第22話 全日本プロレスが来る

ある日の放課後の事だった、龍一が外靴に履き替えて玄関を出ようとすると、

『桜坂』と声をかける生徒がいた、タカヒロだった。

タカヒロとは喧嘩してそれっきりだったので少し気まずかったのだが、

龍一は『よう・・・』と静かに右手を上げた。


『一緒に帰らねぇか?たまにはさ・・・』


タカヒロが照れくさそうに言った、

とは言え物凄い勇気だったと思う、

喧嘩の場合、こじれてしまっては声をかけにくくなってしまう、

そうしているうちに疎遠になるものである。

そこにストップをかけるべく踏み出したことに対して

龍一は直ぐに心を許し『おう』と返事をしながら口元で少し笑った。

暫く嫌な沈黙が続いたものの、その空気を破ったのはタカヒロだった。


『あのさ・・・桜坂ってプロレス好きか?』

突拍子もない質問に龍一は戸惑ったが『どうして?』と聞き返した、

これは少しでも会話を引き延ばそうとする気遣いだった。


『この前の喧嘩の時、俺にヒールホールドかけただろ、

好きじゃなきゃあんな技ださねーよ』


冷静で見事な分析に感心した龍一は

『好きだよ、格闘技も好きだけどな』と返した。


『じゃじゃじゃじゃぁそ!』


『じゃーそって何だよ、はははは』


『来月全日本(ぜんにほん)プロレスがこの街に来るんだよ!いかね?』


『え?全日(ぜんにち)がくるの?』


全日本プロレス(ぜんにほんプロレス)は、日本のプロレス団体で、

運営会社はオールジャパン・プロレスリング株式会社である。


『いくら?いくらかかんの?』


『特別リングサイドで5.000円、あと色紙買ったりタクシー乗ったり

色々あるからまぁ1万は必要かなぁ』


『1万かぁ・・・わかった、なんとかする』


『まじか!やった!あのさ!あのさ桜坂・・・』


『ん?』


『この前は悪かったな・・・反省してるよ、許してくれるか?』


『あ?忘れたよ、気にすんな』


『よっしゃ!プロレス好き集めて何人かで行こうぜ!な?いいだろ?』


『そうだな、2人じゃ何かあったら危ないしな』


『じゃ、またな桜坂!楽しみだな!』


喜んで走り去るタカヒロの後ろ姿に右手を軽く振ると、

ゆっくりと振り返って家路についた龍一。

その顔は少し微笑んでいた。


さて、ここからは金策だ。


龍一はお金を作らなければならない、

ヤンキーの美術の提出物代理で貯めたお金を出してみる。

悪戯に大きな缶でできた貯金箱だ、

真っ黒で表面に【1回100円】と書かれている。

この当時、ちょっとこの手のおちゃらけたモノが流行っていた。

持ち上げるとズッシリ重く、期待はあった。


『こんなに仕事したっけ?』


そう呟きながら裏蓋を開けてジャラジャラと揺すると、

100円玉がスロットの大当たりのように流れ出してきた。

気持ち良く500円支払ってくれるヤンキーも居たので、

思いの他量があるように見えた。


『1...2....』


積み上げて1.000円の山を1つづつ作っていき、数えると

8.000円もあった、だが、ヤンキーが仕事を依頼してきた来た時に

飲ませてあげるジュース代金は残しておきたい、そこから3.000円引いて、

5.000円をキープした、これでチケット代金は出来た。

あとは雑費だ、飲み物も買うだろうし、タクシー乗るだろうし、

割り勘で乗ってもタクシーって高いだろうし・・・と思考を巡らせる龍一。

そこで龍一が1つ気づいた。

『パンフレットとかポスターとかグッズもあるよな』

折角行くのだからグッズの1つも買いたかった龍一は、

バイトをすることにした。

と言っても家の手伝いで小遣い稼ぎと言う話だ。

父親、母親に正直に『プロレスを観に行きたいからお金が欲しい、

何か手伝うから仕事としてやらせて欲しい』と言った。


良い顔はしなかったものの、買い物に行くと100円、

父親の大工の手伝いをすると100円と安いけれど支払ってくれた。

しかしあと2週間、現在5.800円、間に合う気がしない。

手伝っても手伝っても金にならない、

これが何十年後にはワーキングプアと呼ばれるようになるのを龍一は知らない。

考えてもお金になる手段は思いつかなかった。


その夜、龍一のアパートの隣の太田さんが訪ねて来た。

太田さんは個人で小料理屋さんを経営している、見た目ちょい悪親父。

龍一に話があると言ってきた。


『え?俺に?何ですか?』


『あ、龍一君、実はうちのお店をリフォームしたんだけどね、

店内に1枚絵を飾りたくてさ・・・』


『はい』


『龍一君、1枚A3くらいの大きさで描いてくれないかな?』


『あ・・・はい、別に良いですけど、何を描けば・・・』


『虎』


『虎・・・ですか・・・わかりました』


『一週間くらいでなんとかなる?』


『はい、頑張ってみます』


そんな訳で、金策もままならないと言うのに断れない龍一は

絵の仕事を受けてしまった。

当時はインターネットで資料を簡単に探すなんて事はできず、

本屋さんに行って虎の写真を見て脳に記憶して帰ってきた。

家で直ぐに脳からアウトプットする訳だが、やはり曖昧な部分があり、

足の関節等でとても苦労した。


虎の絵に集中して1週間、何とか納得できる作品が出来たので、

太田さんに渡しに行くと、大変喜んでくれた。


『じゃぁこれ、受け取ってよ、少ないけど』

封筒を渡された龍一は、太田さんのお店の食事券とかだろう、

そう思いながら受け取った。


『ありがとうございます』


『龍一くん、イイ絵描くね、今のうちにサイン貰っておこうかな』


『いえいえ』


部屋に戻ると封筒を開ける龍一。


『ええええ?』


龍一は驚いた、封筒から1万円が出てきたのだった。

龍一が絵で稼いだお金の記録を更新した瞬間だった。

絵をお金にしたい・・・そんな龍一の夢への一歩でもあった。

いや、絵でお金を稼げると確信した出来事でもあったのだ。

一気に目標を達成できたので、気持ちも楽になった。


プロレスまで1週間となったある日、

タカヒロと前売り券を買いに行くことになった。

もっと早く買うものだが、中学生ともなればなかなかお金が作れないわけで。

前売り券を買いについてきたのは、

プロレスに一緒に行くことになった花田と中村だった。

花田と中村は前に組手を一緒にした仲だ。

タカヒロと交流があったのだった。

買いに行ったのは地元出身のプロレスラーの親族が営む建築会社。

あちこちで買う事は出来るのだが、

ファンです!と言えばサービスあるんじゃね?という子供ながらに

ズルい作戦からのチョイスだった。


その建築会社に行ってチケットの話をすると、とても喜んでくれて、

ポスターも付けてくれると言うので作戦的には大成功だった。

プロレスの宣伝ポスターなんか買えませんからね。


お金を支払う時になって、タカヒロがもじもじしている

『あれ????あれ????あれ????』


『どうした?』『なんだ?金ねーのか?』『どうした?』


『財布落した!』


もう既に泣きそうなタカヒロ。


『一生懸命貯めて作ったチケット代入ってるのに・・・』


『お金持ってもう一回買いに来たらいいよ、付き合うよ』

と花田がタカヒロの右肩に手を置いていう。


『もうねーんだよ・・・金・・・』

愕然とし、まさに絶望の淵に立っているかのような顔のタカヒロ。

中学生の財布にチケット2枚分のお金なんか、年始ぐらいしかないわけで、

いや・・・1人いた・・・。


『あ、そのチケットの分です』

おつりでもらった5.000円を建築会社の社員さんに渡したのは龍一だった。


『ありがとうございました!』


『楽しんで来いよ!』


気持ちの良い建築会社の社員さんだった。


『桜坂・・・悪かったな・・・』


タカヒロが目を潤ませながら鼻声で必死に声を出した。


『しゃーねーだろ、お前が誘ったプロレスだ、

お前が行かないのは許さねーよ』


『だよな!』『そうそう!』

肩を組んで来る花田と中村。


『ありがとな!いつか返すからな!』


泣き出すタカヒロにみんなで茶化すようにパンチしたり蹴ったりした。

花田が長州力選手の入場曲であるパワーホールを唄いながらつっついた。


『花田!長州力は新日本だからな!』


と全員で突っ込んで笑った。

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