バディペアは兎二角語ル

シンタシカ

第0話


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 雨に濡れたのは初めてだと思う。

 雨に降られて、今さらになって気が付いたのだけど、たぶん初めてだ。

 忘れやしない。

 七月の暮れの終業式直後に、雨脚は一層に強まった。

 先生の締めの一言が全然聞こえないくらいには。

 友達と約束を交わし、傘を忘れた僕は、急いで帰路に着く。

 大きな十字路の一角にあるファミリーレストランを横目に、長いに過ぎる歩行者信号に横着を決め込み、自転車で横断歩道橋を駆けあがる。

 しかし直後、僕の逸る足に急制動がかけられる。

 歩道橋の道半ば、僕からして右手側にある転落防止柵、その防護柵の隙間から、手が生えていたのである。

 肘から先——つまりは前腕。

 直感するに、おそらく人体であろう一部が、本来空間が開けているはずの防護柵の隙間から、極めて正しく生えていた。

 動揺や恐怖は勿論あった、しかし、本能から生じた危険信号を突っぱねるだけの高揚があったのもまた本当だった。

 その高揚の正体は憧れだ。

 映画やドラマ、アニメのような、そう、非日常。

 非日常への憧れが、今、唐突に芽を出した。

 手の平が針で突かれたような感覚を連れて、汗を噴き出してくる。

 夏の雨粒とは決定的に異なる冷たい汗。

 手の平がどこまでも焦燥を訴える。

 すぐに手を伸ばせと、僕の心臓を煽り立てる。

 雨音だって消えてしまうほど、手を伸ばしたその先の果てのない夢想を喜遊する。

 気づけば僕は、現実から置いていかれていたのだろう。

 だって、その手に引かれて死んでしまうことすら、仕方がないと片がついてしまうようになっていたのだから。

 やがて僕は手を伸ばす。生えた手と握手をする形。

 大いなる期待を胸に、少しの愁いが雨粒と共に手から零れて、そして濡れてしまった。

 雨に濡れたのは初めてだと思う。

 雨に降られて、今さらになって気が付いたのだけど、たぶん初めてだ。

 僕はこの愁いを、忘れやしない。

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