四
「どうかしたのか?」
鬼一郎が、足を止めたときをふり返る。
「いえ。いま、
ゆき姫は、この座敷牢で、
「父上、先に行ってくださいませんか。わたくしは、いま一度、牢のなかを見てみますので」
「そうか」
あやかしを感じとれるのは、ときだけである。
ここは邪魔をせぬほうがよい、と判断したのだろう。鬼一郎は、左馬之介を押しだすようにして、外へ出ていった。
父の配慮をありがたく思いつつ、ときは再び牢に入った。格子で囲まれた、薄暗い部屋の内部をぐるりと見まわす。
そのときである。
ガタン。
突然大きな音をたてて、出入り口の格子の戸が閉まった。
ぎょっとして、ときは格子の戸にとりすがった。
錠をかけてもいないのに、戸は、押しても引いてもびくとも動かない。格子の向こう側の、すぐそこには土蔵の出入り口の扉が開かれている。外には、のびた雑草のなかに、
(姫の……ゆき姫の、思念にとりつかれているのか?)
八十年前、この牢に閉じこめられていたゆき姫の思いが、いまだにここに漂っていて、自分のなかに忍びこんでくる。そんな錯覚をおぼえた。
ふふふ。
そのとき、背後で、薄笑いのようなものを聞いた。
さっとふり返る。ふり返りながら、格子を背にして、手は腰にさした刀の
あたりを見わたす。
古びた木の格子に囲まれた牢があるばかり。なにも変わったことはない。
ふふふ。
また、聞こえた。やはり、背後。
飛びすさりざまに、身体の向きを変える。反対側の格子を背にした。
どこだ?
牢内を見わたす。
「うっ」
うめいた。総髪に結った髪をつかまれ、乱暴に引っぱられていた。
がつんと、後頭部が格子にぶつかる。それだけで、意識が飛びそうになる。
同時に、ぬめっとした粘体質の手のようなものが、背後からときの首を絞めつけてきた。
「くううっ」
反射的に、両手で首に巻きついたモノをつかむ。
人の手ではなかった。粘りけのあるどろりとしたモノ。蜜をさらに濃く煮つめたような、逆さにしても流れないモノ。それが手のような形をして、ときの首に巻きつき、首輪のようにときの首を固定したのである。
(あやかしかっ?)
胸のうちで叫ぶ。
いまは感じる。
さっきまでは「なんとはなしに怪しい」気配しかなかった。しかしいまは強烈に、あやかしの、ケモノくさい、邪悪な気配が匂うのである。
これはどこから湧いたのか?
疑問が起こる。考える余裕はなかった。
「ああっ」
叫んだ。首に巻きついた「手」をほどこうと、両手でつかんだ。その両手の手首を、新たに後ろからのびてきた「手」につかまれ、背後の格子にまで引っぱっていかれたのである。両の手首が肩よりも高い。剣士としてはきわめてぶざまな姿となった。髪を引っぱられ、首を絞めつけられて、頭が自由に動かない。それでもあがいて、手首をつかんでいるものを見上げた。すりおろした山芋のようにどろどろした白いものが、手の形をして、自分の両の手首をつかんでいる。どろどろした「手」の根本は平たくなって、自分の背後の格子へとつながっている。首をなんとかもう少しひねる。背後の格子に、すだれでも垂らしたように、粘体質のぬりかべのようなものが貼りついていた。
「そうか、おふだか……」
平たいモノから連想して、ときは答えをみつけていた。あやかしはおふだに化けていたのだ。
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