第63話 49階層以降

 49F


「大丈夫か?」


 ダンジョン内に時折発生する地下水によってか、湿度が少し高い廊下を歩いていると灰猫が足を止めた。

 疲労によって足を止めたと言うよりは、彼の身体の震えを見る限り他の原因の方だろう。

 違和感はこの階層に入る直前から、そして次の階層への階段が近づけば近づく程にその容体は急変していく。

 安全地帯とは言えないこの場に放置する訳にも行かないので、全身の毛が逆立っている灰猫の背をゆっくりと撫でて落ち着かせようとする。


「フーッ! フーッッ!!」

「落ち着け灰猫、大丈夫だ」

「だ、大丈夫? なんかすっごく怖い感じになってるけど」


 灰猫がいつにも増して警戒心をあらわにしている理由は、エルピスにもある程度見当がついている。

 足元から感じる気配、それはたしかにエルピスが何度も感じたことのある気配であり、人含め亜人種が最も相手したくない存在がそこにいる事を主張していた。

 外で感じた気配の中で類似したものを選出するならば、龍種が一番近いだろうか。

 落ち着くように言いながら撫で続けると、ようやく灰猫の呼吸が元に戻る。

 それでも未だ警戒はしているし、毛も逆立ったままだが。


「ここから先はさすがに危ないかもな。遥希達はここら辺でも待っていてくれないか? 灰猫も待ってた方がいいよ、本能に逆らってまで無理する必要はないし」

「……分かったよ。不甲斐ないね」

「こっから先、そんなに危ないのか?」

「多分この気配、龍種だ。それも若龍ぐらいの奴らがうようよしている、俺は龍相手の戦闘も慣れているから大丈夫だけどお前らは慣れてないだろ?」

「さすがに年老いた龍相手できるほどにはな。分かった俺たちはここら辺でキャンプ地を作っておくよ」

「助かる」

「私はいいの? ここから先進んで」

「アウローラは付いてきてくれ、近くにいないとここから先は逆に危ないかもしれない」


 魔神と龍神の称号を解除しながら、エルピスは完全開放状態に近い〈神域〉を使用して一番下まで探る。

 ここから下の階層数は51回層分。

 まさかの100階層もある迷宮だった事に少し驚くが、とは言えこの迷宮がかなりイレギュラーな事はもう既に分かっていたし、今のエルピスならば十二分に対処できる範囲ではある。

 エルピスが称号を解除した事でセラも強化されたし、アウローラとエラの二人くらいならばカバーしつつ降りるのはそこまで苦ではないだろう。

 とはいえ油断はできないので、注意しながら先へと進むのだった。


 95F


 ーー結論から言うと、分かっていた事ではあったが敵が比べ物にならないほどに強くなった。

 エルピスも称号を解放していなければ苦戦している可能性がある魔物も数匹いたし、龍に関してはまるで普通の魔物と同じように迷宮の中をウロウロしている。

 聞けばここにいる龍は迷宮の主人が捉えたものか作り出したものらしく、ならばここの迷宮の主人がどれほどの実力なのかもわかりやすいと言うものだ。

 基本的に龍など一匹いれば一つの街を滅ぼすような存在で、これだけいれば共和国に大打撃を与えることすら可能だっただろう。

 変に弱い冒険者達が刺激して外に出てこなくて良かったと思いながら、目の前に現れた扉を前にエルピスは少し立ち止まる。


「フロアボスの様ですが、どうしますか?」

「気配察知が遮断されてる…この扉の材質が関係しているのかしら、何がいるか分からないわね」

「龍だな、しかもかなり年老いているっぽい……古龍かな」

「こ、古龍!? 一匹居れば最高位冒険者に救援要請が出されるっていう程のあの!?」

「アウローラが想像しているのは古龍の中でも更に強い奴らだね。父さんが倒した奴とかは確かにヤバかったけど、扉の先にいる奴はそんなに強くない」


 父の成し遂げた偉業に比べれば、目の前の古龍は随分とちっぽけな生物に思える。

 それにエルピスには龍神の称号の効果のうちの一つである、古龍以上の龍からの攻撃無効化がある。

 一人で行ってサクッと倒して帰ってくるのが一番安全ではあるが、とはいえ龍相手にそれほど力を消費したくはない。

 魔神の称号を開放しているので魔力は無尽蔵にあるが、今は障壁に九割以上リソースを割いているのでたいした火力も出ない。

 一人で倒そうと思うとかなりの時間がかかるだろう。

 とりあえずは作戦を立ててからーーそう思った矢先に目の前でアウローラの手によって扉が開かれる。


「なら良かったとりあえず扉開けちゃいましょーー」

「ーーバカ! 危ないッ!!」


 扉を開けるのと同時に古龍の伊吹がエルピス達が歩いてきた通路を蹂躙していく。

 龍神の伊吹には遠く及ばないが、だが古龍の伊吹の威力は並大抵の障壁程度では一秒すらも持たない程の威力はある。

 アウローラの前に立ち火から庇おうとエルピスが前に出ると、古龍のブレスはエルピスに当たるギリギリで左右に避けていく。

 これが龍神の称号の効果かと思いながら、エルピスはアウローラの安全を確保した事を確認してから龍の近くへと移動する。


「ゴァァァッアアッ!!!」

「古龍は何気に初めて見るか….おい龍! 人の陰でいつまでも休んでないで出てこい仕事の時間だぞ!」

『久方ぶりに呼び出されたかと思えばいきなり古龍相手とは、全く相変わらずだな、何をすればいい』

「拘束するから時間稼ぎをしてくれ」


 エルピスの陰で休んでいた龍を叩き起こして無理やり陰から引きずり出すと、龍は即座にエルピスの言った通りに行動してくれる。

 龍種の時間感覚はかなりルーズで五年六年くらい平気でゴロゴロしているのであまり起こさないようにしていたのだが、どうやら本人的にはもう少し呼び出して欲しかったようだ。

 何故基本的に仕事をしないような立ち振る舞いをしていた彼が、いきなりやる気を出し始めたのかと疑問に思ったが、それも直ぐに答えがわかる。


『ふん、古龍といえど所詮この程度か』


 前足で古龍の首を押さえつけ、口から火をこぼしながら龍はそう言って高らかに笑う。

 エルピスとこの龍は契約によって結ばれており、エルピスが龍神としての力を使えば使うほどにこの龍も強くなる。

 龍神の称号を開放し、龍神として今この場に存在しているエルピスの力の半分程を行使できるのだ、古龍程度確かに敵にすらならないだろう。

 なんとかして古龍も反撃しようとするが、龍神の権能は部分的に龍にも付与されているのでエルピスと龍のどちらにも攻撃できない古龍の状況は完全な詰みだ。

 もし野外なら間接攻撃ーー石を投げたり木を当てたりーー出来るんだろうが、残念ながら此処はダンジョン内部。

 巨大な石が落ちているわけでも、大木が生えているわけでもない。


『さてどうする? 動きは止めたし戦意も無くなった。私としては殺したくはないが命じられれば殺すが』

「無理にやらなくていいよ。それに戦意がないならなおさら殺せないし。そう言えばこのタイミングであれなんだけど龍って名前なんなの?」

『ん? ああ言ってなかったな。我が名はエキドナだ、またこういう時は呼べ』

「え、お前雌なの! ってもう影に戻ったか、早い」


 影の中に入っていったエキドナにお礼として収納庫ストレージから牛の肉を落として後ろを振り向くと、驚いた表情のまま固まったエラとアウローラが見えた。

 そういえばアウローラの前でエキドナを行使するのはこれが初めてか。


「え、何今のえげつないくらい強い龍」

「俺の相棒。結構昔から俺の影の中に居たよ」

「ずっと?」

「うんずっと。二十四時間常に」

「あったま痛い。謝るチャンス逃したどころか謎が一個増えたんだけど、あんたの体どうなってんのよ」


 どうなっていると聞かれてもエルピスの体がおかしいのではなく、龍が勝手に人の影に入ってきているのだ。

 エルピス自身の体は至って普通の龍神ベースの魔神である。

 さて捕まえた龍はどうしようか。

 まぁ害はなさそうだし、帰ってきたときに解いてあげるとしよう。


 100F


「やっと着いたな、100階層」


 いくら階層主が楽に倒せたとは言え、中々ここに来るまで時間が掛かってしまった。

(いくら安全性を最優先にして来たとは言え、ここまで二週間近くかかってるからなぁ…)

 とは言え迷宮主さえ倒せば後は登るだけだ。

 早々に決着をつけて終わらせるとしよう。


「あの人達は大丈夫でしょうか?」

「四十九回層にまだ居るだろうし、食料は渡してあるから大丈夫なはずだ」

「そう言えばいまふと思いましたが、エルピス様って私に隠している事結構多いですよね。あの方達との関係性とかいろいろと」


 そう言われ考えてみてもエラに隠してるいる事など神様関連の能力と、勇者の称号と魔法系統とスキルのレベル後は転生者である事とかーーこう言ってしまうとなんだか結構あるな。

 この機会に教えておいた方が良いのだろうか?

 昔は不安もあったが今は特に転生者だとしられることにたいしての不安もない。

 というより我が家でエルピスの事を転生者だと気づいていない人物の方が珍しいか。

 神の称号まではさすがにいえないが、それ以外ならば別に言っても良さそうなところである。

 そう思って居ると不意にセラがエラの方に近づいていった。

 何をする気だろうか?


「私は、全部知ってますけどね」

「あ、あのエラさん? いきなり手を握ってくれるのは別に嬉しいんだけど、爪が刺さってない? 刺さってるよねこれ!? 痛い痛い痛い!!」

「気の所為じゃないですか? それより倒し終わったら教えて下さいよ、私に隠してる事全部」

「はい、全部言います」


 距離感をそろそろ縮めたかったし、その点含めても丁度いい。


「じゃあエラ達は一旦ここで待機で。何かあると危ないしね」


 見慣れた扉を押し上げながら帰りのことを考えつつ、エルピスは魔法の準備をする。


「さてさっさと終わらせてしまいましょう。先手必勝です。〈氷地獄アイスヘル〉」

「わぁ、容赦ない。じゃあ俺も〈聖罰〉」


 セラとエルピスの手から放たれた氷と光の国家級魔法が、部屋の中を破壊の光線で白く染める。

 簡単なことのようにして国家級の魔法を放つ彼等だが、その威力は自然災害すらも生温いと言えるほどの威力を持ってして迷宮内部を圧倒的な暴力で蹂躙していた。

 地盤が崩れ迷宮が瓦解しないのは単に奇跡とも呼べるほどの強度を誇るエルピスの障壁が故であり、通常の迷宮の主人であれば散りどころかこの世にいた痕跡すら残っていないだろう。

 だが国家級の魔法に対して、未だ若干抵抗しているのがエルピスの手には何となく伝わってくる。

 それは対象者が死亡しておらず反撃の構えを見せていると言うことであり、エルピスはそれならばお構いなしにとさらにもう片方の手で能力を発動させるのであれば。


「さてと、もう一発行くか〈水血〉!」

「じゃあ私は〈雷神〉」


 駄目押しに放った水と雷の国級魔法が直撃し、僅かに有った抵抗感が消える。

 ーーだが此処で魔法を撃つのをやめる程、エルピスもセラも優しくない。

 死体に対して魔法を放つのは褒められた行為ではないが、確実に息の根を止めるためにはこの方法が一番確実だ。

 それにこの迷宮の主人はイレギュラーな存在である可能性が高い、トドメを入念に挿しておいて損はないだろう。


「もう一発うつーー」

「辞めるのだ! 辞めろ! 辞めてください!  死にますから!」

「嫌です〈風神〉」


 ダメ押しにと魔法を打つ瞬間にそんな声が聞こえ、不意にエルピスの魔法を打つ手が一瞬止まる。

 だがセラの魔法は問答無用で部屋の中へと飛んでいき、それが不運にも直撃したのか蛙が潰れたような声が奥の方から聞こえてくる。

 少しして魔法によって舞い上がった土煙が晴れて視界が晴れてくると、綺麗な黒色の狼の姿が見えた。

 その他には特にこれといって生物が見えず、おそらく目の前のそれがダンジョン主なのだろう。

 可愛らしい見た目をしているし犬好きのエルピスとしては是非飼いたくはあるが、とは言え迷宮主を倒すのが今回の依頼だ仕方ない。

 せめて痛みなく終わらせよう。


「神級魔法ーー」

「ま、待ってほしい! いま僕を殺せばこの迷宮は崩れる! そうなったら君達も無事では済まないはずだろ!? だから一旦落ち着いて!」


 エルピス達は100階層分の重量程度なら別に障壁によって耐えられるが、急に崩れたら遥希達も危ないだろうし、このダンジョンを崩したら共和国国王も怒って来る可能性が高い。

 それに会話ができるのならば平和的に交渉して、このダンジョンを譲り受けることもできるだろう。

 それに何よりも迷宮主がここまで理性的に会話ができると言うのが、エルピスからしてみれば何よりも興味深かった。


「しょうが無いな…話だけは聞いてやるよ」


 テーブルと机を収納庫ストレージから出して適当に並べて席に座り、狼にも手で着席するように勧める。

 遥希達を人質に取られているから仕方なくーー仕方なく話を聞こう。

 別にペットにできるかもしれないなどとは考えていない。

 いないのだ。

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