第84話戦闘前

 暗い暗い部屋の片隅に、彼女はまるでボロ雑巾の様に投げ捨てられている。

 少女の身体には目立った外傷は見られないが服は泥で酷く汚れ、おそらくはサラサラだったであろう髪もひどく痛んでいるように見えた。


 だがそんな少女を見ても周りの人間は足を止める事もせず、また見向きすらしない。

 何故なら此処が奴隷市場だからだ。


 それも四大国の丁度中間地点という奇異な場所だからこそ実現している、完全非合法の裏の奴隷市。

 またここは四大国合意のもと作られた、奴隷に適用される4つのルールが全て無視される暗黙の地でもある。


 ここでは娼婦落ちから没落貴族。

 失権した王族や故郷から連れ去られた亜人種まで、多種多様な奴隷が日々売られ、そして更なる闇へと消えて行く。


 そんな闇より深い闇にいる彼女──エラがここに居る理由は、殺し屋達が主人を殺す為の囮役としてだ。


「いやぁ本当君の主人は怖かったよ、まぁもう終わった話だけど」

「どう…いう……事ですっ!」

「おっ? その傷で良く起き上がんねぇ。どういう事って言われてもさぁ……聞かない方が良いと思うよ?」

「良いから…ッ話しなさい!」


 闘技場にてエルピスがなんとかして貼ってくれた障壁のおかげでいまのいままでエラは無傷で生きてこれたが、食事も貰えなければ水すらも貰っていない。


 いくら混霊種が人間よりは頑丈だと言え、いまのエラにはもうまともに相手に対して吠える事すらもできなかった。

 だが目の前の男が言っている内容は例え声が潰れたとしてもエラにとっては聞いておきたい事だったのだ。


「なら言ってあげる。お前の主人、あともうちょっとで共和国盟主殺害容疑で死刑だ、お疲れ様。

 本当はあの爆発で殺すつもりだったんだけどさすがに強いね君の主人も。

 まぁ俺らも仕事なんで、怒んないでね?」


 それがもう既に確定事項であるかのように、目の前の男は笑顔を携えてそう言った。

 エルピスの知人なのか控え室で出会った際にはその顔を見て固まっていたエルピス、だがエラからすれば目の前の人物が誰なのか全く分からず、そしてその言葉の意味も理解しがたい。


 フェルが共和国の盟主を殺したという情報はアルヘオ家経由で伝え聞いていた、だがその話によると証拠も残らないほどにぐちゃぐちゃにしたので事件にはならないだろうとのことだったのだ。

 そこまで考えてエラはようやく理解する、今回の件がアウローラを襲った元共和国盟主のものによるものだと。


 あまりにも興味がなかったので聞いていなかったが、この男はそう言えば依頼がどうのと言っていた、その線で間違い無いだろう。


「ああなんだ……っそんな事ですか。せいぜい頑張ってください」


 なんとなくだがこちらに向かってくるいつもの気配を感じて、エラはここに来て初めて心が落ち着いてくるのを感じる。

 彼が来たのならもう安心だ、無駄に焦る必要もない。

 鉄格子に背をかけて足をパタパタさせながら、不機嫌そうな男の顔を見てエラは笑顔で鼻歌を歌うのだった。


 ●○○●


 街に降り立って早十分。

 まるで意図的に分かりづらく作られているような街並みに何度か迷いそうになりながら、エルピス達はエラの元へと向かっていた。


 この街自体連合国の領土内ではあるものの、どうやら連合国系列の国では無いらしく、その正体は四大国が集まって作り出した奴隷市だったようだ。

 こういう場所があるから王国でどれだけ奴隷制度を廃止しようとも意味がないのだが、今はエルピスからすれば関係のない話である。


 セラに道案内を頼みつつ進むと、少しして小さな通りに出た。

 どこの通路も大概同じような建築になっているが、この通路は一つだけ他と違った点がある。

 やけに大きな一番奥の建物だ。

 どうやらこれが今回の目標らしい。


 かなり大きな屋敷でどこの国でもよく見られる一般的な建築方法で建てられてはいるものの、なんとなくそこかしこに奴隷達の雰囲気が漂っている。


「あの建物か。セラ、周辺の奴らは居なくなった?」

「ええ。しかし奴隷は牢屋や鉄格子などに入れられて居るから、エルピスの威圧に怯えて脱出して居るのは少数だけれも」

「そっか。魔法を使ってすぐで悪いけど、〈悪魔召喚〉と〈天使召喚〉代わりに起動してくれない?」

「分かったわ、任せて」


 この街に入ってすぐに精神系統に作用する魔法をセラに使用してもらっていたので周りに人影はなく、残った人間を救出する為にもエルピスはセラに自身の代わりに〈技能〉を使用してもらう。


 セラがそれを了承し、両手を空に掲げながらおもむろに技能を発動すると、セラの手の先に魔法陣が現れそれは段階に分かれながら肥大化し、徐々に範囲を広げていく。

 そして魔法陣が空を覆わんばかりのサイズになった頃、現れるのは500の悪魔と天使達。


 スキルの構成などはかなり昔に見ただけなのでなんとも言えないが、目の前の悪魔や天使達からは平均して特異級ユニークには分類されるであろう力を感じる。

 灰猫が一体一ならば普通に勝てる程度の強さ、というと分かりやすいだろうか。


 だが一部からは土地神級の気配もありどうやらフェル程では無いが、多少は使える奴が出て来たようだ。

 土地神一人で街1つ落とす事さえ可能と思えば、今の現状がいかに過剰戦力か分かるだろう。


「お呼びですか創生神様。これは──様! お久しぶりでございます」

「今の私の名前はセラ。そして創生神様の今のお名前はエルピスよ。次間違えたら……分かってるわね?」

「も、申し訳ございません!!」


 先頭に立って居た天使はどうやらセラの知り合いだったようだが、セラのあまり触れてはいけない部分に触れたようで、珍しくセラが怒りを表に出している。

 触らぬ神に祟りなしと言うし、天使はエルピスにとってはよくわからない存在だ、天使の方はセラに任せる事にする。


「邪神様。お呼びでしょうか? 我等一同どの様なお仕事でもさせていただきます」

「じゃあ最初の命令だ。周辺に居る奴隷を助けてこい。

 過去に犯罪歴が会ったり、心の中が黒い奴はそのまま置いてきて良いからね」

「了解しました!」


  エルピスが命令した事を即座に理解してそのまま飛び立って行く悪魔は、やはりこう言う事態に慣れて居るのだろう。

 天使は未だにセラのご機嫌取りしてるから、一人としてまだ仕事に取り掛かっていない。


 これは契約優先の悪魔と、関係優先の天使という種族としての性質上、仕方ない事だとは思うが。

 エルピスとしてはすぐに動いてくれる悪魔達の方が嬉しい。


「貴方達も早く行きなさい。間違っても悪魔達を殺したらダメよ?」

「はい、もちろんです!!」

「あと分かってると思うけど、悪魔達に負けるような、もっと言えば悪魔達の足を引っ張るような事があれば、どうなるか分かるわね?」

「ひっひぃぃぃ!!」

「ぐ、具体的には…」

「100年の減給100%、私との一対一、説教の三点セットよ、嫌ならとっとと行ってきなさい」


 セラにそう言われて蜘蛛の子を散らす様に飛び立って行く天使達を憐れみながらも、エルピスは全魔力を解放し油断なく身構える。

 身体中を巡る魔力は身体の隅々まで行き渡り、そしてステータスを飛躍的に向上させていく。


 技能がろくに使えない今だからこそ、こういう一見地味な行動が戦闘において有利を取りやすくなる。


「では行きましょうか。アウローラの準備も終わった様ですし」

「そうだな」


 既に街を囲う城壁の上に居るアウローラを視認してから、エルピスは建物へと向かってゆっくりと歩き出す。

 その足取りに迷いはない。

(待ってろよエラ、あと少しの辛抱だからな)


 ●○○○


「サウルさん! 敵襲です!! 奴らが乗り込んできました!!」


 執務室のドアを乱暴に開けながら飛び込んで来た配下の男を見ながら、サウルと呼ばれた金髪のエルフは待ってましたとばかりに椅子から跳ねる様にして立ち上がり、近くにあった武器を手に取る。


 本来なら執務を行うこの場所に、何故刃物があるのか。

 その問いに対して彼女が返す言葉が有るとすればただ一つ、"必要だから"だろう。

 彼女は裏切るのが好きだ。いたぶるのが好きだ。殺すのが好きだ。


 そして彼女が最も好きで好きで大好きで、その為なら家族や友達。はたまた自分すら犠牲になろうとなんとも思わないもの。

 それは復讐の色に染まり、思考すら消し去るほどの怒りに囚われた哀れな生き物を殺す事。

 それが彼女の生きる意義であり、意味だ。


 そして今日は天使と龍の子が、それ以上の怒りに染まって彼女の元にやってくる。

 残念な事に龍の子は異世界人達に取られてしまうが、天使だけでも頂けるのでも十二分に嬉しい。


 それも下級の雑魚ではなく、土地神級。もしかしたら災害級カタストロフかもしれない程の大物が、天使に最も相応しくない怒りの感情で染まっていて、しかもそれは自分を殺す為にだけわざわざ遠いところからやってくる。


 一体どんな顔で、どんな性格で、どんな声で鳴くのだろうか。

 ああ、すっごく楽しみだ、その顔が歪むのが。


「報告ありがとう。取り敢えずは貴方達で行って来なさい、あ! 殺しちゃダメよ?」

「了解しました」


 自らが殺した者達の骨を集めて作られた装備で彼女は身を包みながら、手下に足止めを命じる。


 その命令を素直に受け付け、なんの文句も言わない道具に喜びながら、彼女は外から聞こえる爆音と怒号。

 そして悲痛の叫びで彩られた人の悲鳴を聞いて、歓喜に身を震わせる。


「さて、そろそろ私も行くとしましょうか」

 

 足取り軽く部屋を出る彼女と、天使の距離は直線距離にすればそう遠くない。

 邪魔とばかりに壁を壊しながら天使の元に向かう彼女は、声高に告げる。


「ほらぁ! 私を殺しに来なさい!!」


 徐々に高揚感を増して行く彼女の身体が、戦闘までもう間も無くだと告げる。


 いつにないほどの興奮、武者震いが止まらず体の芯が熱くなっていくのを感じる。

 その感覚に浸りながら彼女は足取り軽く天使の元へと向かうのだった。

 それが自らの死地だとも知らずに。

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