第三十四話「〝かもしれない〟でも怖いんです」

「……そういう不誠実なところが、大嫌いなんです」


 怒られるかと覚悟していた。でも、秋穂さんはぼそりと、そう言っただけだった。俺の手を振り払うことなく大人しく頭をなでられて、唇を噛んでいる。

 秋穂さんの言う通りだ。

 本音で向き合わないのは相手にも、自分自身にも不誠実だ。俺は俺自身と向き合って出した本音で、想いで、秋穂さんともミコトとも向き合わなきゃいけなかった。

 例え、秋穂さんに言い訳は結構と言われても、食い下がって本当のことを言わなくちゃいけなかった。

 例え、ミコトが望んでいたとしても、ミコトが消えてしまうのも死んでしまうのも嫌だと思うなら、その想いから目を逸らしちゃいけなかった。

 目を逸らしていた俺は、やっぱり不誠実だった。


「ぐうの音も出ないです」


 自嘲気味に笑ってうつむく俺を、秋穂さんは真っ赤になった目でじっと見つめた。


「……怒らないんですか。私、ちゃんと自覚してますよ。これは八つ当たりだって。かなり理不尽なことを言ってるって」


「そうかもしれませんが……不誠実だったって自覚はあるので」


 というか、高速バスの中で自覚したのだ。


「だからこそ、きちんと説明して誤解を解こうって。そう思って引き返してきたんです。どうしてもここに……秋穂さんと夏希ちゃんと千鶴ちゃんのそばにいなくちゃいけない理由が、俺にはあるんです」


 目的が秋穂さんたち三姉妹だと言えば、きっと秋穂さんは妹二人を守ろうと警戒する。案の定、秋穂さんはあごを引いて俺を睨みつけた。


「どういう理由ですか。もし、夏希ちゃんと千鶴ちゃんを傷付けたり、泣かすようなら……」


「夏希ちゃんも千鶴ちゃんも、もちろん秋穂さんのことも。傷付けるつもりも泣かせるつもりもありません。ただ、俺は……俺の娘を守りたいんです」


 首を横に振る俺を見つめて、秋穂さんが目を見開いた。


「娘? トウマくん、お子さんがいらっしゃるんですか? いえ、プライベートなことですし、口をはさむつもりはありませんが……ただ、なんというか……」


 目を伏せた秋穂さんは、なぜか傷付いているように見えた。夏希ちゃんと千鶴ちゃんに大嫌いと言われた、と語ったときと同じくらい。

 秋穂さんの表情を不思議に思いながらも、俺は曖昧に笑った。


「いる……らしいですよ。未来の俺には」


「未来の、俺……?」


 俺の言葉をオウム返しにして、秋穂さんはいぶかしげに眉をひそめた。そういう反応になるのも無理はない。


「ミコトのことです。ミコトは妹でも恋人でもなく俺の娘なんです。未来からやってきた俺の娘。信じられないと思いますし、俺も半信半疑だけど、あいつは……ミコトは、そう言ってました」


「そんな……馬鹿げた話……」


「ええ、馬鹿げた話です」


 話している俺自身、馬鹿げていると思ってる。正直に話しているはずなのに、胡散臭さてんこ盛りだ。


「でも、本当かもしれないって思う瞬間があるんです。ミコトは俺の娘かもしれない。ミコトが語る〝父さん〟は俺のことかもしれないって、そう思う瞬間が」


 ぎんじいちゃんの口癖を繰り返すところとか。娘のミコトにぎんじいちゃんのことは話したくせに、ろくでもない母親のことは話していなかったところとか――。

 ミコトが語る〝父さん〟は、確かに俺なんだと思う瞬間が何度もあったのだ。


「俺の母親もろくでもない母親だったんです」


 ため息混じりの笑みといっしょに言葉がポロッとこぼれた。ろくでもない母親のことなんて話したくも思い出したくもないはずなのに。どうしてだろう。自分でも驚くほど自然に言葉が出た。

 唐突に話題が変わって、秋穂さんは首を傾げた。でも、続きを促すように俺をじっと見つめた。


「ざっくり言えば、男好きのネグレクトですね。大嫌いだし、腹も立つけど、それでも俺はあのろくでもない母親の血を引いている」


 うつむく俺を見て、秋穂さんがくすりと笑った。


「……同じ、ですね」


 自嘲混じりの笑みだ。秋穂さんにつられて、俺もくすりと微笑んだ。


「そんな血を残したいとも思わない。だから、家族を持つ気も、結婚する気も、恋人や好きな相手を作る気すらも起きなかった。ミコトから〝あなたの未来の娘です〟って言われても信じられなかった」


 信じられないまま、目の前で困っているやつがいるんなら、助けてやるのは当然……と、首を突っ込んだ。


「でも……でも、もし、ミコトの言う通り、ミコトが未来からやってきた俺の娘なら……このままだとミコトが消えて、いなくなってしまうかもしれないんです」


「消えて、いなくなる? ミコトちゃんが……?」


「まだ半信半疑だけど……それでも、ミコトが消えるのも、いなくなるのも……〝かもしれない〟でも怖いんです」


 秋穂さんは眉間に皺を寄せた。俺が言っていることを、まだ疑ってはいると思う。でも、それよりも、ミコトを心配する気持ちの方が上回ったようだ。


「そういえば、ミコトちゃんは……?」


 すっと目を細める秋穂さんに、俺は首を横に振った。


「ミコトが今、どこにいるかはわかりません。夏希ちゃんと千鶴ちゃんが見つかったら、探しに行こうと思っています。でも、今はとにかく秋穂さんと夏希ちゃんと千鶴ちゃんと……あなたたち三姉妹と俺との縁が切れないようにしなきゃいけないんです!」


 ミコトの父親のはずの俺と、ミコトの母親のはずの三姉妹の誰かとの縁が切れてしまわないように――。


「アクションスターって馬がいるんです。ミコトが大好きな栗毛色の競走馬。その馬が今週末開催されるレースに出走する。ミコトに、そのレースを見せたいんです。そのために藤枝家に……秋穂さんと夏希ちゃんと千鶴ちゃんのところに戻ってきました」


 俺は背負っていたリュックから茶封筒を取り出すと、理解が追い付かなくて眉間に皺を寄せて考え込んでいる秋穂さんの目の前に茶封筒を突き出した。

 そして――。


「今朝いただいたお給金も退職金もお返しします。だから、お願いします。もう一度、俺をこの邸で雇ってください!」


 勢いよく、頭を下げた。

 何をバカなことをと鼻で笑われるかもしれない。無理だと突き返されるかもしれない。それでも、雇ってもらえるまで粘るつもりでいた。

 でも――。


「わかりました」


 秋穂さんはあっさりとそう言った。

 手から封筒が抜き去られる感触に、思わず笑顔で顔をあげた。そんな俺をちらっと見て、秋穂さんは腕を組んで、あごをすっと上げた。


「早速、お仕事です。夏希ちゃんと千鶴ちゃんを見つけ出してください」


 藤枝家の長女らしい、凛とした声で命じたあと。


「お願いしますね、トウマくん」


 秋穂さんは困ったような、はにかんだ微笑みを浮かべた。


 もう一度、住み込みのバイトとして雇ってもらえた。

 もう一度、藤枝家の三姉妹と縁を結べた。


 これでミコトが消えたり、死んだりすることはなくなったはずだ。少なくとも、当面は回避できたはずだ。


「……よかったぁ」


 太ももに手を付いて盛大にため息をついた俺は、唇を尖らせるミコトを思い浮かべてにやりと笑った。


「悪いな、ミコト。お前の望み通りにはしてやらない」


 すぐにでもミコトを探し出して、首根っこを掴んで藤枝邸に引きずり戻したいところだけど、まずは夏希ちゃんと千鶴ちゃんだ。


「すでに探し終えている場所を教えてもらえますか」


 俺の言葉に秋穂さんは頷くと執務机に広げられた地図を指さした。一枚は藤枝邸の敷地内の地図、もう一枚は避暑地周辺の地図だ。


「青のバツ印が書かれているところは今、探しているところ。その上に赤のバツ印が書かれているところは探し終えたところです」


 地図をのぞき込んだ俺は一点をじっと見つめた。


「秋穂さん、二人の居場所……もしかしたら、わかったかもしれません」


 藤枝邸の敷地内の地図。千鶴ちゃんが一緒だと聞いたときに真っ先に思い浮かべた場所。そこにバツ印は書かれていなかった。

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