第74話けじめ
「──これでラストか。アウローラ達の方は……どうやら無事みたいだな」
片手間に依頼を片付け飛龍の巣の中で軽く休憩を取っていたエルピスは、〈神域〉を使いアウローラ達の安否を確認する。
フェルが居るから余程の敵でも現れない限り何も問題はないと思うが、それでも心配になるのはアウローラ達の事を大切に思っているが故だ。
「クゥゥン……」
「大丈夫、街に手を出してない君達を攻撃する気は無いよ。ちょっとしたらどこか行くから、俺の魔力が定着するまで待っててな」
近くで不安そうな鳴き声を出す飛竜に対して、エルピスは落ち着くように頭をなでながら言う。
龍神の力に触れて萎縮していた飛竜もそれで少しは落ち着いていく。
『……何かと思ったら飛龍か、せっかく人が寝ていたと言うのに。ふぁぁぁ、ん? どこだここは? 今は何年だ?』
「久しぶりだなエキドナ、とは言っても迷宮以来だけど」
『そうなのか? 迷宮の事はよく覚えておらん、我的には島以来であるな』
「結構喋ってだんだけど。覚えてない?」
『そう言われればそんな夢を見た気もするな、名を知っているのはそれが原因か。古龍と戦ったのだったか?』
龍神の力に感化されてか、影の中からその頭だけを出してエキドナは眠そうにしてエルピスに言葉を返す。
今は飛龍の巣を住みやすくするために普段よりも強めに神としての力を使用しているので、それに当てられてか龍の鱗はいつもより輝きを増し、龍神であるエルピスのそばに常にいるからか力も増して見えた。
『それでここは?』
「王国でた時から話すと長いよ~? いろいろあったし」
『話さなくてもいい。暫く待て』
「ん? ……ああ、そういや記憶共有出来るのか」
契約した生物とその契約者は、いくつか相互にとって利益になる能力が付与される。
デメリットとして魔力量が減ったりなどいろいろあるが、それを凌駕するほどのメリットとして記憶の共有、能力の仮使用、魔力の譲渡などが挙げられる。
普段使いしないので忘れてしまっていた効果ではあるが、言われてみればそんな便利な能力もあった。
どこから記憶を覗かれているかはわからないが、とはいえ見られて困るような物は何も無いので別に問題はない。
そう思いエルピスは素直に龍との記憶共有に身を任せていると、数秒して龍はゆっくりとため息を吐く。
『破龍の息子らしいといえばらしいが。どうやら大変だったようだな』
「結構いろいろあったからな、まぁ俺が原因なのもあるにはあるが」
『そのようだな。とはいえ神の力も十分に強くなっているし、龍神としての力は着々と積んでいる様だな』
「まぁ力は強くなったけど、エキドナもそろそろちゃんと起きて作業手伝ってよ。昔は結構組み手とかやってくれたじゃん」
『いまの我は…なんと言えば良いのだろうな? まぁ冬眠のような物だと思ってくれれば良い。
なので普段通りの活動が出来ないのだよ」
「龍神の能力に感化されれば起きられる感じ?」
『起きる、と言うよりは起こされているが正しいな。
寝ているときに耳の近くで大音量で音を鳴らされるような気分だ』
なるほど確かにそう考えてみれば龍神の魔力がいきなり体の近くで吹き荒れるのだ、エキドナからすれば驚くのも無理はないだろう。
龍神の魔力は龍からすれば、筆舌に尽くしがたいほどの旨味と力を備えた最高の一品だ。
そばにいる飛龍が完全上位者であるエキドナが首を出しているのに、逃げ出しも服従もせずに動かないほどに。
身体が逃げたいと思っていようと、本能が龍神であるエルピスから離れることを拒否しているのだ。
そんな麻薬よりも中毒性のあるのが龍神の魔力であり、それが魔神の魔力によって更に強化されたエルピスの魔力は、龍種ひとって筆舌に尽くしがたい程の魅力がある。
「なるほど、冬眠はどれくらいあったら終わるの?」
『どうだろうな、十年、二十年、もっとかも知れん。
龍にとっての冬眠とは魔力の定着と増幅だ、まぁそこら辺が上手く行けばなんとかならい事は無いが?
我も魔力の定着は早くしてほしいしな、久々に街にも出たい』
ニヤリと笑みを浮かべながらエルピスにエキドナはそう言った。
エルピスの記憶を覗いている龍からすれば、本来ならば不可能である他者の魔力定着という所業をなんとか出来ることは分かっている。
ただそれがかなり難しい事であることも。
外で休んでいるセラと合同でやれば簡単なことではあるだろうが、それはなんだか負けたような気がして癪に触る。
「言うじゃないかやってやんよ。ついでに魔力の増強もやってやろうじゃん」
『言うな? 出来るのかお前に?』
「龍神と魔神の力を併せ持ってんだよ? こんくらい余裕だ!」
そう言いながらエルピスは、龍の額の契約紋に魔力を無理やり注ぎ込む。
本来なら全身に魔力伝達用の模様を描き、外殻から浸透させていくようにして体の内部を入れ替えていく方法を取る方が良いのだろうが、その方法は時間がかかる。
それにどうせやるなら最短の時間で効率よく、そして最も龍が強くなれる方法がいい。
この方法でやると多少龍に負担がかかるが、それくらいは強くなるためだ、許容してもらおう。
一度エキドナの魔力を全て抜き取り、それをエルピスの魔力と混ぜながらエキドナの中へとゆっくり戻していく。
他人の魔力を使用して冬眠を無理やり終わらせることは難しいが、エルピス自身の魔力を使って行えばその程度の事造作もない。
なにせ
数分後、珍しく額に汗をかいているエルピスは、やりきったとばかりに大きく伸びをする。
冬眠を無理やり終わらせることに成功したのだ。
『おお、さすがだな龍神。力が上がっているのを感じる』
「おいおい! こんな狭いところで出てくるなって、飛龍もビビってるし。顔だけにしてくれ」
『ん? ああ居たのか気づかなかった、すまんな』
陰から半分ほど体を出したところでエキドナはようやく飛龍の存在に気づき、申し訳なさそうに少しだけ体を影に戻す。
何も彼が無視をしていたとかそう言う話ではなく、単純にそもそも龍からすれば飛龍など羽虫に等しいので認識すらしていなかったのだ。
どちらかといえばそんな飛龍に対して気を使う龍の方が珍しいのだが、それはいまは置いておこう。
『人化できるようになるかと思ったが、まだ出来んようだな』
「性別の概念がないからじゃない? 確か古龍クラスでも上位じゃないと人化出来ないはずだし」
『いまの我の実力はそれくらいあると思うのだが……まぁ練習すればそのうち出来るようになるだろう。というか性別は関係ないぞ?』
「そうなの? 昔読んだ本にはそう書いてあったけど」
これでもエルピスは、昔半年かけて王国の図書館だけではなく近隣諸国の様々な生き物に関する書物を全て読みあさっているから、知識だけには自信があった。
だというのに当の本龍であるエキドナにその事実を否定され、エルピスは肩透かしを喰らわされた様な気分になる。
『まぁ一部の龍はそうかも知れないが……そもそも龍神も生殖器すら
『ま、まぁ生えてないけどさ。そもそも神人だから生殖器機能必要ないし』
この世界に来てから誰にも言ってないし、おそらく誰も疑問に思っていなかったのでここまで触れてこられなかったが、エルピスには人間でいうところの生殖器は存在しない。
理由としては二つあって、そもそも
魔力で擬似的な物は作れるので行為自体は問題なくしようと思えばできるが、上記の理由からエルピスは生殖器が
ちなみにそれ以外にも食事、睡眠、排泄その他生理現象の全ては今のエルピスにとって必要がない。
「いまの話本当? それって結構問題じゃない?」
そう言いながらエルピスの横に立ったのは、いつのまにか洞穴の中に入ってきていたニルだ。
「びっくりした……急にどうしたんだよニル」
「びっくりしたのはこっちだよ、急にそんなカミングアウトされて。
僕達女神は肉欲に溺れたりしないし、子供の作り方もまた違うからいいけど、エラちゃんとかかわいそうだなぁ」
「なんでそこでエラが出てくるのさ! というか下の話しこのまま続けるつもりなの?」
「いやいや、大事だよ~こういう話。
狂愛を司る女神が言うのもなんだけどさ、男女関係における肉体的な関係って口に出すの忌避されるのは分かるけど、それでも尊い物なんだよ。
だって生命を生み出す行為なんだから、それを好きな相手とできないとか、可哀想に」
心底可哀想だと言うふうに、というより実際そう思っているのだろうが、ニルは大きくため息をつきながらそう言った。
狂愛を司るニルの言葉は、エルピスからすればかなり重く心に響く。
神はその司るものに関して嘘を言わない。
責任感があるからとか義務付けられているからとか、そう言ったものでは決してない。
もっと本質的なものだ。
それは神であるエルピスだからこそ理解できるものであり、だからこそニルの言葉は本心であることがわかる。
「エラから聞いてもないのにそんな好きとか決めつけないの! あとエラを下の話に巻き込むな!」
「いえいえエルピス様、私達これでも愛の神ですよ?
確かにニルが言うのは言い過ぎだと思いますけど、そろそろはっきりなされないと男女関係で拗れてもいいことなんて一つもありませんよ?」
またしてもいつのまにかエルピスの近くに来ていたのは、膝を折り飛龍にちょっかいをかけながらこちらを見るセラだ。
この姉妹人の側に音もなく現れるのを生業にでもしてるのかと言いたくなるが、それよりもエルピスからすれば問題なのは敵が二人に増えたことだ。
ニル一人ならなんとか言いくるめることも可能かもしれない、だが愛の女神が二人にもなってしまうとさすがにエルピスも言い返し切れる自信がない。
だが一か八かにかけて、エルピスは自分で無理があると思っていながら反論する。
「いいのそういうのは旅が終わってからで! いまはみんなと一緒に遊んでたいの!」
「うっわ、典型的なダメ男のセリフじゃないですか。僕はそんなところも好きですけど、どう思う姉さん?」
「一回エラとアウローラも交えてちゃんと話した方が良いわね。
あ、飛龍ちゃんちょっと席外してくれる? ごめんね貴方の家なのに」
「くるるぅ」
可愛らしく泣き声を上げてエルピスの最後の味方は何処かへと飛び出していき、後に残ったのは真面目な話をする雰囲気でこちらを見ている愛の神が二柱。
はっきり言って絶対絶命だし孤立無援だし詰みの状況である。
「ありがとう。それでですがエルピス様、逃げてばかりでは始まりませんよ?」
『そうだそうだ、伴侶の一つくらいとっとと拵えればいい』
「そんな簡単に言わないでよ! 向こうの世界でも考えてなかったのに付き合うとかそんな」
『なんだ龍神、その年にもなって愛を囁き合った相手もいないのか……?
可哀想に、なんなら我が相手になってやろ──』
「「捻り潰しますよ蜥蜴」」
『どうやらこの二人が相手になってくれるらしい。よかったな』
エルピス的には全く良くないが話は纏まりそうなエキドナの提案を、だが二柱の神は圧だけで無かったことにする。
怯えてしまうのも無理はない、この二柱はエルピスだって怖いのだ。
「頼りない…頼りないよ、進化して強くなったんじゃないの」
『たとえ龍神の力を手にしていたとしてもこの二人には抗おうとは思わないさ、現に目の前で龍神が敗北しているしな』
「まぁここでうだうだ言っていても始まりません。
ちょうどアウローラ達も下山してきている様ですし、確か神の称号についてもそろそろ話そうとしていましたよね?
ちょうどいいです。今日それも含めて一回会議しましょう」
「うん、それがいいと思うな!」
話が勝手に進んでいくのを止められないまま、いつのまにか今日中にエルピスは重大発表する事が決定されていた。
言い返したいが愛というジャンルにおいてこの二人に口論では勝てないし、する気はないが実力行使に出てもこの二人と争ったところで勝てる未来が見えない。
それにエルピスも確かにそろそろ覚悟を決めるべき時だとは薄々思っていた。
自分の意思で決めたかったことではあるが、まぁいい頃合いでもあるだろう。
「わかりました! わかりましたよ、いったん宿屋に戻ってから何言うか考える」
「応援してますよエルピス様」
「最悪振られちゃっても僕が慰めてあげるよ」
「縁起でも無いこと言うのやめてくれ」
何故か嬉しそうなニルとは対照的にエルピスは憂鬱な気分になりながら、誰とも決めきれない自分の不甲斐なさに頭を抱えて宿屋への道をとぼとぼと向かうのだった。
/
アウローラ達よりも一足先に宿屋へと来ていたエルピスは、畳の上に正座しながら今後の話をする。
いままで曖昧にしていた答えを決めるときがようやく訪れ、エルピスは原因不明の緊張に手の震えを抑えようと軽く右手人差し指の第二関節を噛む。
前世での癖がいまさらになって再発したことに気づくこともないままに、エルピスはどうやってエラ達に今の自分の気持ちを打ち明けようかと頭を悩ませる。
「とりあえず神の称号なんて後で良いので、先に好きかどうかだけ伝えちゃいましょう」
「──丁度よかったみたいだね。 話は纏まった?」
「ちょっとだけな」
「なら良かったよ。姉さんも言ってるけどさっさと告白しちゃいなよ」
最悪は今後の旅のメンバーすら変わってもおかしくない事をまるで簡単な事のようにでも言うのは、浴衣に着替えているニルだ。
その身体からは普段とは違う甘い匂いがほんのりと漂っており、おそらくは先ほどまで温泉にいたのだろう、肌もいつもより艶々としていた。
セラと会話している間に温泉に行くというのは聞いていたので、服装について何か思うところない。
狂愛の女神である彼女からすれば愛を伝えるなど簡単な行為なのかもしれないが、エルピスからすればこの世界では彼女もいたこともないのに、複数の女性に対して好意を伝えるなど緊張するどころの騒ぎでは無い。
エルピス自身この世界に来て多少は一夫多妻に理解が生まれたが、とはいえ複数の女性と関係を持つのは未だにダメなことだと思うし、告白が成功していない段階からまるで成功することが分かっているかのような物言い事態も──っとそこまで考えて思考が不毛なものになっていることに気づき、エルピスは意識を切り替える。
エルピスが今からやることは、みんなに好きだと伝える、自分は神の称号を持っていると伝える、この二つだ。
何も焦ることも緊張することもない。
「簡単に言ってくれるね。これでも僕の人生で二度目の告白なんだよ?」
「そうですね。知ってますとも、前世の記憶も覗かせていただいたので。
中学3年の時でしたか? 思いっきり振られてましたね」
「てへってくらいのノリでそんな重要なことやらないでくれるかなぁ!? あれの黒歴史なんだけど!」
「あ、あーあー『俺の為にご飯作ってよ』だっけ?」
急に喉の調整を始めたかと思ったから、どうやらエルピスの真似をしているらしいニルはキメ顔をしながらそう言った。
微妙に似ているのがまた腹の立つところではあるが、おそらくは委員長相手に対してエルピスが言った言葉を蒸し返したのだろう。
いまから思い出せばどこからどう見ても男性なのだが、あの時のエルピスは委員長の事を、幹のことを女性だと思っていた。
初めて告白した相手が男性だなんて考えたくもないが、事実そうなのだから仕方がない。
「もう覚えてないけど、確かそんなこと言ったような気はする。っていうかあれはギリギリ未遂、俺が告白したのは中2の時だし」
「そうでしたっけ? まぁ胃袋掴まれてちゃ話になりませんからね。委員長とやらのご飯食べる前で良かったです」
もう既に幹の性別を知っている関係上エルピスがご飯を食べた所で何か起きるわけでもないが、ニルは心底ほっとしたようにそう言った。
狂愛を司るニルがそんな事を言うともしかして自分にはそっちの才能があるのではないかと思ってしまうが、余計な可能性を詮索して変な扉を開けたくないのでそれについては無視しておく。
「話を戻すけど、エラはまだ分かってくれるかもしれないけど、アウローラはどうかな……。日本人としての感覚が強く残ってるから一夫多妻制に納得してくれるかどうか」
忌避感まであるかどうかは分からないが、自分が数人のうちの一人というのは良い気分ではない事は理解できる。
それをいまからアウローラに対してお願いする立場上、たとえ口が裂けてもエルピスの口から言えることではないが、もし自分が逆の立場であればいろいろな感情の前に怒りが先立つことだろう。
「納得しなければそれまで、とは言いませんが納得させるのには時間が要るでしょうね」
「僕達の感覚からすれば問題はないけど、そういう環境に生まれてきたんだからそんな考えを持つのも仕方ないよね。手っ取り早い話だと魅了とか使えばすぐだけど?」
「ニル、今は冗談はよしてくれ」
「分かってるよ、ただの確認。僕は君の事をなんでも知ってるけど、それが絶対に正しいとは限らないからね」
そう言って笑みを浮かべるニルを見て、エルピスはふと疑問を抱く。
ニルが司るのは狂愛、つまるところは狂ってしまうほどの愛情であり、彼女の属性は分かりやすく言うところのヤンデレである。
ならばそんな彼女はエルピスが自分のものになるとはいえ、同時に他人のものになるというのはどんな気持ちなのだろうか。
エルピスが想像する完璧な女性像に自分はなるといつかのニルは言っていたが、それは最初、出会ったばかりの時だけの話だ。
いまのニルにももちろんエルピスが好きな要素がこれでもかというほどに盛られているが、しっかりとニルという芯が通っているように見える。
「つまり俺に、いまのニルの行動は──)
「──予想できない。何せ狂気に染まっているのに、好みの姿では無いはずなのに、まるでそれがそうであるかのように自分の好みの姿に見えるのだから」
「なっ……人が考えてること一字一句違わずに言ってくるとはね」
「僕ってさ、狂愛を司っている訳なんだよ。
くどいけれど、くどいからこそ狂愛っぽさが生まれるんだけれど、そんな僕が、狂愛を司る僕がここ最近大人しかったように思わない?
始め会ったときには生きるために残しておいた魔力全てを消費してまでエルピスとの一騎打ちを仕掛け、挙げ句の果てに命を狙い、かと思えば傷を気にして慌てふためく。
エルピスの好きだったつんでれ? に入るのかなこれって、でも今は違う。
エルピスはつんでれがそこまで好きじゃ無い。
人の好きって移り変わるものだから仕方ないよ、ごめんねいきなり長々と話し始めて。しっかりと着地点はあるんだよ、この場合は終着点かな?」
ニルの話は続いていく。
黒い目をいつもより暗くして、ゆっくりとエルピスの目を覗き込むようにして近づいてきながら。
その真っ暗な瞳に飲まれそうになりながら。
「さて、じゃあ先ずはエルピスが疑問に感じた狂愛を司る僕が、狂ってしまうほどの愛を持つ僕が、君のことが好きで好きで独占したくてたまらない僕が、なんで他人に君を、
これは案外難しいように思えて──もしかすればもう既に答えは分かっているかもしれないけれど、簡単なことで単に誰よりも君の事を思っているからさ。
狂っていても、壊れていても、崩れていても、死んでいても、僕は君の事を何よりも優先する。
自分の幸福の為に動くのは他人に対する愛じゃない、ただの自己愛だ。
だけど僕は君のことが心の底から好きだから、愛しているから、君の幸福の為にならたとえどんなことでも笑顔で許せる」
──愛とは自己犠牲であると、かつて誰かが言っていたらしい。
そんな事を思い出しながらエルピスは自分が狂愛の意味を履き違えていたらしいと思い至る。
愛とは他人に与えるもの、狂っていようともそれは愛故のものなのだ。
「君の事をなんでも分かるって言ったけど、本当は何も分かっていない。
口調だって君が好きそうだと思って、髪型だって君が好きそうだと思って、見た目は生まれつきだから変えられないけれど、ただ君の事を、エルピスの事を見て好きそうなものになろうと努力しているだけなんだよ。
だから貴方が僕以外の人を好きになったって、その人以上に好きになってもらえるよう努力する、恋愛において公平性は大事だもんね」
愛の神であるからか。
ニルの言葉の一つ一つにしっかりとした想いが感じ取れた、それは思わず息を飲むほどのもので、エルピスは言葉を返すことを躊躇ってしまう。
そんなエルピスを見て少しだけ失望したような目と、それすらも許す笑顔を見せてニルは小さくつぶやく。
「それでも……埋められない時間の差はある。エラちゃんにもアウローラちゃんにも、ましてや姉さん相手でも私は遅れをとっている。
だからさ、これくらいは許して」
「──ちょ、まっ」
「んっ」
──唇が初めての感触に触れた。
押し倒された瞬間に見えたニルの表情は緊張に固まっており、触れる唇から震えが少しではあるが伝わってきた。
いままでの記憶を探っても一度もないほどの距離に、ゼロ距離にあるニルの顔を見てエルピスは混乱する。
それと同時に、ニルの瞳から零れ落ちた涙が、エルピスの頬を伝って落ちていく。
ーーまるでこれでは別れのキスのようではないか。
エルピスの心を埋め尽くしていた驚きは、だがニルの涙でゆっくりと冷静になっていく。
震える身体を優しく抱き寄せ、エルピスは何も言わずにそのままニルと唇を重ねる。
それから一体どれほど経っただろうか、ニルの方からゆっくりとおしむようにして唇を離す。
「これで。これで許してあげます、僕の人生初めての、貴方にあげる初めてのわがまま。好きだよ、エルピス」
「……ああほんっと、情けないな。ありがとうニル、好きになってくれて。
好きであってくれて。おかげで勇気が出た」
「……それは良かった、姉さんから任せられた僕の役目はこれで終わりだよ。
本当はキスまでする予定はなかったんだけれど、僕も女の子だったみたいだ。もう離しても──」
離してもいい、そう言いかけたニルを再びエルピスは強く抱きしめる。
先程は気付くことも出来なかったが、こうしているとニルの心臓の音が聞こえてきた。
かなり早く、力強く動いている。
「──へ!? ちょエルピス!?」
「ニル、勇気出たって言っても俺は小心者だから一回しか言えない。だからちゃんと聞いててくれ」
「ふぁ、ふぁい!」
「好きだ。世界で一番、誰よりもニルのことが好きだ。俺と付き合ってくれ」
プレッシャーで内臓が全てひっくり返ったのではないかとすら思える。
告白のセリフなんて考える暇もなく、故にエルピスは自らが思った事をそのまま言葉として伝えた。
普段からこんな状況のことを考えていたのならばもう少しマシなことも言えたのだろうが、これがエルピスが伝えられる精一杯の気持ちだ。
沈黙が耳を刺し、それを打ち消さんとするかの如く心臓は強く鼓動を鳴らす。
「──っ!……えぐっ……うっ…よかった…っよかったぁぁあっ!!!」
先程までよりも更に大粒の涙が押し倒されたことにより、ニルの瞳からエルピスの顔へと落ちてくる。
それを気にする余裕すら無いのか大粒の涙を手で拭いながらも、ニルは大声を上げて泣き叫ぶ。
好きと伝える事は出会ってからしてきた彼女だが、エルピスからは一度も好きだと言われていなかった。
自分の気持ちがもしかすれば空回りなのでは、そんな気持ちが常に胸の中にあったニルは安堵から涙を流す。
「人の妹泣かさないでくださいよエルピス様。それに終わったみたいな顔してますけど、まだ後二人居るんですから」
「…っう! 姉さんもなんでこんな時に妹って…っ! ……というか空気読んでよっ…私も…うっ! …私の時間でしょいま…っっ!」
「ごめんなさいねニル。あとエルピス様困っているようですけれど私には言わなくて構いませんよ。
あの時、迷宮で私からの思いは伝えましたから。それにいま言えって言われても困るでしょう?」
そう言いながら妖艶な笑みで笑うセラに、エルピスとニルは勝てないと諦める。
結局こうなる事をセラはいつからか知らないが気づいていたのだ、おそかれ早かれこうなる事を。
一枚も二枚も上手な愛の女神に掌で踊らされていた事を知り、ニルとエルピスは二人して声を上げて笑うのだった。
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