淡雪

大和田光也

第1話

宇和島藩伊達家十万石の城址、その城山の天守閣が見上げられる古い屋敷の離れに、ぼくは下宿していた。


高校の同じクラスのクソ真面目な学友の姉さんが、この家に嫁いできていた。

その姉さんは、整った顔立ちに優しさをただよわせ、小柄な体は均整が取れていたが、よく合った和服をいつも着ていた。


「姉さんがおまえのことを真面目で、かわいい学生だと言っていたぞ」

ある日、学友がニコニコしながら伝えてくれた。

ぼくはうれしく思うと同時に、急に姉さんのことを意識し始めた。


南国には珍しく雪が降った。

朝、窓から中庭を見ていると、ちょうど、学友の姉さんが夫の出勤を見送るために玄関から出てきた。ヒョロリとした夫は、車のフロントガラスの雪を邪魔くさそうに取り除いていた。


姉さんはしばらく、それを無表情に見ていた。

ほぼ雪が無くなってから、気の進まない様子で車のそばに行き、義務的にフロントガラスを撫でた。夫は困り切っているという様子で車に乗った。


その間、二人の間に会話は全くなかった。

二人の関係は冷え切っている、愛情のかけらもない、だから、姉さんはぼくが好きなんだ、とその瞬間、確信できた。


ぼくは恥ずかしくて、姉さんと話をすることができなかった。その代わりに、屋敷の中ですれ違う度に、姉さんの愛情を誘うような態度をとって見せた。

そうすると、ぼくを見る目がより親しく、切なくなってくるように思えた。


ぼくも四六時中、姉さんのことが頭から消えなくなり、せっぱつまった気分になってきていた。


そんな気持ちで学校から帰り、玄関の戸を開けたとき、目の前に買い物に出かけようとしている姉さんの顔に出くわした。とっさにぼくは顔をまともに見つめて、ニヤッと笑ってしまった。

精いっぱいの自己表現だった。


姉さんはぼくの、ひきつった笑顔を見て顔をこわばらせ、あわてて履物を脱ぎ捨てて、廊下の奥の方に消えていってしまった。


数日後、ぼくはひどい熱を出して寝込んでしまった。学校を休み、せんべい布団にくるまって悪寒に震えながら、ひたすら熱が引くのを願っていた。

わびしかった。


部屋の前の廊下で足音がした。ドアをノックする音が響いて、返事もしないのにドアが開いた。

寝たまま見上げると、姉さんだった。うれいを帯びた笑顔だった。


ぼくは心の中に、やさしい花がぱっと咲く思いがした。発熱のことも瞬間に忘れた。

「早く元気になってね」

こう言って姉さんは、ふたの隙間から湯気が出ているカップめんを枕元に置いて出て行った。


「赤いきつね」だった。

ふたを開けると母を思い出す香りがした。食べると、ことのほか暖かかった。

ぼくは姉さんの顔の表情から物語を作ることをやめた。

ただ人間の温かさを感じた。

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淡雪 大和田光也 @minami5

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