確実だろう。


 そう判断しエラのいる牢屋に入り、エルピスはエラの横で背を壁に預けて眠ろうとする。


「こんなところで寝ないで、早く帰って」

「ベッドで寝たいのは山々なんだけど、今の俺じゃエラのこと直せそうにないしね。

 障壁は…まだまだ大丈夫だね、表面の数枚ちょっと傷ついてるくらいか」


 エラに現在かけられている障壁の枚数は数にして五桁を超える。

 その内の数枚しか割れていないあたりやはり神の権能の力はエルピスの想像さえも超えるなと再認識し、それと同時にこれならここが吹き飛ばされる様なことがあったとしても無傷で済むだろうと安心した。


「セラが来るまでちょっと寝させてもらうよ」

「やめて」

「ははははっ、なんか面白いな。後でセラの前でもそんな感じで喋ってよ。

 ツンデレなエラってなんか新鮮だ──って痛い痛い! それまじの平手じゃん!?」


 頭を手でペチペチされながら、エルピスは疲れてほとんど動かない身体を労わる様にそのまま横になる。

 こんなところで眠るつもりはなかったが仕方ない。


 堪え難いほどの眠気と虚脱感に襲われたエルピスは、こちらに向かってくるセラの気配を感じながら今回の件が無事に終わって良かったと心から思うのだった。

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