第30話帰ってきて

 微かに廊下から聴こえる靴音で、眠っていたエルピスは目を覚ます。

 ロームの姿はどこえやら、身体を照らす日の光はいつも味わっているものと同じでエルピスは本能的に自分が戻ってきた事に気がつく。

 あたりを見回してみるが先程まで共にいた彼女の姿はなく、身体から漏れ出る魔力が何かと繋がっている感覚だけが夢ではなかったことを教えてくれる。


 影の中に住む龍と同じ、契約した生き物とはエルピスとの間に魔力の線が出来るので、一定の範囲内であれば場所は分かる。


「身体は……動くな。頭は痛いけど」


 いつかの時と同じように頭痛がエルピスのことを襲うが、耐えられないほどの痛みでもなく顔を不機嫌そうにしながらエルピスは立ち上がった。

 室内を見回してみれば何度か訪れたことのある王城の保健室で、今日は担当の人がいないのか部屋の中には誰もおらずエルピスは〈気配察知〉を使用して辺りを探ってみる。


(ーーん? なんか範囲が広いような…痛ッ、頭痛が酷くなってきた。#技能__スキル__#が変わったのか?)

 神の力を行使した時と同じような頭痛の発生にエルピスは、〈気配察知〉が別のものに変わったのではないかと言う予想を立てる。


「魔力も変質してる? なんか普段とは違う気がする」


 自分でも気づけるかどうかと言う違和感を口に出す事で明確化し、普段との違いをゆっくりと把握していく。

 数分経てばある程度の変化について把握することが可能で、なんとか状況を把握できたエルピスは近くにあったソファに腰をかけてボソリと言葉をこぼす。


「エラ、いる?」


「ーーお呼びでしょうかエルピス様」


「やっぱ居るんだ」


 天井から落ちてきたエラを眺めながら、エルピスはそんな事を口にする。

 気配も感じず魔力も感じなかったが、彼女の#技能__スキル__#による移動なのかいきなり目の前に現れた。

 その事実にもはや驚く事もなく、エルピスは確認しておきたかったことを口にする。


「おはようエラ。今日は何日の何時で分かっては居るけどここはどこ?」


「エルピス様が教会に向かってから2日後で、ここは王城の医務室です。進化の儀が始まってからすぐにエルピス様が昏倒してしまいここに運ばせていただきました」


 続いて大変でしたと口にするエラを見れば、どうやら色々と大変なことがあったらしいと納得できる。

 アウローラがどうなったのか判断はつかないが、同じように医務室にいないと言う事は彼女は倒れる事もなかったのだろう。


 あの空間にいた事が原因なのだろうが、それにしたってまる二日も気絶したのは初めての経験だ。

 ご飯を食べなくても生きていける体ではあるが、2日も何も口にしていないことを認識するとお腹も自己主張を始める。


「んーお腹空いてきたな。急で悪いけどご飯用意できるかな?」


「いまクリム様が手作りでご飯を作られていますよ、そろそろ起きるだろうと予想されていましたので」


「さすがお母さん。そう言えばエラ、僕と一緒に銀髪の可愛い女の子がこっちに来なかった?」


「ああ……あの。そうですね来ましたよ、なんだかんだとベラベラ口を動かして上手く取り繕っていましたが、私はあまり好きじゃないですね」


(ひぃぃ怖い)

 かつて見たことがないほどの冷たい目線を壁に向かって向けながら、エラは吐き捨てるようにしてそう言った。

 怒りの感情というよりはもう少し別の何かのように感じるが、エルピスにはそれが何なのか判断しかねる。


「じゃあ食堂まで行こうかな」


「かしこまりました。エルピス様はまだ疲れていらっしゃいますし、私が運んで行きましょう」


「それはおかしいーーって話聞いてよ!」


 半ば暴走するエラにはもはや声など届かず、お姫様抱っこでエルピスは連れて行かれそうになる。

 これが実家ならまだーーいや実家でも勘弁してほしいがーー我慢できないことはないにしろ、ここは王城だ。


 使用人や通りすがりの貴族に見られただけでも一週間はとじ込まれるのに、王族にこの姿を見られただけで卒倒する自信がある。

 見た目こそ十歳にしてもエルピスの中身はもうおっさんに近いのだ。


「ほら抵抗しては手が滑ります。静かになさってください」


「せめておんぶにして……」


「贅沢ですねエルピス様」


 尊厳をかけた交渉の末に自らより精神年齢的に歳の低い女の子の背になりながら、エルピスは長い王城の廊下をゆっくりと進んでいく。

 されるくらいならばせめてエラにしてあげたかったところだが、今の暴走しているエラに何を言ったところで無駄であろう。


 魔法による妨害でなんとか周りから見られないように注意を払い、食堂の前でようやく降ろされたエルピスはそのまま中へと入っていく。


「奥様。エルピス様が起きられましたので、連れて参りました」


 食堂にいるのはエルピスの両親にアルキゴスとマギア、さらにアウローラや彼女の姿も見受けられ、部屋の隅にはリリィとフィトゥスも微笑みを携えて立っていた。

 〈気配察知〉で感じ取ったのかニヤニヤとしている大人組に対して、舌を出し必死の抵抗をしつつエルピスはだまってとことこと歩いていく。


「大丈夫だったエルピス? あんまり進化の儀と合わなかったのね、たまにそう言う子が居るのよ」


 エルピスの両脇に腕を通して持ち上げると、自らの足の上にエルピスを座らせてクリムはそんなことを口にする。

 エルピス以外にあの空間に行ったものが存在するのか、はたまた普通に相性が悪かっただけなのか気になるところだが、エルピスはとりあえず軋む骨の音を聞きながら転移魔法を起動した。

 すぐにクリムの腕の中からエルピスの姿が消えていき、近くの椅子に再びエルピスの体が現れる。


「何で逃げるのよエルピス」


「お母さんの抱擁痛いんですよ、僕一応病み上がりですからね?」


「分かったわよ優しくするからーーってまた避けた!」


 戦闘用にエルピスが編み出した超短距離転移魔法を使用して母親から逃げ回りつつ、エルピスは運ばれてくる食事に手をつける。

 新しくやってきた彼女に関してだが、彼女の方からなんとか上手く誤魔化したらしくエルピスのギフトという事になっていた。


 召喚獣をギフトとしてもらうものも少なくないらしく、天使をギフトとしてもらった新たな一例として今回の事も有耶無耶になったらしい。


「五日もエルピス様と顔を合わせられず、このリリィ胸が張り裂けそうでした」


「分かったから抱き着く力をもうちょっと弱めて…! 死ぬ!」


「あっ! すいません」


「リリィ殿はエルピス様を見ると、直ぐに思考レベルが幼児まで下がりますね。あ、そう言えばエルピス様。お城での身の回りのお世話も私がさせて頂きます」


「それはおちょくっていると取って良いのかしら? この口だけ悪魔。それとエルピス様、私とヘリア先輩それにエラもエルピス様のお世話をさせて頂きます」


「はいはい、りょーかい」


 毎度喧嘩しているあの二人だが、結構仲がいいので素直に慣れていないだけなんだろうなぁと思いながら話半分で聞き流す。

 とっととくっ付いてくれるとエルピスとしても嬉しいのだが、いかんせん二人とも恋愛と遠いところにいるのかお互いを意識している素振りもない。


「父さんと母さんはどうするの?」


「私達もこっちの別荘に移動よ。龍の森も落ち着けるけどエルピスの側にいないと心配だもの」


「エルピスが側にいないと、って方が正しい気がしなくもないけどな。まぁやらなきゃいけない事もあったし丁度よかったよ」


「また何か悪巧みですか? 巻き込まないでくださいよ」


「ははっ。言うようになったな、それで言うならあの子の方が気になるぞ?」


 父が指さすのはあの空間にいた彼女で、イロアスの声かけに対して笑顔で答えるとエルピスと視線が交差する。

 紅い瞳はあの場所で出会った時と変わっていないが、年齢は随分と下がったように見えた。

 エルピスとしても彼女の扱いは非常に難しいところで、できれば触れてほしくない。


「あははっ……ところでアルさん。僕って別荘からの通勤でいいんですか?」


「いや分からないことを聞きにいくときにいないと不便だからな、王城済みになるはずーーってクリム、話したよなこの話。したよな俺!」


「どんまいアル。こうなったら止められん」


「嫁だろうがなんとかしろ!」


 果ての地にある実家から次に決まった居住地は王城。

 聞けば明日から本格的に魔法訓練を再開するらしく、早めに寝ておいた方がいいだろう。

 暴れ狂う母を横目にエルピスは、自分の部屋の改造を計画するのだった。

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