巨大蟻
第2話 転生
全身にジメジメした不快な感触が伝わってくる。
なんだろう、この感触は?
まるでじっとりと湿った沼地に寝そべってでもいるかのような不快感。
いや、それよりも……。
ふと思った。
私、――いやボクは今まで眠っていたのだろうか?
微かな記憶を探る。
脳裏に浮かぶ朧げな風景が、徐々に鮮明になってくる。
思い出した。
たしかボクはずっと一人暮らしをしていて、何の変哲もない日常を送り続けていたんだ。
そうやってやがて老いさらばえたボクは、あの日もいつもの様に、湿ってカビの生えた万年床に身体を横たえていて……そして――
――ッ!
刹那、記憶がフラッシュバックした。
……そうだ、ボクは死んだんだ。
記憶と同時に思い出す。
あの隙間風の吹き
この世に存在するありとあらゆる絶望をも上回る、言い知れぬ寂寥感と這い寄る恐怖。
そう、ボクは孤独死したのだ……!
奈落へと続く穴のごとき虚無感を反芻した途端、ボクはあの日のような孤独を極度に恐れた。
「――――――ッッ!!!!」
言葉にならない叫びをあげる。
二度と思い出したくもない、孤独死というおぞましい体験を振り払うかのように、ボクは身震いしながら跳ね起きた。
跳ぶのと同時に全身がふわっと浮遊感に包まれる。
かと思うとすぐにこの身は重量に引かれ、その場に落ちて、グチャッと歪な音を鳴らした。
衝撃を受けたボクの身体が薄く広がり、ベチャッと粘液状に地面に貼り付いていく。
……というか、グチャ?
何かがおかしい。
いまの音は人が地面に落ちたときのズドンと響くそれとは、まるで異なっていた。
いったいボクの身体はどうなってしまったんだ?
気になったボクは、軽く腕をあげて手のひらを眼前に持ってこようとした。
しかし上手くいかない。
待てよ?
そもそも腕ってどうやって動かせばいいんだっけ?
今まで当たり前に行っていた動作が、当たり前にこなせない。
もどかしさを感じる。
それでも四苦八苦しながら身じろぎしていると、ズルッと気味の悪い音がして、ボクの身体がわずかに地を這った。
……いや、ズルってなんだ……?
またしても聞こえた、耳慣れない不可思議な音に首を傾げようとする。
けれども首がなかった。
いやそれどころではない。
ボクには首どころか、目も、耳も、口も。
頭も、胴も、指も、両腕も、両脚も――
人体を構成するありとあらゆる要素の全てが、一切合切欠落していたのだ。
「――ぅギ⁉︎」
あまりの驚きに悲鳴をあげようとする。
しかしボクから発されたものは気味の悪い振動音だけで、まともな声にすらなっていない。
それもそのはずだ。
意識を自分の内側に向けてみて、ようやく理解した。
いまのボクには発声機関なんて備わっていなかった。
ボクは、人間以外の『何か』になっていたのだから――
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
意識を取り戻したあの日から、いくらかの時が過ぎた。
おそらく体感的には十日ほどといったところだろうか。
どうやらボクが目覚めたこの場所は、途方もなく深くてだだっ広い樹海のなからしい。
ここにはボクが人間だった頃の常識では考えられないほど背の高い巨木が生い茂っている。
その樹々が頭上を覆い尽くしているせいで、辺りは常に暗く、いまいち昼夜の判断がつかない。
だから日々が経過する感覚が曖昧なのだ。
◇
ところでボクは、人間をやめていた。
そして得体の知れない何かに生まれ変わっていた。
いまのボクは、一言で言い表すなら『黒いヘドロ』だ。
なんでこんなことになったのかは皆目検討もつかない。
ただ気付けばヘドロになっていたのだ。
そう言えば生前に読んだことのあるH.P.ラヴクラフトの怪奇小説に、『
どうやらボクは一度死んでから怪物に生まれ変わったらしい。
果たしてこういうのも輪廻転生というのだろうか?
◇
ヘドロになったボクが、沼に擬態したまま取り留めもなくそんなことを考えていると、すぐそばを1匹の小動物が通り過ぎようとしていた。
ねずみのような見た目の動物である。
空腹のボクは、本能的にそいつに襲いかかった。
「キュ⁉︎」
ボクに気付いた小動物が慌てて駆け出す。
だがボクは身体の一部を触手のように伸ばし、逃げるそいつを猛スピードで追いかけ回す。
獲物が必死に逃げようとする。
だがボクのほうが速い。
「ギュピィッ⁉︎」
捕まえた!
ボクは悲鳴をあげた哀れな獲物の全身に丹念に触手を絡ませ、黒光りする液状の体内に引きずりこんでいく。
「――ピピィ! キュピピィッ!」
ねずみ型のその小動物は、飲み込まれまいとジタバタ暴れてもがく。
けれどもその程度でこのボクから逃れられるはずもない。
やがて小さな身体は、ボクの内側にすっぽりと引きずりこまれた。
体内に捕まえた獲物に断末魔すら上げさせず、身体の内側で精製した強力な酸で、そいつを少しずつ溶かして吸収していく。
骨までドロドロに溶かして全てを取り込んだボクは、少し満たされた腹の具合に幸福を感じた。
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