第64話迷宮の主人

「それで? 話ってなんだ?」


 警戒心を感じさせずふらふらと歩み寄ってきて、器用に椅子に座ったオオカミ──名をニル・レクスと言うらしい──を見つめながら素直に問う。


 何かあった時用にエラとアウローラには遥希達の方へと向かってもらい、セラは魔法がいつでも撃てる様にしているとはいえ、見知らぬ相手との時間が長くかかるのは好ましく無い。

 目で早く喋る様に急かすと、ニルはゆっくりと喋り出した。


「僕は……僕は無理やりこのダンジョンの主人に祭り上げられただけで、まだ何もしてないし誰も殺めていない! だから許して欲しいんだ!」

「そうか──国級魔法」

「ま、まって! 本当に血も涙も無い人ですね。

 もう少し優しさと、人の心を持って接したらどうなんですか?」

「ならせめて本当の事を言え。あと口調を統一しろ」


 そもそも彼? 彼女? が言っている話には、矛盾点がいくつかある。

 1つ目は無理矢理迷宮の主人に祭り上げられたという点。


 本来なら迷宮の主人を討伐後、ないしは誰もいない迷宮に最初に到達した資格のあるものだけがなる事が出来るのがダンジョンの主人だ。

 それなのに、ニルは無理矢理迷宮の主人にされたと言っている。

 これが1つ目の矛盾。


 2つ目は嫌がらせ目的としか考えられない様な配置をされて居た、ダンジョン内のモンスターだ。

 1~79階層にかけての虫で精神を削った挙句、80階層からは強い魔物だけを固めて油断している冒険者を殺す様な仕組みを、助けて欲しがっている様な奴がする訳ない。

 これがニつ目の矛盾。


 このニつの真相を解明するために、わざわざエルピスは慣れない脅しをしながらニルの真意を掴もうとしているのだ。

 その甲斐あってか、ニルも渋々しゃべり出す。


「言うしか無いようですね……本当の事を言うなら、僕は家出してきたんですよ」

「家出してきた? 理由は?」

「馬鹿でアホで融通効かなくて、なのにこっちのして欲しい事とか困った事があったら直ぐに助けてくれる、面倒くさい神様からですよ」

「面倒くさいって言う割には随分と嬉しそうな顔をしているが…なんの神様なんだ?」

「聞いて驚かないで下さいよ? 創世の神様なんですよ」


 何故か嬉しそうにニルがそう言った瞬間、場の空気は完全に凍りつく。


 エルピスからすればなんで創生神の話が出るのか、意味が分からず固まっただけだが問題はセラだ。

 怒りの感情をあらわにするかと思ったが、セラの反応は怒りとは真反対の嬉しさと少しの嫌悪感に疑問が混ざったような表情をしていた。


 何か目の前の獣に思い当たる節でもあるのかよく分からないが、エルピスは試しに目の前の獣に言葉を投げかける。


「創生神なら30年以上前に死んだよ」

「本当ですか? 誰に殺られたんですか?」

「殺されてないよ、自分から消えたんだ」


 ──自分から消えたんだよね?

 エルピスも詳しくは知らないのでセラにそう疑問を投げかけたいが、いまは彼女も何か真剣に考えているし目の前の獣の真意を知りたいだけの情報なので別に嘘だとしても問題はない。

 創生神が昔のエルピスと言う事は確実だし、元創生神の自分が此処にいると言う事は目の前の獣の知る創生神がもう存在しないのも確かだ。


 そんな事を考えていると、エルピスの対面に座っていたニルは目から大粒の涙を流しながら机を強く叩く。

 一撃で机が壊れ木片に変わっていくのを見ながら、エルピスは腰にある剣に手をかけつつ相手の出方を伺う。


 会話はできても目の前の存在が迷宮の主であることに変わりなく、創生神の知り合いというのなら通常の獣よりも警戒するべきだ。


「う……そ……ですよね? あの人が──! あの人が私を置いて勝手に逝くなんて有り得ませんよ……あり得ないあの人が私を置いて死ぬ?

 そんなの絶対に、いや違う破壊神が、でもあれは確実に死んだ。ならだれが?

 いやあの人を殺せる神なんてどこにも、違う違うそんな事は、いやでもだけど……もう、面白く無い冗談はやめて下さい」

「本当ですよ。創生神様はもう転生しましたから」


 大粒の涙が瞳から溢れ出し、悲しげな声で泣きながら否定したニルに対して、セラは真実を告げる。

 受け止めたく無い真実を受け止めようとして、ニルはただただ咽び泣いた。


 セラの表情を見てみれば何か腑に落ちたというような表情をしており、それほど警戒もしていないようなのでエルピスも剣にかけていた手を元に戻す。


「なんで…なんで僕を置いて先に逝ってしまったんですか…っ。構って欲しくてちょっとの間家出してただけなのに…っ!」

「いや数十年規模の家出はさすがに決別に近いんじゃかいかな」

「数十年なんてちょっと歯が入れ替わるかどうかくらいの時間で決別とか馬鹿ですか!?」


 よく分からないノリツッコミをしたニルは、先程までの落ち着いている雰囲気は何処に行ったのか、何処か荒々しい態度になっていた。

 神の時間間隔的にはそんなものなのかと思うが、そうなるといったい目の前の狼は何歳なのだろうか。


 それを見ながらエルピスはこれがニルの素に近い言動なんだろうなと思いつつ、情緒不安定で何をしてきてもおかしくなさそうなので気持ち強目に障壁を貼り直す。


「もういい……とっとと殺してください。創生神様が居ない世界に生きる意味は有りません」

「……そっか、じゃあ遠慮無く」

「──いやそこは俺に付いてくるかって聞く場面でしょ!? この人でなしぃ!

 少なからず貴方には創生神様の面影が有りますから、付いて行ってやります! 

 有り難く思いやがれです!」

「いやそんな事言われてもさ……というか俺って人なのか……?」

「……私的にはそうだと思いたい!!」


 楽しそうなーー何処からどう見てもオオカミなのに、笑っていると分かるほど楽しそうに喋るニルに、エルピスは少なくない罪悪感を覚える。


 事実創生神は転生しているとはいえ、それを伝えなければ彼女はこの迷宮で楽しく創生神が来るのを待って暮らせていただろうし、それにいきなりやってきたどこの誰とも知らないものにこうして真実を押し付けられることもなかっただろう。


 だからエルピスは馬鹿正直に自らの秘密を明かす事にした。


「死ぬ必要も無いし、諦める必要も無いよ。ニル・レクス君? ちゃん?」

「一応僕は女の子です! 諦める必要が無いってどういう事ですか?」

「ほらこれを見てくれれば分かるさ」


 机を挟んで向こうにいるニルに、エルピスは自らのステータスを開示する。

 最初は何を言っているか分からないという顔をしていたニルだが、エルピスの称号欄にまで目線が下がった時、訝しげだった顔が驚愕に染まる。


 隠しているつもりなのだろうが、視線はステータスとエルピスの間を行き来し、書いてある事が真実か確認しようとしているのだろう。


「創生神の時の記憶は無いけどね。前々世の俺が創生神だったのは事実だよ」


 始めてこの世界で自らが創生神であることを明かした相手が狼なのは腑に落ちないが、それでもこの言葉で目の前の狼が悲しい気持ちから抜け出せるならそれでもいいだろう。


「そう……だったんですか。?」

「──は?」


 いま、何を口した?

 目の前の狼は、いや目の前の獣は一体何と口にしたのだ?

 罠にかかった獲物がその罠の中で必死に足掻いたのを一頻り楽しんだような、そんな恍惚な表情を浮かべてニルは言葉を続ける。


「何ですか驚いた顔をして、もしかして分かっていないとでも? ふふっ、あははっあはははっ! ほんっとーに貴方は分かりやすいですね。

 こうして少しだけ落ち込んだフリをして、悲しんだフリをすれば、いつでも貴方は手を差し伸べてくれる。

 優しい優しい貴方が好きで、ここまで付いてきたけれど、やはり貴方は変わらない。

 僕が、貴方が転生した事に気がつかないと? 貴方の声も手も足も耳も目も口も鼻も心も心臓も膵臓も肝臓も大腸も小腸も爪も脳も全部ぜーんぶのもの。

 この国で貴方が僕と会う事になったのは偶然だと思う? 運命の三女神に操られるほど僕と君の繋がりは甘いものじゃないのは、貴方が一番知っているよね。

 きっと何よりも素晴らしく綺麗な運命の赤い糸が僕と君の小指をずっとずっと繋いでいるのさ、だから一緒に遊ぼうよ、昔みたいに遊ぼう?」


 対面に座っているニルからまるで暴風の様な魔力が溢れ出し、それだけでエルピスの周りに展開されていた障壁が全て砕け散る。

 古龍がたとえ一時間攻撃したところでヒビすら入らないであろう障壁が、まるで紙細工かのように一瞬すらも持たずに崩壊していく。

 威圧だけでそれである、もし直接攻撃を喰らえばどうなるかなどエルピスには想像すらしたくない。


「本性を表した…って事で良いんだよな」


 ──さて此処で突然だが、迷宮には少なからず意思が存在する。

 例えば迷宮の主人を自ら選ぶ意思、迷宮で死した生き物を吸収する為の意思。

 しかしそれは基本的には迷宮内にいる生物に、直接関係する事は無いだ。


 しかし迷宮の主人たるニルが全力で攻撃を始める時、迷宮は真の意味で意思を持つ。

 自らの持ち得る力を全て迷宮主に託し、一時的とは言え主人の力を何倍にも増幅させる。

 それは迷宮の総結集、いわば迷宮そのもの。


 それは迷宮内の魔物全てを纏めても足りない、魔物の究極系の1つとも言える存在。

 そんな生物がエルピスに対して底が見えないほどの殺意愛情と共に攻撃を仕掛けてくる。


「俺の昔の知り合いにはろくな奴がいないみたいだな。社畜系神様にツンデレ大王その次はヤンデレ人外か?」

「怨みを買う事は有っても殺意を抱かれては居なかったと思いますが……ツンデレ大王呼ばわりは後でゆっくりお話を聞かせてもらいますよ」

「今からでも冗談って事でなんとかならない?」


 武装を整え剣を構え、それでもなお押して有り余るほどの威圧感に押され自然と口数が多くなる。

 いままで戦って来た全ての敵を合わせたところで、いま目の前にて牙を見せる狼の足元にすら及ばないだろう。


 この世界にておそらくは世界最強の存在の一角であるだろうその存在に恐怖を抱きながらも、何処か高揚していく心に身を任せエルピスは剣を振り下ろす。


「ハァァァァッッ!!」


 転移魔法と幻術魔法を同時使用し、あらゆる方向から同時に攻撃を仕掛けるように見せかけたエルピスは、前でも背後でもなく上空からニルの首を狙って剣を振り下ろした。

(──熱ッ!?)

 目に見えないほどの一瞬、だが〈神域〉が身体の横を何かが通過したのを感じ取ったのでエルピスは急いで後ろへと下がる。


 徐々に熱を帯びる頬と目線の先に見える赤く濡れた銀色の爪が、次は無いとエルピスに告げる。

 転移魔法を見てから止めたのか、それとも攻撃されてからあえてエルピスの頬を攻撃するだけの余裕があったのか、どちらにしろ敵が強大であることに依然変わりなく。


 もし頬では無く首に当たっていたら──そんな思考を即座にかなぐり捨て、連携を取るためにセラに向かって吠える。


「魔力はどれぐらい残ってるセラ!」

「九割ほどは有りますね、これならいくらでも撃てます」


 自分よりも何時の間にか圧倒的に魔力量が高くなっているセラに頼もしさを覚えながら、エルピスは可能な限り速く剣を振る。

 ギリギリ視認出来る速度で振りかざされる爪を、すんでの所で回避し攻撃しの繰り返し。


 一度でも間違えればエルピスは死ぬだろうし、何度当てたところで敵に傷がつく予感もしない。

 そんなエルピスの必死の攻撃を嘲笑うかのようにニルは一撃ごとに攻撃の手を早め、時にはセラに石飛礫を放ち戦いを有利に運ぼうとして居た。


(知能は高く基礎能力の時点でかなりの開きがあるか──死ぬかな)


 近接戦が苦手な訳では無いが、戦闘経験の差は歴然だ。

 この世界において自らの体を極限まで高めれば、魔法や技能によって戦闘が決する事は無い。


 決めるのは本人達の戦闘経験と、どれだけ特殊技能を上手く扱えるかだ。

 戦闘経験では圧倒的に開きがある、ならばそれを特殊技能と知識で埋め尽くそう。


「セラ周辺の岩を砕けるか!? なるべく多く奴の近くで!」

「はい!」


 即座に意図を察してくれた彼女に感謝の念を浮かべつつ、徐々に周囲を覆って行く粉塵の意図をニルに悟られない様に、エルピスは更に攻め手を増やして行く。

 粉塵が辺りを包み自分とニル、お互いの姿さえ見えなくなった段階で、セラが魔法を放つ。


「爆炎魔法〈アトミック・フレイム〉!!」

「──っ!? しまっ!」


 100回層も潜っているだけあってここは数百から数千メートルほどの地下だ。

 これだけ下ならば若干の可燃性鉱石なら混じっているだろうというエルピスの予想は見事的中し、大規模な粉塵爆発が部屋の中で巻き起こる。

 それはただでさえ狭いダンジョンの一室を飲み込み、連鎖する様に爆裂は威力を増して行く。


(幸い扉は頑丈な素材で出来て居そうだし、俺はこのローブあるから耐熱は──ッ!?)


 そう思っていたのも束の間。

 爆発の威力なんて比べ物にならない威力の息吹が、エルピスの身体に一直線で向かってきた。

 龍神の伊吹とも見間違うレベルのそれ、国級魔法と比べても遜色のない伊吹は光の速度よりも速く、こちらへと向かって飛んでくる。


(回避──! いや、 間に合わない! なにか何か──ッ!!)


 どう考えても避けきれな息吹に対して、エルピスは直線上に魔剣を滑り込ませてなんとか致命傷を済んでのところでさける。

 だが半分ほど息吹が食い込んだ魔剣はもはや剣としては使い物にならず、乱雑に捨て置くとエルピスはでかい声で吠えた。


「魔法にレーザーに、なんでもありだな! 自爆魔法なんて用意してないのか!!」

「貴方がくれた能力だよ? そんな物ある訳ないじゃん?」

「それもそうだな──っ!!」


 思考よりも早い速度で繰り広げられる戦闘の中で、噛みつかれそうになるのを〈神域〉だけでなんとか避けつつエルピスは奮戦する。

 聖剣は通らず魔剣は折れる。


 魔法は弾かれニルの口の中に飲まれたものは、全てニルの力になっていく。

 神とたたかったことはまだないが、おそらく戦うことになったらこういう風に進んでいくのだろう。


 全てが理不尽、この世界のルールに則って戦えばまず勝ち目などない。


「──確かに貴方は創生神だ、うん、だって僕いまこんなにも楽しいもん! この高鳴る鼓動も心からの殺意愛情も貴方がくれたものだ!」

「随分と怖い事言ってくれんな! ならとっとと諦めて倒れろ!!」

「それは無理な相談だね、だけどもう少し貴方が全力を出せる環境を用意しよう」


 戦闘しながら会話するというこの歪な状況の中で、セラの事なんて眼中に置かない様な立ち回りをしながらニルはそう叫ぶ。

 エルピスの全力──もう十分全力ではあるがとはいえこの世界で出せる力にはさすがに限界がある。


 本気で龍神や魔神の力を使えばこのダンジョン周辺地域どころか、共和国自体が地図から姿を消す事になるだろう。

 やったことはないが自身の力がどれくらいの物なのかはわかる。


「確かにこの世界で神の力を行使し全力で戦闘をすれば、君のお仲間も無事じゃ済まない。じゃあこの世界ではない場所なら問題はないだろう?」

「何を言ってる!?」

「さぁ創生神の生まれ変わりよ! 僕と本気で殺し合おう愛し合おう

ここならそれが出来る! 二回戦スタートだ!!」


 視界全てが暗転したかと思えば、いつのまにか人の姿になったニルとエルピスだけが暗い暗い森の中に居た。

 生物の気配は一つもなく、それどころか世界そのものが息を潜めニルを主人と慕っているかの様な違和感さえ覚える。


 そしてエルピスはこの空間がなんなのか、ようやくはっきりとわかった、

 ここはニルが作り出したもう1つの異世界。

 そんな世界さえ作り出す様な超常の力を持った神獣は、楽しそうにエルピスの顔を眺めながら不敵にくすりと笑みを浮かべた。

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