第二十話「私と父さんを脅迫したくせに」

 旅館に泊まると、窓際にテーブルとイスが置かれた板の間の空間があったりする。そういう空間を広縁ひろえんと言うのだと教えてくれたのはぎんじいちゃんだった。

 夏希ちゃんの部屋にも似たような空間があった。ずっと広いし、置かれているテーブルやイスもずっと高級そうだけど。

 優雅にイスに腰かけている夏希ちゃんを前に、俺はガチガチに緊張していた。


「あ、あの、こんなところ。秋穂さんに見られたら、俺、即座に追い出されるんじゃ。て、いうか即座に報告案件なんじゃ」


 紅茶をれてくれている園田さんをちらっと見て、俺は震える声で尋ねた。

 追い出されるか、あるいは、せん馬ルートだ。むしろ、せん馬ルートの可能性の方が高そうだ。


「安心しなさい。この件はお姉さまの耳には入れないよう、伝えてあるから」


「はい、使用人全員が承知しております」


 あ、そうなんだ。夏希ちゃんと園田さんに言われてほっと息をつこうとして、


「とは言え、お姉さまに見られたら問答無用で……」


 息を止めた。て、いうか、息が止まった。

 問答無用で……問答無用で何なの、夏希ちゃん!?

 青ざめる俺を冷ややかに一瞥いちべつ


「ご安心ください。秋穂お嬢さまがお帰りになられましたら、すぐにお声掛けします。……千鶴お嬢さまのことは、私たちも気に掛かっておりましたから」


 園田さんは頬に手を当てるとため息をついた。

 千鶴ちゃんは、秋穂さんも夏希ちゃんも使用人のみんなも。この邸にいる人たちはみんな、優しいと言っていた。千鶴ちゃんの言葉は間違っていないと思う。

 イスに腰かけて犬のぬいぐるみを抱きしめている夏希ちゃんと同じように、園田さんも本当に心配そうな顔をしていた。


「ありがとう。下がっていいわ」


 園田さんは一礼すると夏希ちゃんの部屋を出て行った。


「千鶴に避けられてるって……夏希がいじめたんじゃないですか?」


 ドアが閉まる音を聞いた途端、ミコトがつんとした表情で言った。完全に今朝のことを根に持っている。


「失礼なこと言わないでよ。そんなことするわけないじゃない」


「バウッ」


 さっきまでの心配そうな表情はどこへやら。夏希ちゃんは目をつり上げて、ミコトを睨みつけた。夏希ちゃんの隣でおすわりしているノエルも、夏希ちゃんといっしょになってミコトを睨みつけている。


「そんなことするわけないって……私と父さんを脅迫したくせに」


「あら、そうね。言い直すわ。必要とあれば他人ひとを脅すくらいのことはするけど、意味もなく家族をいじめるようなことはしないわ」


 唇を尖らせて、じーっと夏希ちゃんを睨みつけるミコトと。小馬鹿にした笑みを浮かべ、あごをあげてミコトを見返す夏希ちゃんと――。

 この二人、かなり馬が合わないらしい。


「……ちっちゃい子同士なのに」


「父さん、何か言いましたか?」


「トウマ、何か言った?」


 心の中で呟いたつもりだったのに。思いっきり口に出していた上、聞こえてしまったようだ。二人に睨まれて、俺は両手をあげて降参のポーズを取った。

 夏希ちゃんはもう一度、じろりと俺を睨みつけたあと、


「実際、あの子とは仲良くしておきたいと思ってるのよ。この先、ずっと家族なわけだしね」


 髪の毛先を指にくるりと巻き付けて、澄まし顔で言った。


「家族になったから、千鶴と仲良くなりたいんですか」


「そうよ」


 ミコトの問いに、夏希ちゃんは澄まし顔のまま答えた。


「仕方がなく?」


「……そういうわけじゃないけど」


 俺の問いにも、夏希ちゃんは澄まし顔で答えた。ちょっと歯切れの悪い答えだ。でも、そんな答えで納得できるわけがない。

 夏希ちゃんと仲良くなれれば、千鶴ちゃんが感じている不安や居心地の悪さはなくなるかもしれない。でも、家族だから仕方なくとか、そんな気持ちなら快くは引き受けられない。そういう気持ちは千鶴ちゃんにも伝わるし、もっと傷つけることになる。


「じゃあ、どういうわけで?」


 俺とミコトにじーっと見つめられて夏希ちゃんはたじろいだ。視線をさまよわせ、うつむき、唇を噛み。それでも俺たちが見つめるのをやめないと、


「ず……」


 小声で呟いた。かと思うと、


「ずっと欲しかったのよ、妹! 私たちは二人姉妹だし、いとこたちの中でも私が一番年下だし! お姉ちゃんぶってみたかったの!!」


 やけっぱちで叫んだ。ちょっといじめ過ぎたかもしれない。夏希ちゃんの目には涙が浮かんでいる。


「へえ、お姉ちゃんぶりたかったんですか」


 夏希ちゃんの表情を見て、ミコトの唇の片端がちょっとだけ上がった。表情の変化に乏しいミコトだからわかりにくいけど、完全に意地の悪い笑みを浮かべている。

 俺はため息をつくと、


「……ぶにゃ!」


 ミコトの額を、平手でぴしりとはたいた。

 さて、夏希ちゃん。一回、やけっぱちで叫んだら、躊躇がなくなったらしい。


「それなのに、あの子。私より全然、大人っぽいんだもの。いとこの皆も夏希の方が妹っぽいわねって! 中身もそうよ。しっかりしてるし、一人で大抵のことはどうにかしちゃうし、お姉さまにすら頼らないし!」


 一息に言い切ると犬のぬいぐるみを抱きしめて肩を落とした。


「お姉ちゃんぶろうにも、あの子の方がよっぽど大人。私のことなんて家でも学校でも全然、頼ってくれない」


「バウ……」


 夏希ちゃんの太股にあごを乗せて、ノエルも心配そうな顔で見つめている。

 今にも泣き出しそうな夏希ちゃんを見つめて、俺はため息をついた。

 確かに、千鶴ちゃんは大人っぽい。すらりと背が高くて美人だし、雰囲気も落ち着いている。

 でも――。


「そんなこと、ないと思うんだけどな……」


 昨日、荒れた裏庭で千鶴ちゃんが見せた表情を思い浮かべた。迷子の子供みたいに頼りなげな表情を。

 お母さんが病気で死んで、一人、藤枝家に身を寄せることになって。大人びた振る舞いをせざる負えなかったけど、本当の千鶴ちゃんはまだ子供なんじゃないかと、そう思えた。


「なんで、そう思うのよ!」


「バウッ」


 考え込む俺に夏希ちゃんは身を乗り出した。


「……って、そう思うような何かを千鶴から聞いたり見たりしたのよね、きっと」


 でも、すぐに深くイスに腰掛けるとうつむいてしまった。


「あの子といっしょにホットケーキ、食べたんでしょ?」


 相変わらず心配そうな顔をしているノエルの頭を撫でながら、夏希ちゃんは尋ねた。質問の意図がわからなくて、俺は曖昧に頷いた。


「私やお姉さまとはね、必要最低限の食事しかいっしょに食べてくれないの。お茶をしようって誘っても、絶対にやんわりと断られちゃう。学校でお昼を食べるときも絶対に別。かと言って、誰かといっしょに食べてるようすでもないし……」


 深く息を吐き出したあと、夏希ちゃんは居住まいを正した。


「お姉ちゃんぶろうだとか、そんなことはもう望んでない。ただ、あの子と……千鶴と仲良くなりたい。本当の家族になりたい。あの子に頼ってもらえる存在になりたいの」


 そして、俺の目を真っ直ぐに見つめて、


「だから、お願いよ、トウマ。私と千鶴が仲良くなれるように手伝って!」


 真剣な表情で言ったのだった。

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