「どうかしたのか?」

 鬼一郎が、足を止めたをふり返る。

「いえ。いま、つづみの音を聞いたような気が……」

 ゆき姫は、この座敷牢で、無聊ぶりょうをなぐさめるために鼓を打っていた、ということを思いだした。


「父上、先に行ってくださいませんか。わたくしは、いま一度、牢のなかを見てみますので」

「そうか」

 あやかしを感じとれるのは、ときだけである。

 ここは邪魔をせぬほうがよい、と判断したのだろう。鬼一郎は、左馬之介を押しだすようにして、外へ出ていった。


 父の配慮をありがたく思いつつ、ときは再び牢に入った。格子で囲まれた、薄暗い部屋の内部をぐるりと見まわす。

 そのときである。


 ガタン。

 突然大きな音をたてて、出入り口の格子の戸が閉まった。


 ぎょっとして、ときは格子の戸にとりすがった。

 錠をかけてもいないのに、戸は、押しても引いてもびくとも動かない。格子の向こう側の、すぐそこには土蔵の出入り口の扉が開かれている。外には、のびた雑草のなかに、かえでやナナカマドの木が立っているのが見える。なのに、このなかはまるで別世界で、自分は死ぬまでこの牢から出られないのだ、という絶望感が湧いてくる。


(姫の……ゆき姫の、思念にとりつかれているのか?)

 八十年前、この牢に閉じこめられていたゆき姫の思いが、いまだにここに漂っていて、自分のなかに忍びこんでくる。そんな錯覚をおぼえた。


 ふふふ。


 そのとき、背後で、薄笑いのようなものを聞いた。

 さっとふり返る。ふり返りながら、格子を背にして、手は腰にさした刀のつかをにぎっている。あやかしを討つための、妖刀〈かまいたち〉である。

 あたりを見わたす。

 古びた木の格子に囲まれた牢があるばかり。なにも変わったことはない。


 ふふふ。


 また、聞こえた。やはり、背後。

 飛びすさりざまに、身体の向きを変える。反対側の格子を背にした。

 どこだ?

 牢内を見わたす。

「うっ」

 うめいた。総髪に結った髪をつかまれ、乱暴に引っぱられていた。

 がつんと、後頭部が格子にぶつかる。それだけで、意識が飛びそうになる。

 同時に、ぬめっとした粘体質の手のようなものが、背後からときの首を絞めつけてきた。


「くううっ」

 反射的に、両手で首に巻きついたモノをつかむ。

 人の手ではなかった。粘りけのあるどろりとしたモノ。蜜をさらに濃く煮つめたような、逆さにしても流れないモノ。それが手のような形をして、ときの首に巻きつき、首輪のようにときの首を固定したのである。


(あやかしかっ?)

 胸のうちで叫ぶ。

 いまは感じる。

 さっきまでは「なんとはなしに怪しい」気配しかなかった。しかしいまは強烈に、あやかしの、ケモノくさい、邪悪な気配が匂うのである。

 これはどこから湧いたのか?

 疑問が起こる。考える余裕はなかった。


「ああっ」

 叫んだ。首に巻きついた「手」をほどこうと、両手でつかんだ。その両手の手首を、新たに後ろからのびてきた「手」につかまれ、背後の格子にまで引っぱっていかれたのである。両の手首が肩よりも高い。剣士としてはきわめてぶざまな姿となった。髪を引っぱられ、首を絞めつけられて、頭が自由に動かない。それでもあがいて、手首をつかんでいるものを見上げた。すりおろした山芋のようにどろどろした白いものが、手の形をして、自分の両の手首をつかんでいる。どろどろした「手」の根本は平たくなって、自分の背後の格子へとつながっている。首をなんとかもう少しひねる。背後の格子に、すだれでも垂らしたように、粘体質のぬりかべのようなものが貼りついていた。


「そうか、おふだか……」

 平たいモノから連想して、ときは答えをみつけていた。あやかしはおふだに化けていたのだ。


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