第14話 洗脳

 ボクはさっそく行動を起こした。

 里の住人が寝静まる深夜を待ち、適当なツリーハウスを見繕ってから、窓の隙間に粘液状の身体を忍び込ませる。

 眠っているエルフの捕獲はとても容易だった。


 ◇


 捕まえてきた一組の男女を、縛ったまま部屋の隅に転がす。

 よく見れば彼らは、いつだったかボクを邪険に扱ったエルフたちだった。

 あの日、狩りに一緒に行くと言ったボクを足手まといだからと無下に扱った彼らである。


 ところで攫ったエルフを連れてきたここは、元はルィンヘンのほったて小屋だった場所だ。

 一度は感情任せに壊してしまった小屋だけど、簡素な構造なだけあって簡単に建て直せた。

 ついでにスペースを拡張して、八畳間ほどだった広さの部屋を倍ほどに広げてある。


 咬ませていた猿轡や目隠しを外すと、エルフたちがボクを睨んできた。

 男性が口を開く。


「……なんのつもりだ」

「あ、気づいたんだ?」


 しっかり気絶させてから運んできたつもりなんだけど、どうやら二人とも途中から起きていたようである。


「なんのつもりかと訊いているのよ。答えなさい」


 今度は女性のエルフが喋った。

 随分ときつい口調だ。

 ボクに対する優しさなど、微塵も感じられない。


 けどまぁいいだろう。

 だってこの二人は、きっとこれからすぐにボクを好きになってくれるに違いないのだから――


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 エルフたちはいくらこちらから好意的に接しても、自発的にはボクを愛してくれなかった。

 そのことを悟ったボクは、方針を変え、無理やりにでも彼らに愛されることに決めた。


 その為にはどうすれば良いかを考える。

 そしてボクが導き出した答えは、強制的にボクへの愛を植え付ける手法、――有り体に言うと『洗脳』だった。


 ボクへの愛を洗脳するのだ。

 これは良い閃きだと思う。

 とはいえ前世でも今生こんじょうでも、ボクには誰かを洗脳した経験などない。

 だから方法がわからない。

 果たしてどうすれば彼らに愛を植え付けることができるのだろうか。

 ボクを愛してもらえるのだろうか。


 腕組みしながら思考をめぐらす。

 むむむと唸る。

 そして、またぴこんと閃いた。


 そうそう。

 洗脳といえば、例えばブラック企業やとある真理教が得意な行為だった。

 前世においては、そういった組織が社員や信者を実に巧みに洗脳していたものだ。

 では、彼らはどうやって構成員を洗脳していたのだろうか。


 きっとこうだ。

 まず、どちらにも共通している前提として、相手を極限状態におくという事柄が挙げられるように思う。

 彼らは辛い重労働とか過酷な修行を構成員に課すことでそれを実現していた。


 これは簡単だ。

 ボクにだって出来る。

 殴る蹴るの暴力を使うのでも、拷問にかけるのでも、食事を与えずに飢えさせるのでも何でもいい。

 つまり相手を疲弊させればいいのだろう。

 そして然るのち、疲れ果てて思考能力を鈍らせた相手に、都合の良い考えを植え付けるのだ。


 いいぞ。

 ちょっと洗脳への道筋が見えてきた気がする。

 さっそく試してみよう。


 ◇


 ボクはとりあえず洗脳相手に暴力を振るって、お手軽に極限まで追い込むことに決めた。

 まずは男性から洗脳だ。


 部屋の隅に転がしたままのエルフたちに歩み寄り、男の頭髪を引っ掴んだ。


「痛ぅ……。は、はなせ! 何をする!」

「はいはい。暴れちゃダメですよぉ? 大人しくしましょうねぇー」


 抵抗する彼をそのままずりずり引きずり、部屋の中央まで連れてくる。

 拳を握りしめた。


「……よっ、と」


 顔面を殴り付ける。


「がはっ!」


 掴んでいた金色の髪が、ぶちぶちと千切れた。

 彼の横っ面が、勢いよく床に叩きつけられる。

 ドンッと大きな音が響くのと一緒に、建物がゆらゆらと振動した。


「ぐ、ぐはぁ……」


 そこまで力を込めたつもりはないのだけど、なんかめちゃくちゃ効いているようだ。

 殴られた彼は脳が揺れてしまったのか、目の焦点があっていない。


 そう言えば、こう見えてボクは凄い力持ちなのだった。

 これはちょっと加減しないと、洗脳どころかその前に誤って殺めてしまうかもしれない。


 倒れた彼の腹を軽く蹴り上げる。

 今度は力を調整してふんわり蹴った。

 だというのに、また男性は大袈裟に吹き飛んで強かに壁にぶつかる。


「ぎぃあッ!」


 跳ね返ってから、鞠のように弾んで止まった。

 それを眺めてボクは驚く。


「ちょ⁉︎ か、軽すぎない?」


 いまのであんなに飛ぶなんて。

 力加減が難しい。

 これはちょっと、練習が必要かもしれないなぁ。


「……ごぼぉ」


 男性が這いつくばったまま吐血した。

 床に真っ赤な血溜まりが出来ていく。

 もしや内臓破裂でも起こしたのだろうか。


 これはいけない。

 ボクは慌てて彼に駆け寄り、抱き起こして優しくする。


「だだだ、大丈夫ですか⁉︎」

「……プ、プレナリェル、……貴様ぁ……」


 どうやら命に別状はないようだ。

 ホッと胸を撫で下ろす。


「もうっ、あんまり心配させないで。あと暴れないで下さいね? ちゃんと踏ん張って耐えて下さいよぉ。小屋を壊したらダメです。せっかく建て直したんだからぁ」


 ボクは説教をしながらも、男性の頭を優しく掻き抱いた。

 ここからは甘やかしフェーズだ。

 彼の顔がボクの胸に埋まる。

 この乳房は擬態といえど質感は本物と変わらない。

 だからきっと柔らかくて気持ちが良いことだろう。


「よぉし、よぉし。痛かったですねぇ。でももう大丈夫ですよぉ?」


 子どもをあやすように、さわさわと髪と一緒に頭を撫でる。

 耳や首筋に指先を這わせていく。


「さぁ、ボクのことを愛しましょうね。ボクのことを好きになりましょうね」

「……ぐぎぎ……、プレナリェル、プレナリェル……!」


 男性がボクを熱烈に求めている。

 順調だ。

 きっといまの彼には、このボクが聖母にでも思えていることだろう。


 ◇


 ボクはその後も数時間に渡って洗脳を続けた。

 エルフの彼に暴力を振るっては甘やかし、暴力を振るっては甘やかし、それを幾度となく繰り返す。


 やがて彼は動かなくなった。

 倒れたままの彼をまた抱き起こして、問い掛ける。


「どうですか? そろそろボクを愛してくれますか?」

「…………」


 男性は口をきかない。

 だからボクは重ねて尋ねる。


「ほら、答えて下さいよぉ。ねぇ、ボクのこと愛していますか?」


 沈黙が訪れる。

 やがて、ボクに抱かれてぐったりとしたままの彼が呟いた。


「…………死、ね……。糞、野郎……」


 洗脳は出来ていなかった。

 というか失礼な。

 大体、野郎ってなんだ。

 いまのボクの姿は可憐なプレナリェルだというのに。


「…………ぺっ」


 エルフの彼に唾を吹きかけられた。

 ちょっとイラッとする。

 それにこのまま同じことを続けても、上手く洗脳できる気がしない。

 やり方を間違えたのだろうか。


「……はぁ、これは失敗かな……」


 ボクは彼を抱いたまま立ち上がった。

 首を掴み片手で持ち上げる。


 力を込めた拳を振るうと、パンッと軽い音がして彼の頭部が消し飛んだ。

 壁にべちゃりと血糊が貼り付く。


「まぁ最初からそう上手くいくはずもないし、仕方ないかぁ……」


 やっぱり洗脳なんて、一筋縄ではいかないみたいだ。

 次はどうしようか。

 ふと部屋の片隅を眺めると、縛って放置したままだった女性のエルフが青褪めた顔で失禁していた。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 ここでおさらいをしよう。

 粘液状生物ショゴスに生まれ変わったボクには様々な能力が備わっていた。


 代表的なものは捕食によるお手軽な自己強化(ボクはこれをゲームのレベルアップみたいなものだと考えている)や、喰った相手に変身できる擬態能力。

 ほかにも無数に分裂したり、部分的な変形・硬化なんてことも出来る。


 けどボクが出来るのはそれだけじゃない。

 体内での薬物精製なんかも可能なのだ。


 そう薬物である。

 たとえば強力な酸。

 止血剤や、筋弛緩剤や、果ては覚醒剤まで……。

 ボクはあらゆる薬物を生成することができた。


 これは自分でも驚きだった。

 前世ではしがない一介の商社マンに過ぎなかったこのボクだから、当然いまも薬物に関する知識なんてものは持ちあわせていない。

 なのに感覚的に製薬ができるのである。


 うーん、不思議だ。

 けどまぁ多分こんなことが可能なのは、生来から備わっていたショゴスの本能みたいなもののおかげなんだろうと思う。


 ◇


 洗脳は失敗に終わった。

 ちょっと素人には手順が複雑すぎたのだと思う。


 だからボクが改めて練り直した計画は、単純明快だった。

 その計画とはエルフを薬物中毒にすることだ。


 男性のエルフは先ほど死んでしまったけれども、女性のほうはまだ生きている。

 彼女に惜しみなくじゃんじゃん覚醒剤を投与し、すっかり薬漬けにしよう。

 そしてピタッと投与をやめるのだ。

 そうすれば禁断症状を起こした彼女は、薬欲しさにボクに縋ってくるだろう。


 心の底からボクを求めてくれる。

 求められるということ、それはつまりボクが愛されているということの証左に他ならない。


「さて。じゃあ始めますか」


 呟きながら覚醒剤の精製を開始した。


 そしてボクは、部屋の片隅に転がったままの彼女に近づいていく。

 目の前に屈んで縄を外してやると、女性のエルフは端正な顔をくしゃくしゃにしながら懇願してきた。


「……ゆ、許して……。なんでもするから、お願い、許してぇ……」

「えー? なんでもするって、それ本当です?」


 女性がこくこくと何度も頷く。


「そっかぁ。じゃあお願いです。いまから注射を打ちますから、それで気持ちよくなって下さいね」


 にこりと笑顔を向けてから、ボクは指先を注射針に変えた。

 震える彼女の柔らかな太ももに突き刺す。


「あっ、ごめんなさい。痛かったですか?」


 女性は怯えて震えたままだ。


「……いやぁ、嫌よおっ。やめてぇ、お願いやめてぇ……」

「あはは、やめませんよ。だってお姉さん、いま何でもするって言ったばかりじゃないですかぁ」


 精製したばかりの覚醒剤を注入した。

 細い身体がびくんと跳ねる。


「……あがっ……!」


 女性が白目を剥いた。

 ガクガクと肩を揺らせて、口からは大量の涎を垂らしている。


「う、うわっ! だ、大丈夫ですか⁉︎」


 彼女は陸に打ち上げられた魚みたいに、びくんびくんと床を跳ね回る。

 だがやがて動かなくなった。


「あちゃあ……。やっちゃったぁ」


 確認すると、彼女は泡を吹いて死んでいた。

 どうやらボクは、誤って致死量を遥かに超える分量の覚醒剤を女性に打ち込んでしまっていたのだった。

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