第46話 ありがとう

バスが進むとバスガイドさんからアナウンスが入った。

そろそろ目的地に到着するらしく、停車時間は10分だと言う。

弾丸ツアーにも程がある、トイレに行ってジュースを買ったら戻らなければ時間だろう、トイレだってきっと混むに違いないのだから。


『ここで有名なのは長生きするお茶です、お土産にとても喜ばれていますよ』


長生き?具体的に何歳まで生きたら長生きと言うのだろうか、例えば余命1カ月の宣告をされて、そこから10年生きたら長生きしたねとも言うだろう、100歳まで生きても長生きしたと言うだろう、だがしかし、100歳越えは今の世の中そのお茶無しでクリアできる人も多々いる、仮に『300歳まで生きるお茶』と書かれていたとしよう、これは完全にアウトだ、肉体的に生きれたとしても天変地異や事故はお茶の効力外だからだ。つまり『長生きできるかもしれないと言う希望を与えるお茶※長生きと感じる年齢には個人差があります』と記載したら100歩譲れる気がする…

龍一はそんな事を考えるのだった。


ほぼトイレ休憩の観光スポットから移動すると、今度は有名な渓流を見に行くと言う、しおりを見ると確かに英語のスペルのS字にうねうねと曲がりくねった川の絵が描かれていた、そもそも渓流とは谷川の流れや谷川そのものを意味する、日本で言うところの沢も渓流を意味する場合もある、概川でも間違いではないのだが、一番の特徴は急流で早瀬や滝も多い、早瀬とは流れが速い浅瀬の事、つまりは流れの早い浅い川を見に行くと言う事になる、龍一は思った『修学旅行で川見るってあるのか?』


だがこの渓流は実は約14キロにわたる渓流であり、国の特別名勝、天然記念物として保護されている、上流側で標高約400メートル、下流側で標高約200メートルの場所に位置する勾配が穏やかな渓流で、渓流沿いに遊歩道が整備されているので、流れる川を眺めながら楽しく散歩できるとの事、要するに国が認めた凄い場所なのだ。


現地に到着すると、耳に飛び込んで来る心地よい水の流れる音、その音にひかれて川に目をやるとその美しさに我を忘れる程だった、いや、我を忘れるどころかここが現実だということを忘れる程に美しかった。なんたる光景か、龍一はただただその美しい光景を目に焼き付けるように味わった、撮影するのも忘れる程に。これだけでも龍一は修学旅行に来た甲斐があったと感じるのだった。


細かいタイムスケジュールで観光地を巡り、旅館へとたどり着いた。とても趣のある古き良き旅館と言うたたずまいに、日本建築などに興味のある龍一の心は踊った。入り口や館内には所々「河童」が飾られていた。諸説あるようだが、飾られている説明文を読むと、この土地には河童の伝説があるようで、妖怪好きの龍一の心はますます踊り、ディスコタイムとなっていた。カメラを手に取り、撮影を始める龍一に『桜坂君、行こう』とクズ組が声を掛けた。同じ班で部屋も同じ、中学生の修学旅行ともなれば自分たちで部屋に行って荷物を置き、時間になったら食堂に出るのだ。


思いのほか和が強調された部屋に龍一は癒された、龍の彫りこみを施された柱、穴の開いてない綺麗な障子、いい香りのする緑色のたたみ、100円で30分見られる小さなテレビ、どれもこれも龍一にとって、言い方は失礼だが「古臭くて最高」だった。だが、クズ組とはベクトルがあまりに違う事に気が付き『時間があるから売店でも観に行かないか』と龍一は提案する。売店に行くと、お土産でござい!と言わんばかりの商品がずらりと並び、対観光客用の兵器にも見える。その中で龍一は「夫婦茶碗」を見つけた、程よく年老いた旦那と妻のイラストが各々に描かれており、2つ並べて夫婦となる粋な計らい、両親との確執をまだまだ感じてはいたが、2人が居なければ自分はここに居ないかもしれないと言う事は常に心にあった龍一はその夫婦茶碗を手にし、吸い寄せられるように2,000円の夫婦茶碗を2,000円しかないお小遣いで買った。


『え?桜坂君全額使って湯呑買ったの?他の人には?』


『あ…まぁいいんじゃね?』


『桜坂君って、人生舐めてる感じするよね、あっはっは』


『舐めてるくらいで丁度いいじゃん、暗闇で泣いてるよりずっと前向きだぜ』


『あぁ確かに』

クズが全員納得した。


夕食の時間となり大広間に向かうと、まるで大企業の忘年会のような状況に驚いた。あれ…こんな感じどこかで…小さなころの遠い記憶が蘇りそうな感覚に陥った。


『親父に連れられ…いや、親父に騙され…』


『桜坂君行こう!』


何かの記憶が蘇りそうな龍一を三浦がその甲高い声で現実に引き戻す。


『う、うん』


どれもこれも「もう少し食べたい」そんなボリュームの料理が多数、数で誤魔化すかの如くテンポよく出された。一品一品は美味しいのだが、アツアツの白米にバターを乗せて醤油を垂らしただけで行けちゃう龍一にとっては、そんなに数多くおかずを出されても、満足感より先に「次は食べられる料理だろうか」と言う心配の方が強くて不安だった。極端に好き嫌いが多い龍一にとって、自分で決めた料理じゃないものが勝手に運ばれてくるスタイルは恐怖でしかないのだ。


食事時間も終わり、残した料理を下げる仲居さんに『すみません』と何度言っただろうと考えながら一息ついていると、ここでクラス対抗ゲームをすると言い出す先生。聞けば男女が互いに向き合い、お腹で風船を挟み込んで両手を握り合って一周して戻ったら次のペアが出走、結果一番早く回り切ったクラスの勝ちと言うモノだった。あまりテレビを見ない龍一でも『こんなゲームテレビで見たな』と感じた。


ここでいつものあの違和感を感じる。


『この感覚は…そうだ、またあの感覚だ…なんだ?』


辺りを見回すと、明らかに龍一を見てクスクスと笑っている。

バスの中で取り返したんじゃなかったのか…いや、違う…なんだ?なんだこの違和感は…そうこうしているうちにレースが始まった、男子と女子が二列に並び、互いに走る、つまり自分の右隣の女子がパートナーと言う事だ、俺のパートナーは…見ればクラスの一番の嫌われ者、龍一のそれとは質の違う、明らかに嫌われている女子「きよみ」だった。笑われている理由はこれか…そう言えば昔…


今日はなぜか色々な事を思い出す…


小学校低学年の時だったと思う、引っ越す前の話しなので2・3年生の頃だろう、運動会でフォークダンスを踊ることになった時の事、早く年をとってしまう病気の、文字通り老人のような顔をした女の子をみんなが気持ち悪がって、手を繋がないで踊った、先生もそれを容認していると言う状態。龍一の番が来た時、龍一は黙ってその娘と手を繋いだのだった、手を繋がないと言う選択が無かったと言うべきか。横に並んだその娘をちらりと見ると、泣きながら『ありがとう』と言った。その時の龍一はカッコつけると言う事も、義理でも人情でも何でもなかった、ただただ「手を繋ぐべきだ」と言う気持ちしかなかった、その意味などわからない。


龍一のレースの番が来た。

きよみが下を見てうつ向いている、私なんかでごめんと言わんばかりに。しかし龍一は自分のお腹に左手で持った風船を当てて、右手をきよみ伸ばし『行きますよ』と言った。軽く頷いたきよみは龍一の右手を掴み、左手も繋いで互いのお腹で風船を挟んだ。龍一は『いっちにーいっちにーで行きましょう』と作戦を伝えるときよみは『はい』と答えた、顔を見合わせて『せーの』と声を合わせ、いっちにーいっちにーと言いながら走り出した、ゲーム始まって最速ではないだろうかと思う程にその歩みは早かった、いっちにーいっちにーと小気味よく声を合わせるが、だんだんスピードも上がって面白くなってきた、途中からは2人で笑いながら走ってゴールした。

きよみの笑顔を初めて見た龍一とクラスの全員。

そのキラキラした可愛らしい笑顔に、自然に皆が拍手した。

バスの中の時と同じように、きよみちゃん凄ーい!早かったねー!と手のひらを返したようにクラスの女子たちがきよみをもてはやす、今まで気持ち悪いとかクソみそに言っていたのではなかったのか?恥ずかしくないのかてめぇら…そう感じた龍一だが、きよみにとっては今最高の瞬間なんじゃないだろうか、とふと思う。


今が良いならそれでいいか…そう思いながら列の一番後ろに座った。

同じく後ろに列の後ろに戻ったきよみが言った。

『桜坂君、ありがとう』

その目はちょっと潤んでいたように見えたが、キラキラ輝いても見えた。


龍一は目を反らして、だまって右手を手首だけでチョロッと上げた。

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