第55話 昂一との旅、借金王
一体何日経過したのかすらわからない昂一と龍一のトラック旅は、いよいよ目的地である埼玉県へと入った。
龍一のイメージでは凄い都会的な街だったのだが、家と家との間隔は広くて見渡す限り広大な畑の風景だった。
『あれ…思っていたのと違う』
これはあくまでも龍一の頭の中の埼玉と現実の埼玉の景色に大きなズレがあったと言うだけの事だ、実際の埼玉はそんなズレに戸惑う龍一を広大なその姿で迎え入れた。
『納品は明日だから今日は善兄(よしあに)の家に泊るからな』
『善兄?あ、そっか、埼玉には善兄がいたなぁ』
『んだ、雅兄もいるしな』
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『おお!どんぺい!』
長男の常盤 善幸(ときわ よしゆき)がボロボロのアパートの2階、腐れ落ちそうなドアを開けて龍一にとびっきりの笑顔で声をかけた。
ちなみにどんぺいとは、龍一が小学生の頃に人気だったドラマに出てくる柴犬のどんぺいに龍一が似ていると言う事で、小さなころから中学三年になった今でもどんぺいと呼ばれているのだった。
汚いところが苦手な龍一は、いくら兄貴の家と言えどもそのボロボロさに躊躇した、だが気持ち悪がっている事がバレると兄貴に対して失礼なことくらいはわかっていたので、奥歯を噛みしめて中に入ることにした。
龍一の地元とは段違いの暑さで、部屋の中も恐ろしい温度になっており、加えて湿度が高く、行った事は無いがアマゾンのジャングルとはこんな感じなのだろうと思う程には不快指数が高かった。『ジュース飲むか?』『何か食うか?』と気を使った善兄の言葉は嬉しかったが、その半面コップは綺麗なのか、食器は洗っているのか、そんな事ばかりが気になって、ついつい遠慮してしまうのだった。潔癖症と言うわけではないのだが、兄弟と言う繋がりがその敷居を下げてしまい、断ることが容易だと言う事についつい甘えてしまうのだった。
それでもお腹が空くわけで、実際食器は汚くは無いのだがグッと我慢して食事をし、うだるような暑さの中で扇風機しかない空間で寝ることにした。
扇風機から来る風は熱く、扇風機に対して怒りを覚えて止めたのだが、その瞬間一気に熱気が龍一を包み込み、まるで蒸籠(せいろ)の中で小籠包と一緒に蒸されている気分だった。汗がダラダラと流れ、寝返りをうち、元の位置に戻ると自分の汗でその場所は気持ち悪くしっとりと濡れていた。仕方なく扇風機の作動スイッチを押すが、熱風がドラゴンの吐く息のように龍一を焼き尽くす勢いで風を送り込んだ。生まれてから今まで生きて来た中で、間違いなく一番汗をかいている夜だった。
『あつい…ムカつく…』
眠れずにのたうち回っていると、閉じられた襖の向こう側の部屋から兄2人のボソボソと言う話し声が聞こえて来た。
『何を話しているんだ?』
ボソボソと聞き取れないとなると、聴きたくなるのが人間というもので、龍一は布の擦れる音すら鳴らさないように襖へと移動した。恐らく今の時間、一番遅く動いている人間は龍一以外にはいないだろう。
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『と言うわけで、友人がタイヤを売ってくれるんだけど、現金と交換なんだよ』
『払えばいいじゃん』
『払いたいけど無いんだよ、金が』
『いくら?』
『4本で8万』
『昂一の車のタイヤだろ?4本で8万は安いじゃないか』
『いや、だから金が無いんだよ』
『なに、お前俺に金借りに来たのか?』
『頼むよ兄貴ぃ~』
昂一が埼玉に来たのは仕事なのは間違いないが、善幸の家に来たのはお金を借りる為なのも間違いなかった。昂一がしょっちゅう兄弟や母親に借金していることは龍一の耳にも入っていた、いわゆる絵に描いた様なバカ兄貴が昂一である。その現場を目の当たりにして、龍一なりにうんざりと同時にがっかりした。
『借金してるって本当だったんだな…』
借金は誰でもするし、借金することが決して悪い事ではない、悪いのは借りるだけ借りて返さない事、つまり昂一は返さない方の人間。その人間がまた借金をしようとしている、龍一は襖を開けて『やめろ』と言うべきか迷い、悩んだが、静かに布団へと戻った、貸すか貸さないかは善兄が決める事、自分が何を言ってもガキは引っ込んでろと言われるに決まっているさ…そう答えを導き出した。
戻った布団はじっとりと湿って気持ち悪かった、話しを聞いてしまった龍一の気持ちと同じように。
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寝苦しいとは言え、結果として数時間は眠ったようだ。
浅い眠りだったので、目の開きは悪く、頭はボーっとする。
そしてクソ暑い。
早朝7時30分、長男善幸に別れを告げて昂一がトラックを正面に回す。
その間善幸は龍一に『旅の間、昂一を頼むな、あいつ馬鹿だからよ』と言って龍一の肩を2度ポンポンと叩いた。全てを知っている龍一としては微妙な気持ちはしたものの『うん』と答えてトラックを待った。
『頼むとは…』龍一にはどんな意味があるか理解できなかった。
トラックに乗り込み、善幸に手を振る龍一、善兄の笑顔を見ると借金をしたのは自分じゃないのにとても申し訳ない気持ちになるのだった、と同時に昂一が時々兄弟から『借金王』と言われている現場に立ち会い、ちょっとだけ口元で笑った。
昂一の仕事の納品を終え、龍一の街に帰る事になった。
夏休みの半分を消費しての兄弟2人旅。
色々な事があった、龍一の街では観る事の出来ない景色や新しい店、昂一とのたくさんの会話と経験、借金王の借金する現場の目撃。前半は本当に実のある旅のように感じていたのだが、昂一の借金で全てが台無しになった気分は拭えない。
そして肝心な事に気が付いた龍一。
全然勉強をしていない。
『街に着いたら頑張ろう』そう自分に言い聞かせたのだが、夏休みは街に帰ったら残り一週間、この7日間で巻き返せるのだろうか正直不安だった。それでなくてもランクが足りないのに、こんなに遅れを取ってしまってはもはや絶望的なのではないだろうか…悩んでいても始まらない、龍一はトラックの後ろのベッドでノートを開いた。
ゆっくりとページをめくり、ノート一冊見終わった龍一は早速絶望した。
早速とは勉強に遅れを取ってしまったのでは?という不安に対し、直ぐにその不安が現実となって的中したと言う事が早速なわけで、その絶望感はいやらしいほどゆっくりと訪れた、それはもうゆっくりと。
後頭部にザワザワと鳥肌が走り抜けるような感覚があった。
そして龍一の精神は砂時計のようにサラサラと流れ落ち、頑張ろうと思っていた気持ちさえも、小さな穴へズルズルと引きずり込んで行った。
『いやまて、それはない!あんなにやる気出して頑張って来たじゃないか!』
もう一度、今度は数学のノートを出してじっくりと見つめ、静かにそのノートを閉じるのだった。
『さっぱりわからん!!!!』
『わかんねーって?勉強しろ勉強、はっはっは』
『うるせーよ』
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