トーン・ゲルニコス短編集
徒然気まま
第1話 鈍色の憧憬
――世界は色褪せている。
警官に縄をかけられる間際にそんな言葉が口から洩れた。
土砂降りだった鉛色の空は雨が止み始め、仄暗い墨で塗り潰したかのような街が目に映る。
実に味気ない幕切れに自嘲もやもえなかった。
私の人生はとても平凡な物だった。
五人兄弟の長男として生まれ、仕事に忙しい父と家事に忙しい母の為に弟達の面倒を見、友人と勉学と青春に励み、弟達が一人立ちをし始めれば友人の紹介で妻になる女性と運命の出会いを果たす。そして、白くもなければ黒くもない只ゆっくりと灰色の時間を過ごして老いる。
そんな普通が私だった。
そんな私が我慢できなかった。
ここではないどこか、いつもではない何かを求めた。
求めて求めて手を伸ばした先にこのナイフがあった。
私が凶行に走るのは早かった。血の色を紛らわせるため黒いコートを羽織り街へ繰り出した。ターゲットを見定め、幾度となく後を付ける。
初めは何度も失敗した。
相手を見失うのは勿論のこと野良犬に吠えられ、巡回中の警官に足を止められることも一度や二度ではなかった。
そんな苦労も一度目の犯行で霧散した。この悪辣な行為に興奮を禁じ得なかった。二度目、三度目と続ければ警官共の障害も少々きつめのスパイスとなった。
世間はすぐさま私に釘付けになった。憶測が憶測を呼び、様々な人物像を描き始めた。
だが、彼等が巡らす虚像に何一つ興味が湧かなかった。注目されるのに慣れている弊害か、それとも虚像の色味が薄いのか。
ああ、そんなことよりも彩が欲しい。
人の命を奪った時に自身から溢れだす圧迫感とそれによって明滅する圧倒的な白と相手から流れ出す汚泥を混ぜ込んだ臭いの黒を画布に落としたい。
そう言えば最近、警察では科学捜査と言うものが取り入れられたと聞いた。なんでも、指の溝や書かれた字で個人を特定するものらしい。
後、血と混ぜると光り出すルミノールなる液体が使われると新聞の一面には書かれていた。
それは見たい。あわよくば次の絵に使って描いてみたい。警官に金を渡せば分けて貰えるだろうか。
だが、まずは実物を見てみなければだ。
私は雨の中ターゲットを見つけ出し後を付ける。傘を挿してはいるが行動がいつもと同じだと確信すると歩みを速くし、追い抜く体でぶつかった。
同時にナイフを刺し込む。
相手が押し返してくるようによろけた所為で若干、コートに思った以上の血が付いたが構わずその場を離れる。そして、布切れで血を拭い雨で流した。
息が荒い。雨の所為で臭いまでは移らなかったが自然と笑顔になる。 今日は、いい絵が描けそうな気分だ。
喫茶店の立て看板を見やると店の中に入り、何食わぬ顔でテーブルに着く。ウェイトレスが注文を取りに来たのでコーヒーとパンケーキを頼んで追い払った。
あのウェイトレスは綺麗だが次の絵のモデルには足りなかった。
何より髪の色がいけない。
灰色は駄目だ。
コーヒーを待っているとベルの音共に扉が開いた。
入ってくる姿に私は息を呑んだ。
長く靡かせた強烈な黒。名状し難い程の色の深さに心臓を掴まれてしまう。
題材に欲しい。いや、是非ともしなければ。
熱烈な視線を浴びせていると目が合った。黒髪の客は私に指を挿す。
何故か子供の頃に母から聞いた首なし騎士の妖精の話を思い出した。
「お巡りさん、この人です」
後から入ってきた警官が私の前に立った。
「ちょっと失礼します」
言うや否や、懐から取り出した瓶の中身を私のコートに振りかけたのだ。
コートが斑に輝き警官が確信した顔をする。
「署までご同行願いますか?」
それが通り魔である私の最後だった。
折角、最高の題材を見つけたと言うのに邪魔が入るなんて全く――
「世界は色褪せている」
連行されていく通り魔の後ろ姿に訝しげな視線で見送りながら彼女は私に聞いた。
『何であんな血塗れでバレないと思ったのかしら?』
「可視光線が違うんだよ。私達から見れば暗い青色のコートでもこの街のこの世界の人々には同じ黒色に見えるんだ」
言って、横に置かれた立て看板を見る。彼女も目を向けたが一色で塗り潰さ絵れただけの立て看板に首を傾げた。
「その代わりに紫外線や赤外線が普通に見えるんだよ。何も書かれていない看板のようでも彼等からすれば美味しそうなパンケーキが描かれたおしゃれな看板だ」
『貴方の眼って時々、卑怯よね……』
あきれたと言いたげな彼女の視線を躱すと私は喫茶店の中へと戻った。
その後ろで信号機がピンク色の光を灯し、継ぎ接ぎだらけの色をした自動車が走る。雨の止んだ青空を見上げた人々がカラフルな傘を降ろして様々な色の煉瓦を使った街並みに溶け込んでいった。
あの通り魔は色褪せていると言ったけれど私から――僕から見たこの世界はこんなにも
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