第50話 昂一との旅、出発

五男、弥生 昂一(やよい こういち)が現れた。


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クソ暑い日々が続く7月24日、夏休みを迎えた龍一。

夏期講習とやらへ行く同級生が多い中、龍一は自分で勉強することを選んだ。


『だって貧乏だから』


そう自分に言い聞かせ、両親に申し出るのを我慢していた。

塾へ行きたい?自分に問いかけるが、塾は今を学ぶが龍一は過去から学ぶ必要がある、過去から教えてくれる塾なんてない。そう考えると自分でやるしかない、でもそれもなんだか悔しい気持ちになるので『うちには金がないから塾に行けない』と言う理由を作り上げた、それが自問自答の答えだったのだ。家庭教師と言う手段もあったのだが、それも同じく過去からやってくれるとは思えない。『え?中三で受験勉強なのに中一から教えてくれって?なにそれ?はっはっは』と笑われるに違いない、今更プライドもクソも無いのだが、やはり馬鹿にされると言うのは龍一にとっては色々思い出すので避けたかった。馬鹿にされると決まったわけでもないのに。


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次男は伝説として後に語り継がれることになる巨大暴走族のメンバー、三男は卒業生の半分が極道になると言われている極悪高校の伝説の頂点。長男の事はあまり聞かされていないが伝説の暴走族の次男も恐れる伝説の男、四男は喧嘩っ早いが伝説級のアホ。その4人が頭が上がらない伝説の兄弟の天辺が長女。伝説ばかりが揃った極悪兄妹の末っ子が龍一。


中でも五男の昂一は何時まで経ってもガキのまんまで、悪ふざけが大好き。そして龍一が大好きで、兄弟の中でも一番龍一を気遣い、面倒を見ていた。面倒と言ってもお小遣いを少々、そして酒、たばこを勧め、時々スケベなビデオを持ってくるくらいだが。


コンコン


勉強している龍一の耳に窓を拳で叩く音がした。

窓を開けると、昂一が『よぉ!旅に出るから支度しろ』と言う。

青天の霹靂よりも電圧が高いその一言にビックリを通り越して言葉が出ない。

『早くしろ、着替えと宿題あるなら宿題と…』


『中三で宿題なんかないよ』


『じゃぁ勉強道具だな』


『なんだよどこに行くんだよ』


『いいから早くしろ!40秒で支度しな!』


『何年か後に似たような台詞がアニメで使われそうだなその言葉』


『はやく!殺すぞ!』


『はいはいはいはい』


昂一はどこかすっとぼけてはいるものの、喧嘩っ早いのは本物、怒らせると手が付けられない、土木の仕事をしていたので腕っぷしも凄まじい、イライラさせるのは得策ではないと分かっている龍一はそそくさと準備を始めた。

リュックに下着を3日分、ジーンズは掃きっぱなしで良いとして、Tシャツは6枚持った。


『あ、そうだ龍!何かノリの良い曲を用意してくれ』


『わかったよ』


洋楽しかないが、壁に飾られた約100本のテープから数本を選び、リュックに入れた。100本と言えど龍一は全てどのカセットテープに何が入っているか把握していたので、選択するのは他愛も無かった。音楽好きの父親、康平からの御下がりであるステレオで兄の置いて行った洋楽のレコードを自分の好みでジャンル分けして録音しており『今日はこれを聴きたい気分』と言ってはカセットテープを替えて、元の位置に戻すクセがあった。いわゆる定物定位をカセットテープに関してはきっちりと守っていたのである。


母親に昂一が付き合えと言うから一緒に行って来ると伝えると、今が深夜だと言うのに『行っといで』と軽く返事をした。


外に出ると見たことも無い巨大なトラックが停まっていた。


『かっこいいだろ』


『す、すげぇな、これでどこに行くんだ?』


『いいから乗れ』


タイヤに足を乗せて、よじ登るようになんとか乗り込むと、やっとの思いでドアを閉めた。闇を引き裂く雷の様な爆音がしたかと思うと、まるで汽車の如くゆっくりと動き出した。龍一は高い位置から見下ろす車内からの景色にテンションが上がった。

担ぎあげられた櫓(やぐら)に鎮座する王のような気分、それは経験した事のない優越感、自分を虐めていた奴らの気持ちってこういうものだったのだろうか…そう考えると少しテンションが下がった、人を見下して気持ちがいいと言う気持ちが龍一には理解できなかったからである。


トラックは真夜中の街を抜けると、フェリー乗り場に到着した。

『船に乗るの?』


『船じゃねぇフェリーだ』


『おんなじだろ!』


チケットを買った昂一が言った。

『出航迄30分あるから飯でも喰おう』

言われて見れば腹が減った龍一は躊躇なく『うん』と返事をすると、2人で何を食べるか食堂を見て歩いた。深夜でも乗船待ちの客の為に食堂は開いていると知り、初めて観る深夜営業の店に興味津々だった。


『龍は何喰いたい?何でもいいぞ俺出すから』


『寿司』


『ダメだ』


『海鮮丼』


『ダメだ』


『ラーメン』


『よし』


『何でもいいちゃうんかい!』


『うるせぇ、餓死するかラーメンか選べ』


『世紀末覇者かよ』


龍一は醤油ラーメンを選び、昂一は味噌ラーメンを選んで食べた。

とても美味しく、真剣に食べていると昂一が龍一のラーメンに蓮華を突っ込んで味見した。


『やめろよきたねぇな』


『兄弟で汚ねぇとかねぇだろ龍!』


『わかったよ大声出すなよ、兄貴の味噌味もよこせよ』


なんやかんやで仲良くラーメンをすすると、乗船させる時間となったので2人でトラックへ乗り込んだ。順番があるので車内で暫く待つ事となる、そうと知ると途端に眠くなった龍一は昂一に悟られないように外を見て居眠りを開始。しかし昂一は『おい!寝るなよ』と龍一の太腿をつねった。『ねてねーよ!』寝ていた人間が寝ていたろと聞かれて必ず答えるのがこの『寝てない』だ、言わば伝家の宝刀を抜いてしまった龍一。『それ言う奴は絶対寝てるんだ』そう言いながら龍一の太腿をつねる昂一。

『つねるなって!』


『太腿つねると痛てぇよな』


『いてぇからやめろ』


コンコン『どうぞ!』

誘導員がトラックを乗船させろと指示をしてきたおかげで、昂一の太腿つねりの時間が終わってホッとする龍一。たかが悪ふざけでも全力で限度が無いのが昂一、それを龍一はいつも『めんどくさい』と感じていたのだが、今日はなんだか少し楽しかったのは事実だった。


トラックを乗船させて客室へと移動する。

空いている空間に座る2人。

カーペット貼りされた居酒屋の小上がりの様なスペースに雑魚寝する、龍一は修学旅行で体験したので知っていた、そして独特のエンジンの振動も。龍一はこの短いスパンで響くゴォンゴォンと言う音と、内臓をスプーンで掻きまわされるような振動が苦手だった、この一定のリズムと音が船酔いを引き起こすからである。

横を見ると昂一は既に白目を剥いて眠っている。

『くそっ、どこ行くんだよ一体…おえっ』


ムカムカしてきた龍一は甲板にでて空気を吸う事にした。

甲板に出ると真っ暗で海は見えなかったが、覗き込むとフェリーが波を掻き分けて進んだ痕跡である真っ白な泡の線が長く尾を引いている。

下を覗き込んでいると具合が悪くなるので空を見上げると、見たことが無い美しい星空が広がっていた、真っ暗で何もない漆黒の闇の中にキラキラと瞬きを繰り返す星々。


『こんな世界があったんだ…』


ずっと見ていたい、そんな気持ちが込み上げるほどの空。

兄との関りは殆ど無く、正月に顔を見せる程度、その兄貴と旅をしていると言う不思議な感覚。こんなに仲良かったっけ?兄貴が強引なだけさ…なら楽しくない?いや、そんな事は無い、少なくともこの星空が観られた事は大きな経験であり体験だ、これだけでも楽しい旅と言える。


『兄貴はなぜ俺を?旅をするほど仲良しではないのに…もしかすると母親に色々と話を聞いて、俺を慰めようと?』


色々と推測するが、推測でしかない、真実は昂一の中にある。

だがそんな事はどうでもよかった、初めて離れる自分の街、修学旅行のそれとは違う、学校の行事ではなく、旅として街を離れると言う感覚は本当に新鮮だったのだ、ドキドキもありワクワクもある、何はともあれこの感覚は兄貴のお陰だ。


『何処へ行くのか知らんけどな…』


龍一は目線を下ろし、ずっとついて来る月に微笑んだ。

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