第二話「僕を競馬場に連れていってください」
俺が暮らすボロいアパートに、自称・俺の娘がやってきたのは昨夜遅く。日付も変わろうかという頃だった。
ノックの音に、こんな時間に誰だろうかと思いながら玄関を開けると、白い髪の小柄な少女が立っていた。安っぽいダウンジャケットを着て、ショルダーバッグをななめに掛けている。日帰り旅行に行くのかな、くらいの荷物の量だ。
「お誕生日おめでとうございます、父さん。道に迷ってギリギリになってしまいましたが、日付が変わる前におめでとうを言うことができてよかったです。今日で
少女は淡々とした口調でまくし立てると、するりと俺の脇の下をくぐり抜けた。玄関に入り、そのまま狭い部屋にあがり込み、さっさと畳の上に正座した。
なんだか野良猫にあがり込まれた気分だ。表情の乏しいところといい、太々しい感じといい、近所のボス野良猫にそっくり。
正座したまま、少女はじっと俺の顔を見上げている。野良猫なら何を言っても無駄だなと、少女の前にあぐらをかいて座った。
「父さんからしてみたら初めまして、ですよね。……紺野 ミコトです。今年十六才になりました」
少女――ミコトはそう言って、ぺこりと頭を下げた。
「あ、どうも。紺野 トウマです」
つられて俺も頭を下げるとミコトはなぜか眉間に皺を寄せた。
でも、すぐに無表情に戻ると、
「二十年くらい先の未来から、事情があってやってきました。あなたの娘です」
と、言った。正直、
「う、う~ん……?」
と、しか言いようがない。
「と、言っても信じられないだろうと思っていました」
腕を組んで唸り声をあげるだけの俺を見上げて、ミコトはこくこくと頷いた。
「なので、未来からきたと信じてもらうために明日、中山競馬場で開催される全十二レースの三連単を当ててみせます。この通り、結果をメモしてきたんです。ですから明日、僕を競馬場に連れていってください」
ポケットから取り出した四つ折りの紙切れを手に、ミコトはじっと俺を見つめた。圧がすごい。エサをよこせと無言の圧力を掛けてくるボス野良猫の目にそっくりだ。
表情の乏しい少女だけど、無感情というわけではないらしい。俺の顔をじっと見つめながら唇をきゅっと引き結んでいる。メモを持つ手が緊張でか、小刻みに震えていた。
事情はさっぱりわからないし、未来から来ただとか俺の娘だとかも簡単には信じられない。でも、こんなに必死なようすでお願いするのだ。何か大切な事情があるのだろう。
幸い、明日は中華屋のバイトも休みだ。うん、と俺は一つ頷いた。
「わかった、中山競馬場な。じゃあ、待ち合わせ場所は……ミコト、さんは、このあたりに住んでんの?」
なぜかおもむろに立ち上がったミコトを見上げながら、俺は尋ねた。ミコトは首を横に振った。
「家なんてありません。今日、未来から来たばかりなんです。……それじゃあ、父さん」
と、言ったかと思うと、腰に両手を当てて仁王立ちで俺を見下ろした。
「今夜は夜逃げをするつもりで荷物をまとめましょう」
「……は?」
「もし。夜逃げをするとしたら。何を持って行くか。……さぁ、父さん。荷物をまとめてください。一番、大きなカバンに詰めてください」
「え、ちょ……」
「さぁ、父さん! 早く! 早く夜逃げをするんです!」
「わかった! わかったから! 腕を引っ張るな! 誤解しか生まなそうなことを大声で叫ぶな! じいちゃんやばあちゃんたちが心配して、飛んできちゃうから!」
このボロアパートに住んでいるのは、今では俺一人だ。でも、細い通りを挟んだ目の前の家や薄い壁を挟んだ裏にある家には、昔から俺のことを孫みたいに可愛がってくれてる過保護なご近所さんが暮らしている。
うっかり夜逃げなんて単語が聞こえちゃった日には、通帳やら、へそくりやら、たんす貯金やらを持って駆け込んで来かねない。
俺がテキトーなカバンに荷物を詰め始めるのを見て、ミコトは満足げに頷いた。ちょっと表情が緩んでいるようにも見えるが、微笑んでいると言えるほどの表情の変化はない。
でも、すぐに表情を引き締めた。
「ところで、父さん」
今日……あ、時間的にはもう昨日か……二十歳になったばかりだ。細くて小柄で一見すると小学生か、せいぜい中学生にしか見えないとは言え、十六才のミコトに〝父さん〟と呼ばれるのは物凄く複雑な気分だ。
どういう表情とテンションで答えればいいのかわからず、俺は無言で次の言葉を待った。
「僕がいくら、か弱そうな美少女だからって、見ず知らずの人間が勝手に部屋に入るのを許した挙げ句、追い出しもしないというのは警戒心がなさ過ぎると思います。……この時代にそんな危険はないのかもしれませんが、やはり注意を怠るべきではありません」
ミコトは神妙な面持ちで、ごもっともなことを言った。ごもっともではあるが、お前が言うな感満載の指摘に、俺は唇の端を引きつらせると、
「自分で美少女とか言ってんな、この野良猫」
ミコトの額を平手でぴしりと
「ふにゃ……!」
妙ちくりんな悲鳴をあげて固まるミコトは、やっぱり猫そっくりだった。
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